1.まえおき 3.二日目
2.元旦 4.アラカルト
Part 3 二日目

 朝の湯は露天風呂「星月の湯」にて。こちらは榛名山系の水道水とか。屋内湯船の茶色と違って、無色透明。

 朝食も昨夜と同じ2階個室にて。正月料理の数々がきれいに盛り付けされている。が、見ただけで、ぼくの胃袋の許容量をはるかに上回る。食べ残しが見苦しくならないよう、いささか箸のつけ方に注意した。お屠蘇(とそ)は遠慮。
 あとは旅館恒例の餅つきを待つのみ。

新春餅つき大会

 9時半開始の予定。その少し前に広いロビーに出る。準備作業とて、従業員が二人で臼に(きね)()ねている。その周りを既にかなりの客が囲んでいる。

 それが終わって餅つき本番だ。今度は半纏(はんてん)姿の男性が交代で杵を振りかぶり、ドッスンドッスン。
 会場はいっぺんに華やぎ、取り巻く大勢の客の殆んどがスマホでパチリパチリ。

 合いの手をつかさどっている和服の女性は?! 女将さんだ。それもつき手が入れ替わる中、最初から最後まで一人でやり通す。

 びっくりした。体力・集中力ともに大変なこの仕事を、なんの気負いも(てら)いもなく自然体でこなしている。塚越屋七兵衛の飾り気のないもう一つの顔かもしれない。

 つき終わると、今度は客が食べる番。
 長なりテーブルに小皿がいっぱい並び、湯気あふれるつきたて餅が運ばれ、具材をそろえた一方の端で女性従業員が慣れた手つきで一口餅に仕上げていく。きな粉餅、小豆餅、大根おろし餅。それに青菜とシバ漬けの漬物がお口直し。
 前に列をなした客はそれぞれ皿に盛られた好みを手に取る。

 ぼくもここは別腹で、3種類すべてをいただいた。スーパーで買う機械捏ねに慣れきっている身として、手作り餅の味は格別と予想はしていたが、正直言葉を失った。塚越屋七兵衛のみなさん、ありがとう、ありがとう。妻もこのとおりです。

石段街

 元旦の昨日は見ることもならなかった。本日は餅つきの後、塚越屋のミニバスがこの近くまで送ってくれた。

 この伊香保石段街、戦国時代の天正4年(1576)に完成とか。長篠の戦で敗れた武田勝頼が多数の負傷兵治療のために造らせたという。
 今は昭和55年から5年かけた工事により、山上の伊香保神社から山裾の伊香保御関所まで365段で、長さ300㍍。
 温泉街のこと、両側に土産物屋、旅館、飲食店、饅頭屋、射的場が並ぶ賑やかな繁華街でもあった。

 途中に与謝野晶子の詩がこのように刻まれている。(不鮮明で恐縮)

 日本三大名段とか。他の2つは、山形県山寺と香川県金比羅。ぼくもこれですべてに足跡を残した。とくに山寺の石段は印象深い。10年ほど前(2008年)の真夏、芭蕉の「おくの細道」追っかけツアーに参加して訪れた。1千段を超す石段を休み休み上りながら、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」、この句なんとお似合いと感じたものだ。

 今年の石段ひなまつりは、3月2日(土)と3日(日)だそうだ。早春の伊香保を彩る風物詩。下の写真のように、保育園児たちが薄化粧してそれぞれの衣装をまとい、石段にしつらえられたひな壇に勢ぞろいとか。
 塚越屋七兵衛の別館「香雲館」に1泊を予約して、楽しませてもらおうかな。

伊香保温泉旅館協同組合提供

伊香保神社

 山上のこの神社、大昔の天長2年(825年)の創建だそうで、富岡の貫前神社(ぬきさきじんじゃ)、赤城の赤城神社とともに上野国(かみつけのくに)三之宮といわれているそうだ。
 御託はともあれ、拍子抜けするほどのこじんまり。本殿はここでいいのかなと首を傾げつつ、本年の初詣でとした。

 …………
 伊香保は温泉饅頭(まんじゅう)発祥の地とか! 茶褐色の湯の色を模して作られた名物「湯の花饅頭」。有名ブランドという清芳亭で一折購入した。

帰路

 S君夫婦と母君とは高崎駅でお別れ。午後1時の新幹線に乗車。大宮まで30分ばかり立ちんぼを覚悟したが、ラッキー! 自由席が横並びで空いていた。
 妻と2日間の幸せを語り合っているうちに東京駅着。ぼくたちにとっては平成31年も陽春に恵まれて、清々しい新春幕開けとなった。

 明日はもう正月3日。浦安三社詣でか、それとも自宅でゆったりか、……。

「3.二日目」朗読 9' 06"