異文化! 旅を通して感じたことだった。帰って半月以上たったいまも同じ思いである。
タイと言ってもバンコクの周辺をひと巡りしただけだ。それも足掛け5日間のみ。目をつむって象の鼻に手を触れるの類(たぐい)。で、こんな感想。ちょっと羽目を外している気もするが、許されたい。
西欧の文化と隔絶していることは異論なしとして、同じ仏教でも中国やシンガポールとはまるで違う。
歴史のいくつかの断面に違った王朝が現れ、それぞれが何世紀かにわたって地域型小文明(local
civilization)を築いた。各所の遺跡がそれぞれの違いを物語っているのだが、際立った識別がしづらい。むしろ各時代の小文明が織りなして、いまの"タイ文化"になっているのではないかと感じた。
「田舎文化」。怒らないでほしい。感じたままを書いている。おおらか=Aはしこくない(ずるがしこくない)=A……純朴≠フ意と解釈してほしい。なべて優しい≠ェ似合う。おっとりしている≠ニいえば、また怒られそうだが。合掌≠フあいさつが象徴的だった。
独断と偏見に基づくこういう一括りは好みではないが、敢えて踏み込めば、この風土、ぼくのような性格が安心して溶け込めそうな印象をもった。気候条件でまいってしまうだろうが。
こう大上段に振りかぶった建前はともかく、現実はマスクの中で咳き込みながらのあえぎ旅。どこをどう巡ったのやら。
手持ち資料の助けを借り、一応の旅行記としてまとめてみたい。いつの日かぼく自身の参考になれば、という魂胆もある。
(なお、下の各小見出しをクリックすると、その場所のスナップ写真が現れますので。)
ダムノン・サドゥアク運河・水上マーケット
(Damnoen Saduak Market)
バンコク政府が文化保護と観光客誘致を目的に新しく開発したマーケット。ラマ4世の時代、1868年に造られた運河にある(バンコクの南西約80km)。本格的な水上マーケットの雰囲気を味わうにはうってつけ。 |
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船着場で小型ボートに乗る。広い川幅が途中から狭まって、しばらくすると、ごた混ぜに商品を積んだ小舟が左右に寄ってくる。
気を惹かれるのが結構あったが、妻の制止を振り切れず、お香だけ買った。売り手のおばちゃんたちが、なにやら話しかけながらニコッとするその顔つき。昔の南紀熊野のふる里を思い出させた。押し売りするでもなく、商売終えると、手を振って遠ざかっていった。
ワット・アルン(暁の寺院)
(Wat Arun)
アユタヤ時代にはワット・マコークという小さな寺院だったが、トンブリー王朝のタクシン王が、現在ワット・プラ・ケオに安置されているエメラルド仏を奉る第一級王室寺院とするように命じてから守護寺とされた由緒ある寺院。
アルンとは「暁、曙光」の意で、三島由紀夫がこの寺をモチーフに「暁の寺」を執筆したことで知られる。
見所は高さ75mの大仏塔で、16mだった塔をラマ3世の時代に再築。頂上部にバラモン教のシヴァ神の象徴リンガをまつる。 |
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荘重な寺院にして、厳かというより明るい。大仏塔でなければこれほど有名にならなかったのだろうが、豪壮と繊細を兼ねそなえた偉容を誇っている。
白亜が青空に映えて、蒸し暑さを忘れさせた。栄光の往時はかくもありなん、などと想像を巡らせながら見物。気分的に涼しい散策だった。妻は佇んではしきりにメモする。一句できたのかどうか。
王宮 (Grand Palace)
現地ガイドのA氏と妻
トンブリー対岸のラタナ・コーシンと呼ばれる地域は現チャクリー朝の発祥(1781年)の地で、全長1900mの白壁によって囲まれた20haの敷地内には、歴代の国王たちが、その権力と財力を誇示するかのように競って建てた数々の王宮のほか、王家の菩提寺であるワット・プラ・ケオなど豪華絢爛たる建物が集まっている。タイ建築の集大成ともいえる建物や調度品には金や宝石が飾られ、見ごたえ十分だ。
王宮の中央にそびえる白亜のチャクリー宮殿は、タイと西洋の建築様式が融合した独特のデザインが見事。王宮内では最古とされるデュシット宮殿は、白い外壁に7層のきらびやかな色彩の屋根が映え、タイ伝統建築の傑作とされている。 |
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ここはどこをどう歩いたのやら、なにも思い出せない。予習するとしないとでは、また気持ちの高揚のあるなしでは、決定的に違った結果になるの典型か。
いわばタイランド6日間のハイライトを見過ごしてしまったのだから、もったいない話! 悔しいが、スナップ写真でお茶を濁さざるをえない。
ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)
(Wat Phra Keo)
1874年、王宮敷地内に建てられたチャクリー朝の守護寺院。京都や奈良の社寺と違って、ワット・プラ・ケオの寺院、仏塔は金・青・橙などの極彩色に彩られ、その派手さに度肝を抜かれる。
院内には国宝級の壁画・仏像が数多く収蔵されているが、中でも本堂に安置されたプラ・ケオ仏は必見。高さ66cm、エメラルド色に輝く翡翠(ひすい)でできた仏像は、一説によると紀元前にインドでつくられ、数奇な運命を経てタイに渡り、タイの歴代の王朝の宝物とされてきた。いわば、タイ史におけるシンボルであり、現在でも年に3回、国の繁栄を祈願して、国王自らが仏像の衣装交換の儀式を行うことでも、その価値がわかろう。
別名エメラルド寺院とも呼ばれている。 |
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派手はど派手だが、度肝を抜かれるほどの違和感はない。風土にマッチしているせいだろうか。
カメラをしまい、靴を脱ぎ、脱帽して本堂に入る。うやうやしくひざまずいている信者たちの後ろに座って、しばしの安息。咳も忘れて、ぽつねんとプラ・ケオ仏を拝観したり、信者のしぐさに見入ったりした。
タイ式参拝はこうらしい。
まず、靴を脱いで仏像の前に座る。正座でなく、足を崩すのがタイ式だ。次に、願い事を頭に浮かべながら、手の平を合わせ、深く三拝する。ぼくもそのようにした。
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