志ん生と圓生の「三軒長屋」「子別れ」、圓生と米朝の「鹿政談」、米朝と志ん生の「三枚起請」……、古典落語で一人の噺家しか演じていない出し物を思い出せない。
志ん生おはこの「火焔太鼓」だって、金原亭馬の助のが「NHK落語名人選」にあるし、息子の志ん朝のはDVDで残っているし、橘家圓蔵(前の月の家圓鏡)がやっているのをテレビで見たことがある。桂文治(朝日名人会ライブ)のが意外といい。
「志ん生と圓生」については次章で触れる。ここはほんのさわり。
志ん生はらい落・ひょうきんで、笑わせると思うとじっくり聞かせたり。対して圓生は、長い。とくに「圓生百席」では、心ゆくまで語っている。真面目・こだわり・理詰め。好き不好きは聞き手によるだろう。ぼくはその情報の豊富さ≠ェ好きだが、くどく感じるときもある。
「三軒長屋」は両師匠とも持ち味が出ていて面白い。「子別れ」は、志ん生のほうがもっと好きだ。面白おかしく聞き手を引きずり込んで、しみじみ・ほろっとさせて落とす。
「鹿政談」は安眠剤としてもほどよいからよく聞く。もとは上方落語だ。圓生のは「NHK落語名人選」と「圓生百席」で、「百席」は長い。米朝は「米朝落語全集」からとった。
お二人ともマクラで、江戸・京都(きょうとう)・大坂(おおざか)・奈良、それぞれの名物を取り上げている。奈良の名物町の早起き≠ヨの伏線である。
米朝のを引用すると、
江戸の名物
武士鰹大名小路生鰯、茶屋紫に火消し錦絵
京都の名物
水壬生菜女羽二重みすみ針、寺に織り屋に人形焼き物
大坂の名物
橋に船お城芝居に米相場、惣嫁揚げ屋に石屋植木屋
奈良の名物
大仏に鹿の巻筆あられ酒、春日灯籠町の早起き
筋、オチとも両者ほぼ同じだが、どちらも味わい深くていい。何度聞いても、マクラがとくにいい。
「三枚起請」はぼくの「大好きベスト」に入る。
お女郎にコケにされた三人が仇を打ち損なうの巻。志ん生のを引用すると、
「なあ、女郎なんてえものは、客をだますのが商売だ。だから、おれたちは、だましたのをぐずぐずいうんじゃねえ。おめえのだましかたがしゃくにさわるから、こうやって文句をいうんだ。むかしからいうじゃねえか。『いやな起請を書くときにゃ、熊野でカラスが三羽死ぬ』って」
「あら、そうなの。三羽死ぬの? それならね。あたしは、もっともっといやな起請をどっさり書いて、世界中のカラスを皆殺しにしたいよ」
「皆殺しにする? おめえは、カラスに恨みでもあるのか?」
「べつに恨みなんかないけどさ。世界中のカラスを殺して、ゆっくり朝寝がしてみたいんだよ」
熊野はぼくの出身地だ。帰郷すると「高野坂」(こうやざか、こやのざか≠ニもいう)をよく歩くが、カラスが必ずいて、「カーカー」鳴いているところがある。三輪崎口から石畳を上っていくと、「(熊野灘)展望台」への標識があり、そのあたりだ。雑木林の途切れ際で騒がしい。
標識の矢印に沿ってあぜ道をたどると、断崖絶壁に行き着く。見渡す限りスカイブルーの熊野灘だ。足をすくませながら真下を見下ろすと、岩礁に白波がザーッと跳ね返っている。向こうに目を転じると、三輪崎の海に小島が二つちょこんと浮かんでいる。わが一押し、南紀熊野の景勝である。
高野坂とカラスのせいでこの出し物が好きというわけではない。歯切れがいいし、棟梁も猪(いの)さんも清(せい)さんも、活き活きしている。笑わせながらトントンと進む。
志ん生はもちろん、米朝も快調で、両者とも何度聞いてもまた聞きたくなる。健やかに眠れる。
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