Part1 1. 安眠剤 2. ぼくなりの楽しみ方
Part2 3. 好みの出し物、噺家 4. 聞き比べ 5. 宿屋の富
Part3 6. 寄席では味わえない 7. 志ん生と圓生
Part4 8. 「らくだ」を歌舞伎で見た
落語の話 (その3)
6.寄席では味わえない
 映画は映画館に限る。野球は球場で見たい。美術は美術館へ行くしかない。そう思っている。
 クラシック音楽は? わざわざ都心のコンサートホールへ足を運び、高い料金(かね)を払ったうえに、両隣を見知らぬ人に挟まれた窮屈な席で、都合3時間近くも……。
 それだけの価値あるコンサートもあろう。いつのことだったか、上野文化会館でカルロ・マリア・ジュリーニがロサンゼルス・フィルを指揮した、ブルックナーの交響曲第8番。1万円は惜しくなかった。ジュリーニの恰好いい指揮を日本で見る貴重なチャンスでもあった。
 海外では結構行っている。ニューヨーク駐在の4年間は、地元のカーネギーホール、エイベリー・フィッシャー・ホール、メトロポリタンオペラ座、……ボストン、シカゴ、セントルイス、ロサンゼルス、サンフランシスコ、出張の機会を生かした。
 観光旅行でも、ロンドンではロイヤル・フェスティバル・ホール、コヴェント・ガーデン、ロイヤル・アルバート。プラハではスメタナ・ホール、ウイーンではテアトル・アンデルウイーン、国立オペラ座。……ホノルルでもコンサートホールでバッハを聴いた。と、自慢たらしくなる。
 国内では20年ほど前、NHK交響楽団の定期コンサート会員だった。勤め先が虎ノ門だったから、渋谷は近い。
 それだけの話で、その後は、家からコンサート会場へ出向くのはよほどの時だけで、これまでめったにない。もっぱらオーディオ派に甘んじている。

 落語は? 東京の大学に入学して和歌山県の田舎を離れた。それまで落語はぼくの体内に入っていただろうか。上方漫才の方がもちろん身近だった。エンタツ・アチャコ、ダイマル・ラケット、いとし・こいし、ミスワカサ・しまひろし……。五代目志ん生、六代目圓生、八代目文楽、三代目金馬、……知らないわけではなかったろうが。
 学生時代はラジオでよく聞いた。当時は落語の番組が多く、夕方からはどこかの局でやっていた。たしか金馬は落語協会を脱退し、寄席が遠ざかっていた分、民放にもNHKにもよく出ていた。

 その寄席だが……、無為に過ごしてしまった学生生活を振り返ると、また当時が大立て者オンパレードだったことを思い起こすと、有り余るほど時間があったあの頃に、なぜ寄席通いをしなかったのだろう。返すがえすもだが、過ぎたるは及ばざる……である。
 その後もいまに至るまで、ほんのときたましか行っていない。行きたくない理由もないかわり、強いて行きたい気持ちにもならない。ひと頃三遊亭円窓師匠と親しくなる機会があったが、いつしか遠のいてしまったし、柳家花禄さんとも近づくきっかけがあったが、それきりだった。独演会に何度か足を運んだということだ。

 今は早、往年の大看板はほとんど故人で、存命ではあっても舞台でお目にかかれそうもない。昭和全盛時代の噺家をいまの寄席で味わう……、残念ながら無いものねだりだ。だからCDで残された豊富な音源は貴重な文化遺産で、ありがたい≠ノ尽きる。

 ときどきテレビの「日本の話芸」やその種の番組で、現役の立派な噺家を見せつけられる。有望な噺家が育っていることも自覚させられる。かといって、上野・浅草・新宿にまで足を運んで寄席通いか……。
 ぼくは根っからの落語好きではなさそうだ。落語は話芸だけではない。出囃子にはじまって、所作、小道具……、耳と目を楽しませる芸である。その意味で、耳だけで楽しんでいるぼくは本物の落語を知らないといえる。

