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メモ

  
参考資料
  「タイ、リゾート&レストラン(2001年版)」、成美堂出版
「自由旅行の達人、タイ・マレーシア」、弘済出版社
「わがまま歩き、タイ&アンコールワット」、実業之日本社
 

カンチャナブリ
 (Kanchanaburi)

 ミャンマーから流れ込むクワイ川に沿って大自然の景観が広がるカンチャナブリは、第2次世界大戦時、日本軍が膨大な犠牲者を出して完成させた、タイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道の拠点となった町である。バンコクから北西へ130km、列車で2時間45分で、日帰り観光も可能。
 この町を拠点としてインド方面へ戦線を拡大しようとする日本軍と、それを阻止しようとする連合軍は当時、全長250mのクワイ川鉄橋をめぐって、互いの命運をかけた死闘を繰り返した。その過程を描いたのがアカデミー賞作品「戦場にかける橋」(The Bridge on the River Kwai)だ。
 見学の拠点はカンチャナブリ駅。この駅を降りるとすぐにあるのがカンチャナブリ連合軍墓地。
 クワイ川鉄橋を見るにはカンチャナブリ駅のひとつ隣にあるクワイ川鉄橋駅で降りるが、時間のある人は歩いてみるのもいい。約2km、徒歩30分といったところだ。
 時間に余裕があれば、ここから泰緬鉄道に乗ってさらに奥地に向かうのもいい。鉄道はミャンマー国境のナム・トックまで運行され、車窓からはジャングルや険しい山河を眺められる。

泰緬鉄道
泰緬鉄道
クワイ川鉄橋にて
クワイ川鉄橋にて

JEATH戦争博物館
 (JEATH War Museum)

 メークローン川沿いのワット・チャイチュンポンの敷地内にある捕虜収容所を再現した建物が、戦争の歴史を物語る博物館になっている。当時捕虜となった連合軍兵士の遺品が展示され、なかには日本軍による凄惨な拷問シーンを描いたスケッチもある。

 JEATH
 泰緬鉄道にかかわった6カ国の頭文字をあわせている。日本(Japan)・イギリス(England)・アメリカ(America)・オーストラリア(Australia)・タイ(Thailand)・オランダ(Holland)。

JEATH戦争博物館前

カンチャナブリ連合軍墓地
 
(Kanchanaburi War Cemetery)

 泰緬鉄道建設工事の連合軍捕虜犠牲者を埋葬した墓地。随所に美しい花が咲き乱れる墓地には、6,982名の捕虜が埋葬されている。

カンチャナブリ連合軍墓地

 泰緬鉄道は見所たっぷりだ。クワイ川鉄道駅からワンポーまで、中古ディーゼル列車に約30分乗った。
 左右に山あり谷あり、原生林、原野、田園、牧場、……。スリルも満点。十何年も前になるか、「プレディター」という映画(1987年、米国)を見たが、そこで展開した熱帯の原風景はざらにあった。伊豆の天城山を歩いたとき、その映画を思いだして紀行文でふれたことがある。大した参考にはならないが、引用すると…………

 奇妙な連想一つ。
 アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「プレディター」のワンシーン。
【原生林のジャングルで光る緑の物体が縦横に飛び交い、逃げまどう人間を溶殺する……】

 そのジャングルが頭をかすめた。

 JEATH戦争博物館は、長なりのバラック風建物だった。遺品、写真、絵画、ポンチ絵、新聞記事、いろいろある。残虐シーンを露骨に見せているわけでもないから安心されたい。それでも戦争の悲劇が直(じか)に伝わってくる。あちこちでため息が漏れた。
 
 カンチャナブリ連合軍墓地は、アメリカ・アーリントン墓地のミニチュア版といってよい。よく手入れされていて、さわやか。永眠の兵士に幸あれ、と祈った。 

ワンポー駅付近

ワンポー駅にて

 クワイ川鉄橋駅からワンポー駅まで約30分、中古列車に揺られて山間と田園の景色にあきなかった。ワンポー駅で下車する人たちは少ない。鄙(ひな)びているが、明るく、なじみを感じた。なんのことはない。幼いころの故郷南紀熊野の三輪崎駅とよく似ている。
 マイクロバスが先についていた。カメラを車内に置き忘れていたので、やっと回収(したがって、ここまでのクワイ川鉄橋や車窓の景色はすべてOさんのカメラによる)。

