Part1
風邪
Part2
旅程(1)
Part3
旅程(2)
Part4
旅程(3)
Part5
メモ

トラブル

 バツの悪いことを先に書いておく。自分が引き起こして自分で収拾せざるを得なくなった、お粗末の一席だ。

 タイランド最後の晩餐は、バンコク中心街の豪華ビル4階で「中華料理、北京ダック付」。シャンデリア輝く店内をOご夫妻とで4人席に案内された。
 座ると、飲み物メニューが出て、ウエイトレスのタイ語をガイド氏の通訳で、
「みなさん、飲み物はいかがなさいますか?」
 ご夫妻はメニューを指差して、
「シンガビール(地ビール)2本お願いします」
 妻は、「ジャスミンティにするわ」。
 ぼくもそれにしようと思ったが、一瞬、《待て、タイランド最後の夜だ。飲まなくても咳き込むのは同じだろうし》。覚悟を決めて、
「ビール1本」
 といいかけたら、ガイド氏が
「紹興酒もおいしいですよ!」
 なるほど、ろくにメニューを見ないで、
「そうですね。ぼくは紹興酒」
 これがつまらないトラブルの因になるとは!

 言語の違いはなんと不自由か。タイ語はこちらが100%わからないし、ガイド氏は日本語半わかり、ウエイトレスはチンプンカンプン。英語は関係者すべてが半わかり以下。誤解の生じないほうが不思議である。
 海外旅行ではよくある光景だ。現実にはかなり行き違いや食い違いが生じているのだろうが、かえってそれが笑いを誘って友好を深めたり等、思わぬ余徳をもたらしもしている。
 こうした場での言葉の誤解は概(おおむ)ねたわいないものだから、後(のち)々座興のネタとしても枚挙に暇(いとま)がないだろう。
 ここは違った。

 オーダーした飲み物がサーブされる。紹興酒は立派なハーフボトルで来て、ウエイトレスがラベルを丁重に見せながら口開けする。ぼくは心配になって訊く。やむなく英語で。この時、頼りのガイドはどこへ行ったか、見当たらない。
「ぼくが頼んだのは紹興酒グラス1杯ですが、それでいいのですね」
 ウエイトレスはあわてて、日本語のわかる(?)ウエイターを呼ぶ。彼はカタコト日本語で、
「いいえ、あなたはこのボトルをオーダーしました」
「ではキャンセルしたいのですが。だってぼくはグラス1杯だって飲めないのですから」(これ、相手には理解できない個人の特殊事情)。
「それはできません。すでにあなたに確認したうえで、ボトルを開けました」、とカタコトは言ってるようだ。
 かなりすったもんだの挙句、彼は、
「では、私たちの誤解ということにします。エンジョイディナー!」
 とぼくには聞こえた。

中国料理店で

 食事になるとウエイトレスの係長級が何度もテーブルへ来て、こぼれる笑顔で丁重に挨拶しながら、紹興酒のお代わりを勧める。ぼくはほんの一口でむせたから、彼女の勧めを受けるわけにはいかなかった。が、彼女の心配りを素直に喜んだのだった。
 晩餐が終わって飲み物の清算となる。

ビール2本   140バーツ  日本円で約450円
ジャスミンティ 30バーツ  約100円
 まではよい。
紹興酒1本 700バーツ 約2,200円

 紹興酒はボトルの値段ではないか!
 でもたいした金額でもなし、終わりよければすべてよし≠ニいうこともある。ここは大人の感覚で鷹揚(おうよう)にかまえるべきだった。あとで悔やむのに、なぜ?
 うまくいかないものだ。旅をとおして、風邪の鬱憤(うっぷん)のやり場に事欠いたのも底にあったろうが、以前の米国生活での癖が鎌首をもたげてしまった。《理屈に合わないことをなおざりにはできない!》
 生唾(つば)を飲み、居住まいを正して、さっきのウエイターを呼ぶ。
「これはボトルの値段ですよね。ぼくがオーダーしてあなたが了解したのはグラス1杯ということでしたよ」
「いいえ、そんなことはいいませんでした」とカタコト。
「え!」
「700バーツ払ってください」とカタコト。
 理解されているのかどうか、首を傾げながらぼく、
「冗談じゃない。見てお分かりのとおり、ぼくは一口しか飲んでいない。風邪を引き込んでいるから飲めないんです。タイランド最後の夕食なので、一口乾杯を付き合っただけですよ」
「700バーツ払ってくれなければ困ります」
 カタコトはその一点張り。
「わかってもらえないのですね。責任者を呼んでください」
 この一言はわかったようで、
「はい、カイチョを呼びます」
 しばらく待つが会長はなかなか現れない。首を長くしながら、その間日本語でウエイターに、カタコト英語で他のウエイトレスたちに、主張を繰り返すが、かみ合った風も共感を得た風もない。いつになったら会長は??
 こういうときの時間は長い。ずいぶん待ったあと、胸を押さえながら息せき切って現れたのはなんとガイドのA氏。
 先ほどらいウエイターが何度も「カイチョ、カイチョ」と繰り返したのは「ガイド」のことで、ぼくの誤解! しまった、はあとの祭りだ。

