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風邪
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旅程(3)
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メモ
 間の抜けた紀行文、と一笑に付されそうである。
 悲惨な旅行だった。風邪を軽んじ、侮(あなど)った結果、怒涛のしっぺ返しを受けた。年齢(とし)と体力の限界を変に納得させられた。

『こだわりのタイランド6日間』

 2003年3月20日(木)、イラク戦争勃発の日に成田空港を発って、丸々4日間のタイランド。バンコクを起点・終点として周辺の要所を巡り、25日(火)朝、夜行便で帰った。

 出発1週間前に関西へ出かけた。高校の同期会が大阪天王寺であり、出席。ついでにその前日、仲間の誘いで奈良見物をした。

奈良・石舞台古墳にて
奈良・石舞台古墳にて(3月14日)

 同期会の翌日、帰りの新幹線で体の異変に気づく。故郷新宮の同期女性群が手土産してくれた"さんまの姿寿司"をボストンバッグから出して、一口つまんだときだ("さんま寿司"がぼくの大好物であることは自他ともに許している)。
 こんなときはビールだが、不思議とその気にならず飲み物はお茶。
 尻尾のところを口にもっていくと、鼻腔が酢の匂いに反応して軽く咽(むせ)んだ。
 それでもおふくろの味と食い意地で、1本平らげた。もう1本は夜食用に大事に包む。
 その間、咳(せき)が断続した。

 帰って2日間、「同期会と奈良見物」のホームページ制作に力を入れた。夜なべもいとわなかった、ということ。
 (「某日at某所」に「2003年3月、はまゆう会」として掲載)

 完了を待ちかねたかのように、風邪が咳と胴震いを伴ってぼくを直撃した。タイランド出発3日前だ。厚い布団に包(くる)まって、激しい咳に眠れぬ昼夜を過ごす。
「命には代えられないから、キャンセルしましょうよ」
 大げさな表現で制止する妻に、「なんのこれしき」、真顔で反抗すること2日間。頼りの市販風邪薬はまるで効能なし(なぜ医者に診てもらわなかったのか)。
 それでも、罹(かか)ってもう何日も経っている! あとは回復以外ありえない。
 コンコン咳き込みながら、内心楽観づくしで見切り発車したのだった。
 妻には、
「今夜バンコクで1泊したら、きれいに直っているよ」
 信じて疑わない気持ちの発露だから、彼女もやっと気を取り直した。

成田空港にて(3月20日)
成田空港で搭乗待ち

 成田発NH915便(全日空)が高度1万メートルを超えて水平飛行に入ったとたん、脂(あぶら)汗がドドッと出て、血の気が引いていく。背もたれしてもうつむいても、どうしようもない。そのまま奈落の底へ直行か…………
 後部ケイタリング(台所)のところまで行って倒れ、だらしなく体を折り曲げて寝転がる。少し気分が和らぐ。咳(せき)はひどいが。
 駆けつけたスチュワーデスの緊急手配で、満員近いエコノミークラスの3人席をやりくりしてくれ、そこに寝る。体温は「37度4分です」。
 バンコクまで7時間の飛行中、咳に咽(むせ)び寒さに震えた。 


 風邪でさえなかったら! 帰ったいまも地団太している。
 ツアーは予想外の少人数だった。ぼくたちと夫婦もうひと組の4人だけなのだ。に対して、現地はずっと通しのガイド+ドライバー付10人乗りマイクロバス。いわば大名旅行だ。しかもパートナーは願ってもない気さくなご夫婦だった。
 天気も景色も見所も、ホテルも食事も、なにもかも文句なし。すべてを合わせてこの顛末(てんまつ)……。Oご夫妻と妻に土下座するのみである。

ピーマイ遺跡公園にて
ピーマイ遺跡公園


 
 タイランド4泊とも朝まで咳(せき)の猛攻撃を受ける。
 風邪薬、うがい、のど飴、水分補給、マスク、首にタオル。あらゆる手を尽くすも、大津波に軟(やわ)い土嚢(のう)を盛るの類。あとはひたすら神頼みだが、神様たちもお忙しいらしい。
 唯一救われたのは持参のMDだ。4泊とも夜通しMD寄席。志ん生の寝床、二階ぞめき、たがや、……。円生の居残り佐平次、子別れ、お神酒徳利、……。笑いながら咳いた。
 妻も寝られなかったのは自明だが、致し方ない。悪いことをした。
 
 昼間は夜中ほど悪くはない。夢遊病者よろしく、みんなにくっついて一応ツアーを完遂した。
 「饒(じょう)舌の私がしゃべれないのはつらい、悲しい。私の分も大いに楽しんでくださいますよう!」、メモ書きをご夫妻に渡し、彼らとガイドとの掛け合いに聞き入った。どこを巡っているかはあとで案内パンフを見ればわかるということにして、要所はデジカメに収めたつもり。
 帰りの成田空港で、”新型急性肺炎”のチェックがあった。折りしも、悪性ウイルスが香港や中国広東省で猛威を振るっていたのだ。
 「ご心配に当たらず!」
 検査官のご託宣をいただいた。マスク姿で咳も聞こえたはずなのだが、なんの疑いも見せず笑顔で応対してくれた。
 自分で原因がわかっていたつもりだし、また、帰りの機中でスチュワーデスも、気にする様子はなかったが、何となくほっとした。

 かようにしまらない旅だったが、そのまま忘却の彼方にしてしまうのは惜しい。デジカメ写真と案内書等を見比べながら、整理することにした。
 たぶん場所と地名が食い違ったり、遺跡や社寺の名があやふやだったり、その他でたらめが多かろう。それはそれ、自分なりの旅の思い出とする。
 
 帰国してちょうど1週間たった昨日(4月1日)、ややふらつきながらもテニスコートに出て、ラケットを握った。
「どれほど快復しているか、お試しになったら!」
 医者の指示による。
 いまも少し咳は出るが、ほぼ快復。半月越しの風邪からやっと解放された。
 今日もスクールに行った。休み休み、ほどよい汗を流して楽しんだ。明日からは普段の生活に戻れる。次章以降は、おぼろな記憶を頼りに、なんとかまとめるつもりである。 

 (この項、2003.04.02記す。)

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