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旅程(3)
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メモ
参考資料
  「タイ、リゾート&レストラン(2001年版)」、成美堂出版
「自由旅行の達人、タイ・マレーシア」、弘済出版社
「わがまま歩き、タイ&アンコールワット」、実業之日本社

アユタヤ遺跡
 (Ayutthaya)

アユタヤ遺跡

 アユタヤは、バンコクの北約70kmに位置しており、かつてはアユタヤ王朝(1350-1767)の都として栄えた。アユタヤ王朝は外国貿易を積極的に行い、17世紀の最盛期には人口15万人にも及んだという。
 1767年、ミャンマー軍の攻撃を受け、倒壊するまで417年、33代の王を輩出した長期政権であった。チャオプラヤ川支流の運河で囲まれた、東西4km、南北3kmのアユタヤ中心部には数多くの遺跡・寺院が残されているが、瓦礫と化した遺跡も多く、ミャンマー軍の攻撃の凄絶さをしのばせる。

 入口の歴史研究センターに立ち寄ってから、遺跡中心部を1時間かけて、ひとわたり見て回った。
 豪華な歴史文化遺産だ。ワット・プラ・スィー・サンペットのチェディ(仏塔)はやはり他を圧した。
 それにしてもその昔のミャンマー軍の破壊は目を覆う。
 見物客はなぜかまばらだった。道ばたで犬が寝そべっている。心なし弱々しそう、…………。

バンパイン離宮
 (Bang Pa-In Palace)

バンパイン離宮

 17世紀にプラサート・トン王によって建てられたもので、アユタヤ王朝の滅亡まで歴代王室の離宮として使われた。ラマ4世が再建。
 アユタヤから20kmほどチャオプラヤ川を南下した中州に建つ優雅な宮殿だ。

 周囲に大庭園を配したきれいな宮殿。4人乗りのカートで見所を回る。天気晴朗・土曜日のせいでもあるか、現地の人たちも各国からも観光客が大勢押しかけている。でも広いから入場口を除けばごみごみしていないし、ゆっくり回れた。
 南国のモダンな宮殿といってよく、優雅な殿堂・寺院と美しい池、芝生。落ち着いた佇(たたず)まいである。見とれてしまう景色が目白押しだった。もちろん離宮内部も見ごたえあり。2ヶ所参観した。展望台からの眺めなおよし。 

ピマーイ遺跡公園
 (Phimai)

ピマーイ遺跡

 国内最大の規模を誇るピマーイのクメール遺跡は、1960年代に修復され、史跡公園として整備されている。この遺跡をいつ・誰が・何の目的で建設したかについては諸説あるが、世界的に有名なアンコールワットのモデルになったという点では異論がない。
 クメール遺跡と呼ばれるものには必ず、中央祠堂を囲むようにして三重構造の回廊壁があり、東西南北に4つの門がある。ピマーイ遺跡には二重の回廊壁しか残っていないが、外側の壁はその昔、現在の市街地を囲むようにして建てられていた。市街の南端にある「勝利の門(プラトゥー・チャイ)」などに、かすかにその面影が残されている。

 一番気に入った。雨ならぶち壊しだったろうが、天気も味方して、暑からず、うす霞(かすみ)。整備の行き届いた"荒城公園"の散策を楽しんだ。
 古城の茶系がシックだ。緑の芝生と対称をなして、落ち着いた雰囲気をかもしている。心和(なご)んだ。
 いつもこうなのだろうか。観光客がいかにも少ない。全体があまりにも桁外れだから、並みの人数ではパラパラの域を出ないともいえるのだが……。景色と歴史の中に吸い込まれて、とある昔々にタイムスリップしたような気分になった。
 
 ここへの途中で車の検問があった。かなり大掛かり。
 何台も脇の空地に止められ、1台ずつ運転手が呼び出されている。何ごと?  酔っ払いチェックだった。ほかにも麻薬や銃火器取締り等で、ときどきあるらしい。もちろんわが車はOKだった。

酒気帯び運転チェック

サインガム公園

サインガム公園

 ピマーイ遺跡公園から車で10分ほどのところにある。ベンガル菩提樹の大木が有名。互いに枝を絡ませあった木の下では、同時に何百人もの人々が雨宿りできそうだ。

 公園への道はガジュマルの樹木群に囲まれて、ひんやり感じるほどだった。
 バンガローのような食事処でタイ料理の小ぶりバイキング。妻もOご夫妻も”トム・ヤム・クン”スープが気に入った様子。お代わりしているから1杯だけ付き合ったが、味覚が失われているせいか、スパイスの効いた甘酸っぱさのみ感じた。
「トム・ヤム・クンではなく、トム・ヤム・ガイです。”クン”はエビ、”ガイ”は鶏肉」
 ガイド氏が教えてくれた。
 ついでながら、「クン」のところが「カイ」なら卵、「タレ」なら海鮮とのこと。「トム」は煮る≠ナ、「ヤム」はあえる=B
 
「いい景色でしょう!」
 ガイド氏推薦の眺望、かくの如し。

サインガム公園


 上記のほかに二つ。

 22日(土)の午後、バンパイン離宮観光のあと、バンコク方面への途中でなんとかという陶器村(ダンタリアン村?)に立ち寄った。
 道路の片側が500mにもおよぶ陶器店のオンパレードだ。大概の店では店員が小物製作中である。おばちゃんたちで、みんな浅黒いいい顔をしている。腕前はもちろんその道のプロ。二、三のところでしばし見とれて佇んだ。
 妻はあちこちでテニス仲間やらへのおみやげ物色に余念がない。出発時刻が差し迫ったころ、やっと数珠のようなのを見つけ、あわてて買い求めていた。
 
 もう一つは"タイ古典舞踊"
 23日(日)の夜はバンコク泊。夕食はバイヨークスカイホテルからマイクロバスで30分ほど、郊外のさるレストランでタイ舞踊ショー&ディナーだった。
 客席は、板の間座敷に舞台に向かってテーブルが縦なりにたくさん置かれ、満席。300人以上は入っていたか。
 タイ古楽器の演奏にはじまり、続いて女性数人の優雅な踊り。トリはもちろん"タイ古典舞踊"。
 演じられたのは「タイ仏教の大叙事詩『ラーマキエン』ということだった。コーンと呼ばれる仮面舞踊劇だそうで、資料の助けを借りるとこうだ。

「華やかなタイシルクをまとった美女と仮面を付けた男性が登場して、ワンシーンが4-5分の速いテンポで展開される。細やかな動きや表情、哀愁に満ちた音楽から愛憎の葛藤劇が演じられる」 (自由旅行の達人、タイ・マレーシア、弘済出版社
 
「仮面舞踊とはいえ、女性役、神や王族役の演者は仮面を付けず、付けているのは魔族、猿族、動物だけだ」 (わがまま歩き、タイ&アンコールワット、実業之日本社
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