2ヶ月前(2003年5月)、大学母校の中村達夫先輩と後輩の渡邊桃伯子(ともこ)女史の3人で昼食をともにした。浅草すしや通り「十和田」にて。
 中村先輩は昭和16年(1941年)卒業、渡邊女史は昭和55年(1980年)卒、ぼくはそのほぼ中間にあたる昭和39年(1964年)卒だ。
 
 渡邊女史が、「隅田川沿い桜満開!」というわが拙文で、中村先輩とぼくが「すみだ郷土文化資料館」のあと、浅草「十和田」へ行ったのに目がとまった。早速メールで、
「花見の仕上げを十和田とはいいですね。私もあの頃を思い出します」
 それを伝えたところ、
「では3人で十和田へ」、先輩が快く応じてくれたのだった。
 例によって「胡麻(ごま)味噌」をつまみにして、熱燗少々の食前酒。
 歓談しばし、ほろ酔いにまかせ、女史と二人で、
「先輩は母校がボート全盛時代の現役選手でしたよね。二・二六事件の年、予科に入学されて、太平洋戦争勃発のあおりで昭和16年12月に繰上げ卒業、即兵役。波乱の人生に突入でしたね」
「母校をはじめ、学問の府も大変だったでしょう」
「波乱に至る時代の流れやその後の昭和の激動を目の当たりにされているというか、渦中におられたわけで」
「できれば私たちにお話願えれば……」
 そう棹(さお)さすと、
「いいよ。君たちがお望みになるなら」
 快く受けてくれた。

 幹事役を渡邊女史が引き受けてくれ、広報にこれ努めてくれた。
 出席者13人。少人数ではあったが、学生(2名、ボート部)から84才の大先輩まで、ほどよく年代は分散していた。

…………

 2003年7月12日(土)。
 梅雨曇りの空で、外は半袖も脱ぎたくなる暑苦しさだ。
 墨田区向島二丁目の「すみだ郷土文化資料館」5階会議室は、末木より子様と館員各位のご好意で、この会合のために準備されていた。
 
 2時半、「ご存知でない方はいないはずですが……」
 と、渡邊桃伯子女史が中村達夫先輩を紹介する。
 マイク片手に腕まくりして、いつものユーモラスな調子で、先輩のお話がはじまる。
 レジュメを引き受けているぼくは、最近購入した「ボイスレコーダー」の助けを借りることにした。

中村達夫先輩

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