 志ん生・圓生をはじめ、その時代の噺家のビデオが相当量残っているようで、放映されるときがある。そのときはありがたく見入る。がこれが普段しばしばならどうなのだろう。
 やはりぼくにとって、落語はCD(いや、iPod)に限る。安眠の友≠ノ画面は不要である。 

7.志ん生と圓生
「子別れ」「三軒長屋」「文七元結」……、志ん生と圓生の違いを楽しんでいる。志ん生はどの噺も幾つか音源があり、それぞれで長さも話しっぷりも違う。ぼくがCDで聞いた限りでは、寄席のライブがほとんどだ。
 圓生は、寄席ライブは当然として、「圓生百席」というスタジオ録音がある。これはどれもたっぷり聞かせる。落語や漫才は、客の笑いや拍手やしわぶきが聞こえてこないと感じが出ない……と思っていたが、〈そうとも言えない〉という気持ちになった。
「真景累ヶ淵」等の怪談噺、「帯久」「お藤松五郎」等の人情噺をはじめ、「品川心中」はぐうの音も出なかった。「鹿政談」「紫壇楼古木」といった聞かせる噺も納得である。よく「百席」を残してくれたものだ。

 志ん生のなにが好きか。なんでも、としか言い様がない。その時の気分や調子で巧拙もあろうが、どれも並みではない。ただ、晩年ので言葉が判然としないのと、一つ、「三枚起請」で「セイさん」を「イノさん」と間違えて、それを繰り返したのだけはひっかかる。
 圓生は、落語安眠剤派のぼくにとって、なんでもとはいかない。好きなのを、前述とダブらない程度に、幾つかあげておく。
 死神、鰍沢、相撲話(花筏、阿武松、稲川)、お神酒徳利、淀五郎、居残り佐平次、佐々木政談、近江八景。

 好みの基準? 志ん生はさわやか∞楽しませる∞さっぱりしている=c…もっと言い表現があるのかもしれない。
 圓生は、しみじみ∞聞かせる∞耳より話=c…、くどい≠ニ感じるのもある。
 評論家ぶっておこがましいことが口を突いたが、両師匠とも余韻たっぷり∞納得∞満足≠ナある。

 で、「子別れ」のこと。
 上・中・下に分かれていて、両師匠とも全てをじっくり、聞かせる。

 「上」 大工の熊五郎が、とむらいから帰る途中で、屑屋の長公と吉原へくり込む。
 「中」 熊が吉原に居続けたあと家に帰る。女郎とののろけ話を女房にくどく聞かせ、女房は息子の亀吉を連れて家を出てしまう。熊は女郎を連れ込んで一緒に暮らすが、うまくいかずに女郎とも別れる。
 「下」 女と別れた熊はまじめに働く。ある日、木場へ行く途中で偶然亀吉と会う。熊は自分が悪かったと謝り、金をやって、翌日ウナギを食わせてやると約束する。
 亀は家に帰り、お金をどこで手に入れたかと母親に詰問され、玄翁(げんのう)でぶたれそうになり、父に会ったのを白状してしまう。
 翌日亀が父と会いウナギを食べていると、母親は店の前を行ったり来たり。亀吉が「おっかさんが来たよ」と言って二人は再会し、三年ぶりにもとのさやにおさまる。
「こうやってもとのようになれるのもこの子があればこそ、子は夫婦の鎹(かすがい)ですねえ」
「やあ、あたいが鎹だって、道理できのう玄翁で頭をぶつといった」
 志ん生は、47分52秒で演じている(「名演集15」)。軽妙で、思わず笑ってしまうが、段々引き込まれて、後味がいい。
 圓生のは「百席」で、総時間なんと1時間52分25秒。マクラも途中の運びも丁寧で長い。真面目なだけ笑えない、スタジオ録音の功罪でもあろう。オチは志ん生以上にほろっとくる。
 「三軒長屋」はどちらも楽しい。「文七元結」は圓生の方があっているような気がしている。
 おあとがよろしいようで…………
朗読(14'10") on
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