萩の旅 中国地方の旅
Part111 萩博物館、松下村塾
Part112 野山獄跡、東光寺、
大照院、萩城跡、
城下町、藍場川
Part21 津和野、萩、秋吉台、
秋芳洞
Part22 錦帯橋、安芸の宮島、
広島平和記念公園
中国地方の旅 Part 1
 4月初めの萩3泊4日は、ぼくたちどちらにも思わぬ好印象を与えた。
 妻はいつになく句心を刺激されたようで、持参のノートはメモで埋まっている。ぼくはぼくで香り高い風物・歴史に触れ、海の幸山の幸でぜいたくをさせていただいた。
 「もう一度行きたい」、そんな漠たる二人の余韻が底にあって、妻が見つけたのがこのツアーだ。
…………………………

 初日の5月17日(木)は、羽田空港を日航機で11時45分に発って広島空港着13時10分。以降は観光バスで山陰山陽をめぐり、三日目の夕刻、広島空港へ舞い戻ることになっている。
 以下、日を追って記す。

初日、津和野 (5月17日)

 NHK-FMの日曜喫茶室で独特の語り口がなじみ深く、『散語拾語』 (朝日文庫)を楽しく読み、絵でほっとさせられている安野光雅氏のふる里というだけでうれしい立ち寄り先である。それ以上に一般的には「山陰の小京都」。ずっと以前から〝行ってみたい〟町だった。
 残念ながらこの旅ではつかの間の小休憩でしかなく、消化不良のままあとにすることになる。旅程の時間を追えばやむなしか。

 瀬戸内海に近い広島空港からはるばる日本海に面した山陰の地までバスの橋渡しではたした。当然、津和野到着時刻はとっくに正午を過ぎている。遅い遅い昼食の後に1時間程度の市内散策で多くを望むのはムリということ。安野光雅美術館も素通りだった。
 いずれ鳥取砂丘や出雲大社を訪れたいから、そのときは津和野一泊付のツアーを選ぶことにしよう。
 垣間見た二景のみメモしておく。

殿町通り

 武家屋敷が建ち並んでいた面影が色濃く残り、掘割りには錦鯉が何匹も泳いでいた。なまこ壁が1ヶ月前の萩とダブる。
 たまたま妻は軽い車酔いで、ここはスキップした。

津和野カトリック教会

 「昭和6年に乙女峠の殉教者の遺徳を顕彰するために建てられた」とか。礼拝堂内は畳敷きらしいが、外観だけで終わった。
 その外観だけでも何となく魅力を感じる。内覧は津和野再訪時の楽しみとする。

その他のスナップ写真

…………………………

 4時過ぎに萩着。1ヶ月前の景色・たたずまいが目になじむ。松陰神社に入って松下村塾を今度はガイドの説明付で見学した。

松陰神社 ↑
松下村塾 ↑↓

 第一夜は萩観光ホテル。萩市郊外、笠山の中腹にある。温泉露天風呂で一日の疲れを癒やして、夕食は「河豚(ふぐ)尽くし」の豪華版。豊かな気分で地酒の熱燗を一献ということになった。

 箸包みに郷土民謡の歌詞が5つ載っている。「男なら」「女なら」「萩つばき音頭」「嫁泣節」「長州音頭」。「長州音頭」を参考までに。

長州よいとこ 長門に周防
 花は自慢の 勤皇桜
咲くも散らすも 国のため
 ソーレ ソレソレ ソレチャ
    長州 エエトコナー

長州名所は 松陰神社
 花は散っても その名を残す
大和心の 花桜
 ソーレ ソレソレ ソレチャ
    長州 エエトコナー

…………………………

 5月18日(金)、旅の中日(なかび)。今日も忙しい。
 8時半のホテル出発前に笠山明神池への案内があり、妻だけが参加した。ぼくはトイレでゆっくり。
 午前中は萩焼窯元、萩城城下町。
 そしてオプションだが、妻は仙崎の「金子みすゞ記念館」へ、ぼくは「青海島遊覧船」を選んだ。

青海島(あおみじま)・大島周遊

 小型船舶でのクルージングはいつどこでも楽しい。山口県長門市仙崎のこの巡航も思った通りだった。
 カモメが追いかける波しぶきの前方向こうに小島の数々、磯に釣り人、魚をねらう鷲や鷹……、眼前の景色が次々と変わっていく。自然の迫力が伝わってきてスリルがあり、われを忘れた1時間だった。

 その間、妻は? 「金子みすゞ館」を楽しんでいた。

みすゞ館畳あたたか靴ぬぎて
学童の声のあふれて燕の巣
春ともし机に詩集開かれて

秋吉台、秋芳洞

 午後一番は山口県美祢(みね)市に広がる秋吉台、そして秋芳洞。地上と地下のパノラマだ。
 秋吉台は国内最大規模のカルスト台地という。
 ラビエと称する大小さまざまの石灰岩柱が並ぶ“地獄台”はドリーネと称するすり鉢型の窪地を多くともない、雄大な眺めだった。
 
40年ほど前、Penn State大学留学当時に日本人三人旅で訪れ、驚愕した米国西部の化石の森公園、Petrified Forest National Parkを連想したがどうか。管理人(ranger)の許可を得て持ち帰った小さな化石がいまも机上にある。

秋吉台
Petrified Forest, 1969

 さらに有名な秋芳洞はここからほんの近くにある。そのはず、秋吉台の地下100mに広がる全長約10kmの大鍾乳洞だ。明治42年(1909)に観光地となったよし。
 約1kmの観光コースを歩いた。段々畑状の百枚皿、高さ15mの黄金柱、傘づくし……。これらが現在のこの姿にいたる自然の悠久の造作を想像するだけでも平伏してしまう。

 3年前(2009年)に中欧4ヶ国を旅したとき、クロアチアのポストイナ鍾乳洞を訪れた。そのけた外れの壮大さに度肝を抜かれたこと、いまもって記憶鮮明だ。
 規模といい、深さといい、かの鍾乳洞に比べるのは野暮だが、何もスケールだけがすべてではない。掛け値なしに見応えがあり、感じ入った。
 40年前米国縦断の旅をしていたとき、上記のとおり、アリゾナ州のペトリファイド・フォレストに立ち寄ったのだった。同じ旅で足を止めたサウスダコタ州・ウィンドケーブ(Wind Cave National Park)の鍾乳洞も思い出した。あの時、さほどの感動を覚えなかったのはなぜだろう。

Postojnska ↑
Wind Cave, 1969 ↑↓

秋芳洞、その他の写真

Part2-1 朗読(11:15) on
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