あらまし ベルツ記念館 熱帯園
湯畑 白根神社
  

草津の湯
1.あらまし
 草津温泉を中心に、地図を見てみた。
 南へ直線で30kmのところに黒斑(くろふ)山がある。6年前(2001年7月)に妻と登った山だ。その真東すぐが浅間山で、群馬と長野の県境になっている。
 あのとき、黒斑山頂(2404m)での印象を次のように書いた。
 切り立って、下方の眺望をさえぎるものはない。その分、《登った》感を深くする。
 正面は浅間山。聳(そび)える雄姿にガスが流れ、台形状の山頂が覆われたと見る間に山容は下へ下へと姿を消してゆく。
 浅間山麓からこちら黒斑山の山裾(すそ)に広がる草原”湯ノ平”も、時を待たず、薄もやのベールに包まれる。
 青空は急転して灰色のどんより雲、もやの湯ノ平≠ヘ淡緑の大海原になる。「山歩き」第46話
 地図に戻ると、
 西北には草津白根山と元白根山があり、その北が志賀高原で、そんなに遠くない。もっと北へ行くと苗場山、2002年秋に登った山だが、これは遠すぎる。
 ずっと東には渋川市。大同特殊鋼時代、30数年も前だが、3回ほど渋川工場に来た。
 渋川から真北の水上は、KKRのホテルに二度5泊6日滞在し、シニアパソコン教室の講師を務めた思い出の地だ。
 他にも周辺に馴染みの町や山がありそうだ。結構周辺を巡っているではないか。
 それで、草津温泉は今回が初めて…………
 2007年2月26日(月)。
 JR上野駅で、10時発特急草津3号に乗る。高崎線、吾妻線を経由して、12時28分、長野原草津口駅で下車。
 ごった返す青空ターミナルで、草津温泉行きJRバスに乗り換えて約30分、1時半には「草津温泉ホテルリゾート」にチェックインした。28日(水)の昼過ぎまで、2泊3日草津温泉・フリータイムの旅の宿だ。同行は20人ほどいるようだが、プライベートの旅行と同じ。滞在を通じて、顔見知りになった人たちと挨拶を交わすだけで過ぎた。
 和式の広々とした部屋に案内され、少し寛いでから、行動開始。
 温泉街の下見を兼ねて、湯畑(ゆばたけ)へ10分ほど歩く。夕刻までその辺を散策した。
「一度来たことがある!」
 そんな気がして妻と顔を見合わせるが、どちらも思い出せない。まさかテレビ画面の仮想現実か……? 帰宅した今も首を傾げている。
 あとはホテルの温泉・露天風呂にゆっくり浸かり、夕食。
 9時には床について、ウオークマンの落語をヘッドホンで楽しむ。桂文治の「親子酒」と「禁酒番屋」、三笑亭可楽の「二番煎じ」までは覚えている。志ん生の「あくび指南」に笑いながら眠ってしまったようだ。妻はテレビ桟敷を続けたあと、寝床で『芭蕉の誘惑』をしばらく読んだとか。
 2日目(27日)のフリータイムは有効活用できた。
 春うららのような天候に恵まれて、10時前から5時過ぎまで、実の濃い一日だった。
 ベルツ記念館、熱帯園、湯畑、白根神社。それぞれ項をあらためて記す。
 最終日(28日)はふるえた。
 ホテルを引き払うのは午後だから、午前中は湯畑界隈をもう一度ゆっくり散歩、そんな考えは吹っ飛んだ。
 代わりに温泉三昧。ホテルの温泉だからといって馬鹿にしてはならない。湯舟も洗い場も広々としている。湯は源泉で、温度管理は行き届いている(42度?)。露天風呂も風情がある。早朝、食後、出発前と、昼過ぎまで3度『草津の湯』に浸った。
 それでも時間が有り余った。ラウンジで各紙の朝刊をくまなく読む。
 毎日と読売が1面で報じ、朝日と日経が社会面で大きく取り上げていたのが俳人飯田龍太の死去(25日)。蛇笏の四男で、享年86歳。山あいの風景を愛し、他者に優しく、己に厳しい人だったという。
・春の鳶(とび)寄りわかれては高みつつ
・どの子にも涼しく風の吹く日かな
・子の皿に塩ふる音もみどりの夜
・一月の川一月の谷の中
・紺絣(こんがすり)春月重く出でしかな
・大寒の一戸もかくれなき故郷
・千里より一里が遠き春の闇
・またもとのおのれにもどり夕焼中(ゆやけなか)
 昼食は、蕎麦の「うし代亭」まで5、6分歩く。その短い距離の寒さが身にしみた。不要と決め込んでいたマフラーと手袋、それに帽子の耳覆いが役に立った。風花が舞って、蕎麦屋玄関の温度計は零度だった。盛り蕎麦を考えていたが、温かいきつね蕎麦にした。妻は昨日と同じ、鍋焼きうどん。
 主人に、「やっと本来の寒さですね」と言うと、「いえいえ、いつもならマイナス15度ですよ」………… 
 この旅、龍太のどちらの句をとるか。
春の鳶(とび)寄りわかれては高みつつ
大寒の一戸もかくれなき故郷
朗読(9:20) on

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