 さて、A氏はあくまでも事実依拠派である。
「私はあなたに紹興酒を勧めた。あなたはそれを注文した。飲み物リストの紹興酒は700バーツのボトルだけで、グラスのはない」
 彼の知る限り、どのレストランでも紹興酒はグラス単位でサーブはしない。これも彼の主張に一票入る。
「そうでしょうかね。あなたは5日間アテンドして、ぼくが酒を飲める状態にないことは承知のはずですよ。がタイランド最後の晩餐だから、あなたの勧めもあり、ぼくは乾杯だけのつもりで紹興酒をたのんだ。だからそれがグラス1杯だということは、あなたにはわかったはずだし、現にぼくのグラスは何ほども減っていない」(恥ずかしい! 理屈にならないゴリ押しだ)。
 二、三問答を繰り返したあと、A氏は、
「店の方(かた)もそういってくれていますので、ここは何とか三者均等負担ということに……」
 とぼくは聞きとった。
 なるほど三方一両損。おもわず大岡裁きにぼくは顔をくずし、彼と一件落着の握手をした。そのすぐあとで彼は、
「私が700バーツを払っておきますから、あとで350バーツお願いします」
 目の前が暗くなった。どこで行き違い?
「ボトルの残りはテイクアウトにしてもらってください」
 そう告げるのがやっと。哀れ、引かれ者の小唄だった。ぼくが700バーツ全額支払ったことは、名誉(?)のために付記しておく。
 ボトルは丁寧に袋に入れて渡された。家に帰って、苦い酒になるだろう。

 Oご夫妻にはなんとお詫びすればいいか。この一部始終に付き合わせてしまった。「1階で買い物」、と最後のショッピングを楽しみにされていたのに、そのチャンスも奪ってしまった。ただただ消え入る思いである。

O氏と
クワイ川兄弟、と呼び合った

タイランドという国

タイランド

 立憲君主制の王国である。英語名は、Kingdom of Thailand。
 現君主はラマ9世、プミポン・アドゥンヤデート(Bhumibol Adulyadej)国王。国民から敬愛され、絶対的威厳を持っているという。
 
 インドシナ半島の中心部を占め、赤道の北約1500kmに位置する熱帯の国だ。国土面積51.3q2は日本の1.3倍。
 国境を接する国:ミャンマー、ラオス、カンボジア、マレーシア。
 人口、約6100万人(2001年現在)。うち首都バンコク、600万人。
 国民の80%はタイ族。残りは中国人、クメール人、マレー人、等。
 公用語はタイ語。日本語は当然だが、英語も通じない。日本同様、国際化に言語の障壁あり。
 国民の大半が仏教徒。タイ国を知るには宗教の理解が不可欠であることを実感した。
 国民気質は、「微笑(ほほえみ)の国」と呼ばれるだけに、一般的には温厚で優しい。次の2語がキーワードという。

マイ・ペン・ライ (気にしない)
サバーイ (元気、調子がいい)

 細かいことにあまり執着せず、明るくたくましい、ということ。

 ”合掌”の挨拶がいい。微笑んで手を胸で合わせる。こちらも見よう見まねで、微笑んで手を胸で合わせる。自然そうなる。心が通う。
 「おはようございます」「こんにちは」「How are you?」「……」、口頭の挨拶や握手とはまるで違う温かさ、優しさを感じる。
 この風習、タイとインドだけ? 一事が万事、国民性をしからしめているように思えた。

 日本との時差はマイナス2時間。日本が正午のとき、タイは午前10時、ということ。成田からバンコクまで空路、行きは7時間、帰り6時間半だった(偏西風による)。
 気候は、バンコクの南が熱帯モンスーン気候、北が熱帯サバンナ気候。どちらも一年中日本の夏と同じかそれ以上に暑い。
 季節は3シーズン。雨季(5月中旬-10月)、乾季(10月-2月中旬)、暑季(2月中旬-5月上旬)。
 雨が少なく比較的涼しい乾季が旅行に最適。ぼくたちは暑季に行った。
 主食はインディカ米。日本の米(ジャポニカ米)とは異なり、パサパサしている。
 料理は、トウガラシや香菜をふんだんに使って、独特なスパイシー味。スープの、トム・ヤム・クンが有名。
 果物は豊富だ。ドリアン、マンゴスチン、バナナ、パイナップル、スイカ、オレンジ、……。

標識

 「タイ語の男」とぼくが尊称するH木材のUさんはなんと言うだろうか(雑記帳第14話「屋形船」、参照)。
 車窓に見る交通標識の文字はすべてタイ語だけ。ロゴも意味不明。「赤、青、黄」の信号だけは間違いないが。国際免許があっても外国人は運転できないだろう。
 高速道路は悪くない。が安全運転できるかどうか。行き先はおろか、スピード制限すらわからないのだから。
 せめて英語並記だけでも。どこかの国も似たりよったりだが……。

