その1 その2 その3 その4
7月7日(土)
 岩手県花巻市の「ホテル志戸平」で一夜明けた。本日(最終日)の出発はゆっくりで、9時。
 これから平泉の中尊寺へ一直線。じっくり参観することになっている。昼食後は、栗駒高原山腹の温泉に立ち寄ってひと風呂浴びる算段。あとはひたすら福島県の郡山駅へ。そこから東北新幹線で東京へ戻り、東北バス旅行が終わる。
1.中尊寺
 中尊寺は何年前か、確かに一度は訪れている。しかも、このホームページ「中高年の元気!」は、少なくとも数年前までは、こうした旅を欠かさず紀行文、少なくとも写真集にして残してあるぼくの足跡なのだから、どこかに必ずあるはずだ。それが今のざっと見では見当たらない。
 ともあれ、中尊寺で印象に残っているのは「金色堂」のみ。それもあの時、黄金色輝くお堂を期待していたから、幾分失望しかけたのだった。
 金色堂を覆って保護している覆堂をそれと勘違いしたのであって、中に入って金色堂そのものを見て納得したのだった。建立された頃はさぞかし目もくらむほどの光り輝くお堂だったのだろうと、余計な想像もしたが。(残念ながら、撮影は覆堂の外観のみ許可されている。)
 芭蕉がここに立ち寄ったこと、奥の細道で先刻承知。「五月雨の降り残してや光堂」
 「平泉」の項で、「夏草や兵どもが夢の跡」の句のあと、このように続く。

 「兼て耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散りうせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚の叢と成るべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぎ、暫時千歳の記念とはなれり。

五月雨の降り残してや光堂」

Wikipediaの説明を引用しておく。

中尊寺

 岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所。山号は関山、本尊は釈迦如来。寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は藤原清衡。
 奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財を有する。
 境内は「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定されている。2011年(平成23年)6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。
 平泉毛越寺、松島瑞巌寺、山形立石寺と共に「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。

金色堂

 中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂である。
 奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されている。

中尊寺、その他の写真

 1時間ばかり中尊寺境内を巡った。バスの待つ広場まで10分ほど歩いて、その近くのそば屋で昼食をとった。

 この旅で一度もそばを味わっていない。ぼくは手打ちそば、結構いけた。


 本日の走行:370km。
 朝9時にホテル出発、6時半郡山駅着。その間の殆んどの時間がバス車中だった。
 4日前の新潟駅前から本日の郡山駅まで、総走行距離:1,210km。
 これを一人の運転手さんがまさに安全運転で走り抜けてくれた。ありがとう。心より感謝。
 われわれを降ろした後、新潟駅へ引返し、明日は千葉県房総半島の観光を引き受けているという。驚き恐れ入るとともに、こんな、ぼくの理解では、過酷な仕事が一般に許されているのだろうか、との疑問もわいた。いずれにしても安全第一、そしてご本人の健康第一。

 さて、ぼくたち旅の友は? 大宮駅と上野駅で数名が下車し、残り全員が東京駅でお別れした。ぼくたち夫婦は京葉線で舞浜駅へ。バスに乗り換えて、自宅着は10時頃か。
 ぼく個人は明日からこの旅のまとめ作業が始まる。写真整理に丸2日。そしてどのようにまとめていくか。紀行文にしたい気持ちもあるが、とりあえずは「写真集」ということに。新規購入のカメラの具合は?
 1週間ほど忙しい日が続くことになろう。

朗読 9:31
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再朗読(2023.08.30)
小話集第63話「2018年7月、東北バス旅行4日間」
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