映画は映画館に限る。野球は球場で見たい。美術は美術館へ行くしかない。そう思っている。
クラシック音楽は? わざわざ都心のコンサートホールへ足を運び、高い料金(かね)を払ったうえに、両隣を見知らぬ人に挟まれた窮屈な席で、都合3時間近くも……。
それだけの価値あるコンサートもあろう。いつのことだったか、上野文化会館でカルロ・マリア・ジュリーニがロサンゼルス・フィルを指揮した、ブルックナーの交響曲第8番。1万円は惜しくなかった。ジュリーニの恰好いい指揮を日本で見る貴重なチャンスでもあった。
海外では結構行っている。ニューヨーク駐在の4年間は、地元のカーネギーホール、エイベリー・フィッシャー・ホール、メトロポリタンオペラ座、……ボストン、シカゴ、セントルイス、ロサンゼルス、サンフランシスコ、出張の機会を生かした。
観光旅行でも、ロンドンではロイヤル・フェスティバル・ホール、コヴェント・ガーデン、ロイヤル・アルバート。プラハではスメタナ・ホール、ウイーンではテアトル・アンデルウイーン、国立オペラ座。……ホノルルでもコンサートホールでバッハを聴いた。と、自慢たらしくなる。
国内では20年ほど前、NHK交響楽団の定期コンサート会員だった。勤め先が虎ノ門だったから、渋谷は近い。
それだけの話で、その後は、家からコンサート会場へ出向くのはよほどの時だけで、これまでめったにない。もっぱらオーディオ派に甘んじている。
落語は? 東京の大学に入学して和歌山県の田舎を離れた。それまで落語はぼくの体内に入っていただろうか。上方漫才の方がもちろん身近だった。エンタツ・アチャコ、ダイマル・ラケット、いとし・こいし、ミスワカサ・しまひろし……。五代目志ん生、六代目圓生、八代目文楽、三代目金馬、……知らないわけではなかったろうが。
学生時代はラジオでよく聞いた。当時は落語の番組が多く、夕方からはどこかの局でやっていた。たしか金馬は落語協会を脱退し、寄席が遠ざかっていた分、民放にもNHKにもよく出ていた。
その寄席だが……、無為に過ごしてしまった学生生活を振り返ると、また当時が大立て者オンパレードだったことを思い起こすと、有り余るほど時間があったあの頃に、なぜ寄席通いをしなかったのだろう。返すがえすもだが、過ぎたるは及ばざる……である。
その後もいまに至るまで、ほんのときたましか行っていない。行きたくない理由もないかわり、強いて行きたい気持ちにもならない。ひと頃三遊亭円窓師匠と親しくなる機会があったが、いつしか遠のいてしまったし、柳家花禄さんとも近づくきっかけがあったが、それきりだった。独演会に何度か足を運んだということだ。
今は早、往年の大看板はほとんど故人で、存命ではあっても舞台でお目にかかれそうもない。昭和全盛時代の噺家をいまの寄席で味わう……、残念ながら無いものねだりだ。だからCDで残された豊富な音源は貴重な文化遺産で、ありがたい≠ノ尽きる。
ときどきテレビの「日本の話芸」やその種の番組で、現役の立派な噺家を見せつけられる。有望な噺家が育っていることも自覚させられる。かといって、上野・浅草・新宿にまで足を運んで寄席通いか……。
ぼくは根っからの落語好きではなさそうだ。落語は話芸だけではない。出囃子にはじまって、所作、小道具……、耳と目を楽しませる芸である。その意味で、耳だけで楽しんでいるぼくは本物の落語を知らないといえる。
志ん生・圓生をはじめ、その時代の噺家のビデオが相当量残っているようで、放映されるときがある。そのときはありがたく見入る。がこれが普段しばしばならどうなのだろう。
やはりぼくにとって、落語はCD(いや、iPod)に限る。安眠の友≠ノ画面は不要である。
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