 一般道路はごみごみしている。中国ほど混み合ってはいないが、そんな感じだ。幼い頃ぼくたちはバタバタ≠ニ呼んだ三輪車(ハンドルがワッパでなく、オートバイ風)がやけに多かった。
 町なかの標識もむずかしい。トイレのロゴが判別できたのは幸いだった。

蚊、犬、猫

 観光は、すべてマイクロバスで移動した。外気はかなり蒸し暑く、30度はゆうに超えている。当然バスは窓を閉めきってエアコンを効かせている。
 なのにどこでどのように侵入したか、蚊、蚊……。前座席のOご夫妻も、こちら妻とぼくも、しばし景色を忘れ、手拍子よろしくパチパチ♂痰ニ格闘。ガイドのA氏いわく、
「殺す必要はありません。蚊は刺しませんから。殺生はいけません」
 タイ人の優しさ、面目躍如である(ときどき、彼の手拍子も聞こえたが)。
 たしかに蚊は刺さなかったし、刺されたとしても全然感じなかった。それにしても多い多い!

 動物愛護というのかどうか、連日訪れた寺院の境内に、野良犬、野良猫が、寝そべったり、怠惰に歩いたり、うずくまったり。ペットではないから汚いのは当然として、まるで元気がない。
 立派な景観の妨げにはなるし、衛生的にもどうなのだろう。勝手にそう感じたが、A氏から弁解じみた言葉はなく、なんら気にしている風もなかった。

元気な(?)犬

タイ料理

 タイ料理は、風邪でなくとも、好きになれたかどうか。どれも甘酸っぱいスパイシー味。舌に合わない。香辛料はだれよりも好きなつもりだが……。ひと括り的感想でなんだが、最後の晩餐の中国料理でほっとしたのが本音である。
 機会を見つけて、「タイ語の男」のUさんを、彼がよく引き合いに出していた錦糸町のレストランにでも誘おう。そこで音に聞こえた本場タイ料理の醍醐味を、自慢の解説入りで納得の舌鼓をさせてほしいもの。「やっぱりタイ料理だね!」になるか。
 
 朝食はすべてよかった。どのホテルも、洋風・タイ風・中華風、盛りだくさんにそろえている。バイキングだから、あちこちのを遠慮なくピックアップできる。ぼくはパンとコーヒーとヨーグルト、それにジュース、サラダだ。妻はごちゃまぜ。
 ヨーグルトのないホテルは残念だった。家でカスピ海ヨーグルトにはまっている。いまの状況でこういうのもなんだが、ヨーグルトはぼくの健康の源なのだ。

朝食会場で

3Q

@  ご両人ともQ州出身。佐賀県と長崎県。
A  ご両人ともQ大出身で、夫君が1年先輩。Hoh学部とYaku学部。
B  大学ではご両人ともQ道部。もちろんこの部がQピッドになった。 
 Oご夫妻のことである。
 夫君はバンカー。ただし世界の本店・支店をカバーする中枢コンピューターの責任を負うエンジニア。
 Q大では法曹界を目指したというから変り種だ。勤務先は指折りの一流銀行だが、会社人ではなく仕事が輝く人であるのがいい。
 妻君は勉学を生かした。いまも薬剤師として活躍中だそうである。

 ぼくは一見なれなれしい反面、べたべたは御免という、やりづらい性格の持ち主だ。馬鹿騒ぎもしカラオケも好きだが、家でステレオに親しむほうのタイプである。
 Oご夫妻との道中は、ぼくにとってきわめて自然なものだった。おおむね夫婦単位で行動し、互いの領分を尊重しあっている。気づくと4人でなごやかな語らいになっている(ぼく自身はSound of Silenceだが)。
「ぼくも辰年ですよ」「私、奥様と同じ、巳年ですわ」
 彼らも声を大きくして驚いた。ちょうど一回りぼくたちが上なのだ。彼らの聞き上手・語り上手が世代や環境の違いをほどよく埋めてくれて、楽しい旅の会話になった。昼食夕食はすべて合い席だったが、それが一切苦にならなかった。
 余分な気を使わせない自然体。なんと朗らかなカップルだろう。妻もいつもよりずいぶん楽しそうだった。
 

アユタヤ遺跡で
 

「タイランド6日間」 おわり
 2003.04.19

朗読(23'46") on
 なお、この紀行文の写真集を「某日at某所」に載せました。「2003年3月、タイランド6日間」のタイトルで。
 自分たち用のアルバムとしてかなり盛りだくさんですが、併せてご一覧いただければ幸いです。
Part1
風邪
Part2
旅程(1)
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旅程(2)
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旅程(3)
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メモ
再朗読(2023.04.04)
「2003年早春、タイ6日間」
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