「エジプト・トルコ2008」の紀行文を書き終え、手慰みの『落語の話』も、第45話として一応の体裁を整えた。紀行文と併せて2時間50分の朗読もし終えた。ぼくなりの旅の完結である。
そんな日に、妻と歌舞伎座へ行った。起きがけに一作業して、iPodにその長い朗読を仕込んだ。
携帯して、往復の時間と、帰り新浦安の喫茶店で涼むひとときを利用すれば、歌舞伎見物の総時間にも相当するぼくの奮闘を通しで聴ける≠「いチャンスと思って。 |
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8.「らくだ」を歌舞伎で見た |
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新聞販売店に歌舞伎座入場券を2枚もらってあった。ただし入場するためには、窓口で指定席券に換えてもらう必要がある。3日間有効で、今日にした。8月12日(火)。
午前11時の第一部をめざして、10時前に窓口の列に並び、3階Bの並び2席を得た。 |
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歌舞伎には関心うすいせいか、今日も演目を知らぬまま入場しようとしていた。
看板を見ると、「女暫(しばらく)」「三人連獅子」ときて、トリが「らくだ」。知らなかった。歌舞伎にも「らくだ」があったのだ。
11時に「女暫」で第一部が開演。北野天満宮を舞台に、巴御前が福助、他に三津五郎、七之助、勘三郎……豪華キャストだった。
「三人連獅子」は橋之助、扇雀、国生(橋之助の長男)の踊り。
そして「らくだ」。
紙くず屋が勘三郎で、やくざが三津五郎。死人のらくだには亀蔵(という役者)が扮していた。
落語では出てくる月番、八百屋が出ず、代わりに、落語にはない「ノリ屋のばあさん」とやくざの妹が出て、落語では名前だけの大家の女房がかなりのセリフで騒いでいた。
長い噺だ。どこまでやるのかなあ、と思いながら見ている。やはり最後の焼き場までは行かず、途中、長屋で、馬の死体を横に紙くず屋がへべれけになって、やくざにくだを巻くところで終わった。
らくだに扮した亀蔵はお疲れ様だった。死んだままで操り人形よろしくカンカンノウ(看々踊かんかんおどり)を踊ったり、大団円では逆に後ろに回ってやくざを操ったり……笑いながら大いに感心した。
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先入観の恐さを知った。馬は図体がでかく、太っていて、長屋のやっかい者。兄貴分のやくざは、馬以上にガラが悪くて、志ん生によれば「顔は切り傷のデパート」。紙くず屋は、小柄やせ形で、気の小さい気のいい男。これが落語。
そんな人物像に対して、歌舞伎では、やせ気味の亀蔵の馬はともかく、三津五郎のやくざは格好良すぎるし、紙くず屋の勘三郎もぼくのイメージとは違っていた。
ではあれ、歌舞伎は様式美。対して落語は「地のまま」といったところか。和歌と俳諧(川柳)の対比に似たり、などと思った。
となれば、歌舞伎の「らくだ」はこれでいいのだ。配役はピタリだったのだ。 |
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登場人物の名前でつっかえた。落語のと違っている。
紙くず屋が「久六」、やくざが「手斧目(ちょうなめ)の半次」、その妹が「おやす」で、大家「左兵衛」に女房「おいく」。そして死人の主役らくだが「馬太郎」。
やくざの妹と家主の女房は、もともと落語にはないから横に置く。
帰ってからiPodとMDの『らくだ』を聴いた。可楽が3本、それに志ん生と文珍。
可楽のは、いずれもくず屋が「長公」で、らくだが「馬」。やくざと大家の名前はない。焼き場でくず屋が隠坊(おんぼう)を呼ぶところがあるが、「げんぼう!」と聞こえる。
志ん生のは、くず屋が「久蔵」で、らくだが「馬」。こちらもやくざと大家の名前はない。
文珍のは、くず屋が歌舞伎と同じ「久六」だが、らくだが「ウノスケ」で、やくざは「ノウテンの熊五郎」。
可楽は最後の焼き場の場面まで行っているが、志ん生と文珍は歌舞伎と同じ、くず屋がやくざにくだを巻くところで終わっている。 |
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書棚の本をちょっと繙(ひもと)いてみた。
うろ覚えのとおり、「らくだ」は上方落語だった。可楽があまりにも有名なので、米朝のを聴いたとき、そう思っただけで終わっていた。
本題は「駱駝の葬礼(そうれん)」という。文珍のを聴くと、その言葉「葬礼」が何度も出る。
真打の大ネタと云われるだけあって、多くの噺家が競っている。横綱は六代目笑福亭松鶴、とどの本もいう。1時間以上の熱演らしく、それを聴きたい。意外と浦安の図書館にCDはない。DVDがあったので、予約した。
米朝をもう一度聴きたい。残念ながらCDは壊れたままとかで、これも借りられず。枝雀のもなし。 |
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可楽の「NHK名作選16」から、あらすじを拾ってみると、 |
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大酒飲みで酒乱、本名が馬であだ名がらくだ。どっちみち図体のでかい男。長屋中きっての嫌われ者である。兄貴分が訪ねて来て、「馬、起きねえ」と言うが、季節外れのふぐにあたって死んでいる。
通りがかった紙くず屋が災難。商売道具を取り上げられたうえ、「らくだの葬式を出したいので、月番のところへ行って長屋の連中から香典を集めてこい」と、やくざに脅される。やっとのことそれを果たすと、今度は「大家のところに行って、酒三升と煮しめを届けるように。よこさないなら、らくだの死体を持ち込んでカンカンノウを踊らせると言え」。
「とんでもない」と大家が断ると、くず屋にらくだの死骸を背負わせて乗り込んだあげく、ほんとうにカンカンノウを踊らせた。「カンカンノウ、キュウノレスー」。
八百屋から棺桶代わりに四斗樽(しとだる)を巻き上げ、大家の届けた酒でやくざとくず屋の酒盛りがはじまる。はじめはおとなしかったくず屋ががぜんやくざにくだを巻いてあたり散らかすことになる。……ここで歌舞伎は終わり。落語も多くはそうだ。
そのあと、へべれけの二人がらくだの死骸を四斗樽に詰めて焼き場(火屋ひや)に運ぶのだが、途中で落っことしてしまう。火屋の隠坊(おんぼ)に「ないよ」といわれた二人は、暗闇を探しに戻る。そのあげく間違えて、酔いつぶれて寝込んでいた願人(がんにん)坊主を持ち帰ったからたまらない。四斗樽で火の中に放り込まれた願人坊主、「あちちちッ、ここはどこだ」「火屋だ」「ヒヤでいいからもう一杯」。 |
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歌舞伎ネタの落語は多い。「仮名手本忠臣蔵」は十一段まで全てが落語に取り入れられている(はず)。ぼくの好きなのは、「淀五郎」(四段目)、「中村仲蔵」(五段目)。忠臣蔵以外では、「源平盛衰記」「景清」「猫の忠信」「…………」。
「らくだ」のほかに落語ネタの歌舞伎は? 上方落語の「地獄八景亡者戯」は歌舞伎でやってるのかなあ? 円朝の作品は歌舞伎にあうらしい。「真景累ヶ淵」「牡丹灯籠」「四谷怪談」といった怪談話、「文七元結」「芝浜」といった人情噺。「死神」も歌舞伎化されているようだ。
そんな詮索をするのは、「らくだ」を歌舞伎で見たからだが、「エノケンの演劇か映画で、『らくだの馬さん』というのがあったなあ」と、変な記憶がよみがえった。 |
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朗読(12'28") on |