 バンガロー風レストランでの昼食は別項でふれる。
 食後1時間余り、ワンポー駅付近で自由時間を楽しんだ。日本の田舎と変わらない。現地の人も姿かたちはわれわれ同様だから、余計親しみが増すのかもしれない。
 みかん(というかオレンジというか)を1人2個分買う。種が多くて、皮が硬くて、酸っぱくて、これも郷愁をさそった。
 駅前ロータリーの簡易休憩処で優しそうな軍鶏(しゃも)たちの鳴き声に感心したり、駅内売店の子供たちとふざけあったり……。

ナコン・パトム
 (Nakhon Pathom)

ナコン・パトム

 ナコン・パトムは、7-11世紀に栄えたタイの先住民族・モン族によって建国されたドヴァーラーヴァティ王国の首都だったと推測される。町のシンボルは、黄金色に輝く仏塔「プラ・パトム・チェディ」。
 高さ約120mは、現存する仏塔のなかでも世界最大だといわれている。この仏塔は約1600年前にこの地に侵攻してきたインド軍によって建造されたモニュメントを、ラマ4世とラマ5世の2代の王の命により、20年近くの歳月を費やして再建したもの。現在、プラ・パトム・チェディは第一級の王室寺院である。

 世界最大の仏塔入口まで階段を上る。中に入って黄金色輝く観音立像を間近にして、拝観しなかったのは心残り。
 外では「ビルマの竪琴」で見たような僧が演台でマイク片手に説教中、10名ほどの敬虔な信者が頭(こうべ)をたれて聴き入っていた。 


【参考】 戦場にかける橋
 (The Bridge on the River Kwai)

The Bridge on the River Kwai
The Bridge on the River Kwai(絵葉書)
泰緬鉄道
泰緬鉄道(絵葉書) 

 映画好きのぼくとしてはなおざりにできないので、ひと言ふれておく。
 この映画、1957年のアカデミー賞作品で、ぼくが観たのは1、2年あとだった。新宮の映画館だったと記憶するから、大学浪人時代だったのだろう。クワイ河マーチはいまでもハミングできるし、アレック・ギネスの精悍でさわやかな顔立ちと、早川雪洲の厳格な振る舞いが印象深い。米軍兵士役のウイリアム・ホールデンも、憎たらしくてよかった。
 忘れえぬこの作品の受賞を含む、1957年の第30回アカデミー賞は、こんな具合だ。

作品賞 戦場にかける橋(英国)
主演男優賞 アレック・ギネス「戦場にかける橋」
主演女優賞 ジョアン・ウッドワード「イヴの三つの顔」
助演男優賞 レッド・バトンズ「サヨナラ」
助演女優賞 ナンシー・梅木「サヨナラ」
監督賞 デビッド・リーン「戦場にかける橋」 
脚本賞
脚色賞
ジョージ・ウェルズ「バラの肌着」
ピエール・ブール「戦場にかける橋」
撮影賞 ジャック・ヒルドヤード「戦場にかける橋」
音楽賞 (音楽)マルコム・アーノルド「戦場にかける橋」
(主題歌)「All the Way」「抱擁」
外国語映画賞 カビリアの夜
 

映画のあらすじ

 泰緬鉄道建設の命を受けた斎藤大佐(早川雪洲)が捕虜の英国仕官ニコルソン大佐(アレック・ギネス)にクワイ川の橋建設の指揮を執るように命じる。しかし、誇り高いニコルソン大佐はジュネーブ協定を楯に拒否する。
 その結果、ニコルソン大佐は営倉に入れられる。捕虜は大佐に脱走を勧めるが大佐は脱走は騎士道精神に反するとして拒否する。一方で合理的精神を持ち合わせたアメリカ人捕虜のシャース(ウイリアム・ホールデン)は、大佐とは対照的に脱走に成功する。
 橋の建設は遅々として進まなかったものの、ニコルソン大佐が建設に協力するようになってから、飛躍的に進むようになる。ニコルソンにとって橋の建設は利敵行為であったはずだが、橋ができていくにつれ、次第に喜びの心が芽生えてくる。
 そして橋の工事は完成した。はじめての列車がクワイ川の橋を渡ろうとしたその時に、脱走したシャースによって橋は破壊され、列車はまっさかさまに川に落ちていく。
 
 監督のデビッド・リーン(David Lean)といえば、映画ファンなら、ぼくならずともわくわくするだろう。思い出す彼の作品をあげておく。
1955   旅情
(Summertime)
1957 戦場にかける橋
(The bridge on the River Kwai)
1962 アラビアのロレンス
(Lawrennce of Arabia)
1965 ドクトル・ジバゴ
(Doctor Zhivago)
1970 ライアンの娘
(Ryan's Daughter)
1984 インドへの道
(A Passage to India)
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