如水会館図書室のこと
しょっちゅう鍵がかかっていて、閲覧しにくいですね。
昔は鍵はかかっていませんでした。閲覧者のマナーがよかったのです。借りてもちゃんと返したから何の心配もありませんでした。
いまの図書室は、当時より立派な書籍が備えられているせいかもしれませんが、切り抜いて持っていかれたり、返却されなかったり、といったトラブルがあり、管理のためにやむなく鍵をかけるようになり、いまに至っています。
私は「鍵をやめなさい」といい続けています。
しばらくは紛失や切り抜きが止(や)まないでしょう。が何らかの方策で改善して欲しい。図書室を14階から地下室に移すとか、コピーを簡単にできるようにするとか……。
如水会ネットについて
これからはIT時代ですから、会員同士のコミュニケーションにせよ、如水会と会員のかかわりにせよ、ネットを通じた交流は大事なことです。如水会報も如水会ネットにもっとページを割けばいいし、みなさんももっと如水会報を活用すべきだと思います。
携帯電話が急激に便利になってきました。その情報力を活用した連携がどんどん増えていくでしょう。高齢者も嫌がっているわけにいかなくなります。持つと便利だから、自然親指族になってしまいます。4、5年もすれば抵抗なく如水会や大学のネットがもっと広範囲に活用されるようになるでしょう。
情報伝達、情報交換の様変わり、その便利さが全てに良かれとなるかどうか疑問視する向きもありましょうが、このことで次回話し合ってもよいと考えます。
ネットの発展とみなさんの活躍に期待しています。
後輩に贈る言葉
一橋出身の代表的有名人といえば、石原慎太郎氏(昭和31年、1956年法卒)ということになります。彼は総理大臣公選になれば、小泉さんを上回るのではないですか。
竹中平蔵氏(昭和48年、1973年経済卒)はとかく言われていますが、立派です。
速水優(まさる)氏(前日銀総裁、昭和22年、1947年学部卒)は私たちより少し後輩ですが、彼は学生の頃から話が下手で、思っていることをうまく言葉にできない人でした。そのためにすごく損をしています。でも日銀総裁としてとかく言われながらも、やったりやらなかったりしたことが多くあります。そのうち彼の「やらなかったこと」で、10年後に評価されることがいくつか出てくるでしょう。
彼の業績はなかなか評価されないのですが、私は高く評価しています。5年、10年経つとわかるでしょう。
一橋は経済・経理に強いという社会一般の評価があります。が実際は、商学部・経済学部出身でもあまり経理を勉強していません。とくに学生のときは、簿記や会計を馬鹿にしているのです。そのために卒業してから苦労します。
私はどちらかといえば理工系の頭だから、経済学の中でも、会計学や統計学に興味があって、これらを勉強しました。ゼミは太田哲三先生(明治44年、1911年本科卒、大正2年、1913年専攻部卒)でした。社会に出て、勉強が非常に役立ちました。
金庫番はお金を出し入れします。大体経理担当者は、請求者が信用できればその人の判子を見て金を出します。
私はうるさいほうで、内容がわからなければ、請求者がだれであれ、訊きました。説明に納得がいかないと、現物を見に行くことにしていました。
そんなことで、いろんな分野をいやというほど勉強してしまいました。そのため、経理にとどまらず、特許や開発に首を突っ込むことになりました。これがまた後々非常に役に立っています。
四神会(ボート部OB会)の会長であった伊藤治雄氏(昭和12年、1937年卒)が毎年学生への訓辞で言われたことは次の二つでした。
酒色におぼれるな
簿記を大切にせよ
一橋出身者は、それだけで何らかの社会的評価はあります。でもそれに応じられる力がなければ困ります。
で、社会に出てからのほうがもっと大事になるのですが、学生時代から少しでも会計学等の勉強をやっているのといないのとでは違ってきます。
いまはコンピュータの時代で、昔のソロバンの頃とは違い社会での仕事の内容も変わってきています。それに伴い学校での勉強も様変わりでしょうが、世の動きを入れてみなさん4年間励んでいるわけです。
が、ボート部なんかに入っていればあまり勉強できませんよね。別の勉強をしているからそれはそれでいいのですが……。でも、時間があれば少しでも勉強して欲しいです。
伊藤氏の前に四神会の会長だった朝海浩一郎氏(昭和4年、1929年卒)も学生時代はボート部でした。
彼は合宿のときも、他の部員が騒いでいるちょっとした時間に勉強をしました。何を勉強されたかは定かでありませんが、駐米大使になって、語学力もそうでしょうが、基礎的な勉強が役に立ったはずです。
外務省は経理的な考え方に弱いです。彼は自分なりに勉強していました。だから駐米大使として、単なる外交ではなく、政治に並行して経済に強かったことが大使として実績をあげられた理由ではないかと思っています。
…………
男子校が男女共学になったいきさつ、専門部と学部の関係、等々、「十和田」に席を変えて話すことにしましょう。
(拍手)
2時間近くにわたるお話はひとまず終了として、出席者一同浅草「十和田」へ向かった(学生2名は都合で欠席)。
ビールで乾杯し、中村先輩ご推奨「そば味噌つまみ」のアントレで幕を開けた夕食会の模様は、写真集でご想像いただくことにする。
雑記帳第32話〔母校の話〕 おわり
2003.07.20
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