S君夫婦との待ち合わせは、午後2時、JR高崎駅改札口だ。ここから伊香保温泉まではS君の運転で連れて行ってくれることになっているし、高崎駅までの途中駅や電車名は娘からの連絡に従えばよい。
10時半まで暇を持て余し気味に手荷物のチェックを繰り返す。妻は元旦とて、何かと忙しそう。
まさに陽春。娘の指示より少し前に自宅を出発。
マフラー・手袋なしのカジュアルスタイルだが、帽子にはこだわりがある。今日はこのよれよれハット。右の写真に示すが、ちょうど10年前(2009年)に中欧を巡ったとき、ドブロブニク(クロアチア)で買ったお気に入りだ。
〝だるま〟は、自宅陳列棚のゆとりなさに鑑み、一番小さいのを購入。当然まだ目は入ってない。
本年はどんな願いを込めようか? 断捨離されない、体重減らす、……、海外旅行は無理かな?
どんな福が授かれるか? 大それた願いで、かなえられないままの片目では何だが、ぼくには見果てぬ夢もあっていいのでは、とも思う。七転び八起きだ。
伊香保温泉へ
母君、お待たせ。高速道経由で一路伊香保温泉へ。1時間ほどで道路脇に「ようこそ」の標識。
ここは渋川市内なのだ。この町、ぼくには忘れがたい。48才まで勤めた大同特殊鋼の鍛造工場がある。40才にしてニューヨーク勤務を控え、同工場で数日間特訓を受けた。当時の工場長は前に上司だったK氏。「久しぶりだね。頑張ってくれよ」と、連日、夜に重点を置いて特訓を施してくれたのだった。
…………
伊香保温泉、石段街へ向かう。というか、本日の宿はその近くらしい。
S君の腹づもりでは、この石段街、足を踏み入れなくとも、どんな具合かくらいは見せられる、ではなかったか。残念ながら商店にさえぎられて、眺望及ばず。「明日、帰りがけに立ち寄りましょう」、ということで宿へ直行。
温泉宿「塚越屋七兵衛」
石段街からそれこそ数分で、本日の宿に着いた。
塚越屋七兵衛、面白い旅館名だ。江戸末期、文久年間の1863年創業という。が、近代的に建て替えられていて、趣きがある。S君がチェックインの手続きをすます。
6階の部屋に案内される。S君夫婦と母君の部屋、その隣がぼくたち。賓客並みの広々とした和室。申し分なし。
早速ぼくは温泉風呂へ。2階の奥まったところに庭園大浴場「ほととぎすの湯」。露天風呂は明朝として、屋内「黄金の湯」に浸かる。伊香保でも数少ない茶色の源泉、そのかけ流し。カラスの行水ではもったいないと、湯船から出てはまた入りなおす。じっくり新春の息吹をいただいた。
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「ほととぎすの湯」、
伊香保を愛した徳富蘆花の
小説「不如帰」にちなんだか。 |
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夕食は2階個室で6時半から。S君と楽しく一献傾けることができた。

正月元旦も手伝ってか、料理はめでたしずくめで盛りだくさん。年明け早々にもったいない話だが、ぼくは半分近く残してしまった。
と、女将さんがあいさつにお出まし。暫し話が弾む。

実はS君と女将さんは、今は亡き彼の親友を介してのお知り合いなのだ。あれこれ、あらかじめS君から聞き及んではいたが、それをはるかに上回って女将さん。翌日帰宅してからインターネットやパンフレットを見るにつけ、今に至る彼女の半生に感銘した。最終章に記す。
明朝9時半から、ホールで新春餅つき大会だそうだ。それを楽しみに、部屋に戻るや、早々と床に就いた。