あらまし ベルツ記念館 熱帯園
湯畑 白根神社
  
2.ベルツ記念館 (2月27日)
 
 7時、朝食。このホテルだけでこんなにも観光客がいたのか。会場はあふれんばかりである。
 上野から往復特急指定席、朝食・夕食付き、源泉の温泉ホテル2泊3日で一人2万2千5百円。ぼくたちのツアー料金だ。この盛況なら、ホテルも旅行社もペイしているのだろうと、余計な想像をした。
 しかし……、ヨーグルトのない朝食なんて! 身勝手ながら残念。おかゆの和食にした。
 バイキングで品数豊富。案じたとおり食べ過ぎた。妻も。
 晴天、風もなく、これくらいの寒さはありがたいといわねば。9時半にホテルを出発。徒歩10分の「道の駅」を目差す。湯畑(ゆばたけ)とは反対方向だ。
 その真ん前に「ベルツ記念館」があることを知らなかった。もっとも、ベルツ博士自体を知らなかったのだから。事のついでに入館してよかった。余得を授かったようで、うれしくなった。
 1階はボヘミアングラスの売店になっている。2階の「ベルツ記念館」とどんな関係にあるのだろうか? ウインドーショッピングしながら首を傾げたが、詮索無用、2階へ上がった。

ハナ夫人
 エルヴィン・フォン・ベルツ博士。日本近代医学の父と称され、「Wikipedia」によると、
 1849年、南ドイツのビーティヒ・ハイム生まれ。
 1866年、チュービンゲン大学医学部に入学、1869年ライプツィヒ大学に転学、ウンダーリヒ教授の下で内科を修める。
 1870年、軍医として普仏戦争に従軍。
 1875年、ライプチヒ大学病院に入院中の日本人留学生相良玄貞をたまたま治療することになり、日本との縁が生まれる。
 1876年、お雇い外国人として東京医学校(現在の東京大学医学部)の教師に招かれる。
  • 1881年、東海道御油宿戸田屋のハナコと結婚。
  • 1902年、東京大学退官、宮内省侍医を勤める。
  • 1905年、夫人とともにドイツへ帰国。熱帯医学会会長、人類学会東洋部長などを務める。
  • 1913年、シュトゥットガルトにて死去(享年63)。
草津温泉との関わり
 草津温泉を再発見、世界に紹介した人物でもある。1878年頃より草津温泉を訪れるようになり、「草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある。 もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、カルロヴィ・ヴァリ(チェコにある温泉)よりも賑わうことだろう」と評価する。
  • 1890年、草津に約6000坪の土地と温泉を購入、温泉保養地づくりをめざす。
  • 1896年、草津の時間湯を研究した論文『熱水浴療論』が『ドイツ内科学書』に収蔵される。
  • 2000年、草津町では、町制施行100周年を記念して、ベルツ記念館を開設。
 二階記念館掲示の講演内容が胸を打った。そのまま載せる。
第1回日本連合医学会での講演
(明治35年4月2日 東京音楽学校大講堂にて) 
満堂の諸君!
 日本医学大会で発言する栄誉を得ましたことは、わたくしにとりましてこれが最初であり、同時にまた最後であろうと存じます。したがって、ここでわたくしがお話いたしますのは一種の遺言とも言えるものです。
 医学大会が有益であり、ことにこの日本で必要な理由は、それが医師相互の間の重要な個人的交際を仲介するからでもありますが、このことでのみ最新の知識が国内のいずれの地域へも急速に、しかも徹底的に普及され得るからでもあります。
 肝要な点なのですが、身体を幼児から強壮にすることです。そこでこの機会にいま一度わたくしは、予防医学と物理療法の重大性に、また極めて重要でありながらしばしば軽視または誤解されていた家庭医の仕事に、諸君のご注意を促したいと存じます。その本分は、先ず病気が起こるまでを待つのではなく、虚弱で危険な箇所を遅滞なく見分けて、適切な助言を与えることであります。
 医学は学問であるばかりではなく、技術であるということは、いくら繰り返しても多すぎることはありません。それでは一体、なんのために医者は勉強するのでしょうか?
 病気の人たちを治すためです! 病人が医師を呼ぶのは、医師がうんと勉強をして、うんと知識があるからではなく、その知識を病人に役立つように応用してもらうためです。そしてこの応用こそ、すなわち技術なのであります。
 わたくしが心から期待し、希望するように、日本の医学が従来のように今後も引き続き栄えるためには、医学会に関与するすべての人々が力を合わせて共同の仕事を成しとげることが必要なのであります。
岩波書店「ベルツの日記」より抜粋 
 
 一階の売店は素通りで終えたが、陳列棚はこんな具合だった。
 「道の駅」での買い物を書き忘れるところだった。あれこれ物色したが、結局地酒を一本。浅間酒造の「特別本醸造秘幻 (720ml)」、壱千参百円也。
 妻は温泉饅頭や漬け物を見回っていたが、ここでは買わず仕舞い。夕刻湯畑(ゆばたけ)から帰り際に、その並びの本家○○と元祖△△でそれぞれを買っていた。
朗読(6:23) on
 
<あらまし 熱帯園>
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