初日(7月1日) 旅館到着、北向観音
2日目(7月2日)-1 周辺社寺
2日目(7月2日)-2 常楽寺、安楽寺
3日目(7月3日) 上田城址

 7月2日(木)、旅の2日目。カラッと快晴、暑くなるか。

 10時前に宿を出て、夕刻帰るまで、一日中別所温泉周辺の社寺を気ままに楽しんだ。
 〝信州の鎌倉〟、別所温泉の表看板に偽りはなかった。街中にも近隣にもお寺が散らばっている。鎌倉に比べるとそれぞれが小ぶりだが、周囲の田園風景はまこと信州、お寺の厳粛味と自然のおおらかさが調和して、心を和ませてくれ、目の保養となった。

 別所温泉駅の停留所から周辺地域巡回のバスサービスがあることを確かめていた。
 15分ほど揺られて中禅寺入口で下車。
 ここから数ヶ所社寺を巡り、途中あじさい小道を散策し、無言館で締めくくる。これがとりあえずの予定で、その順路で推移した。

………………………

中禅寺

 真言宗智山派・龍王山中禅寺という。
 創建は天長年間(824~34)、空海が雨乞いの祈祷をするために草庵を結んだのが始まりと伝えられている。
 その後、永享年間(1429~41)、寛文5年(1665)、享保5年(1720)と火災にあい、多くの堂宇、寺宝、記録などを焼失。
 享保19年(1734)に祐精法印が中興開山し、現在の本堂を建立した。

 中禅寺薬師堂(下の写真)は、鎌倉時代初期の創建と言われ、中部日本最古の木造建築だそうだ。
 〝方三間宝方形造り〟と言い、カヤ葺きの重厚な屋根をのせた簡素なつくりで、荘厳なたたずまい。
 堂内には、寺宝の〝薬師如来座像〟と〝手なし神将〟が安置されている。(下の写真)

中禅寺、その他の写真

塩野神社

 中禅寺の横にあった。
 この辺からはじまる「あじさい小道」に興味を奪われて、数枚写真を撮るだけで通り過ぎてしまった。

 案内板を借用して取り繕う。

 『延喜式に載せられている信濃の名社。
 古来この地方の信仰の中心で、塩野北条氏、武田氏、真田氏等の統治者はこの神を厚く崇敬した。
 中でも永禄11年(1568)の武田信玄の祈願状や天正15年(1587)の真田昌幸の寄進状などが有名。
 かつては神宮寺も付属している大社であり、武田信玄は二十寛文の朱印状を奉納していたといわれる。』
あじさい小道

 塩野神社から龍光院に至るまで、〝あじさい小道〟を歩いた。
 この辺ではまだ盛り少し前なのだろうか。咲き競ってはいるが爛漫とは言い難かった。

風穴は夏蚕(なつご)生かして山の神
山したたる仲良き笑みの道祖神
Emiko

あじさい小道、その他の写真

曹洞宗宝珠山・龍光院

 「信州会」のホームページによれば、

「弘安五年(1282)、塩田城主北条国時の開基、月湲(げっけい)和尚を開山として創立。初め仙乗寺と称したが、慶長六年(1601)、龍光院と改められた。この寺は、塩田北条氏の菩提寺であり、塩田城を挟んで その祈願寺と伝えられる前山寺と相対する。」

獨股山・前山寺

 「とっこさん・ぜんさんじ」と呼ぶ。
 案内書によれば、

 独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。
 弘仁年中(812)空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝えられている。当初古義真言宗として法相、三輪両宗を兼ねていたが、元弘年中(1331)讃岐国善通寺より長秀上人が来止し、正法院を現在の地に移し、前山寺を開山したと伝えられている。
 塩田城の鬼門に位置し、その祈祷寺として、武将の信仰も厚かった。
 貞享年中(1684-)鶏足寺を離末し、京都の智積院末となり新義真言宗信州常法談林所として教学の殿堂であった。かつては四十数ヶ寺の末寺をもち、歴史のある寺として知られている。

 離れで住職の女将さんが営む休息処があり、ご自慢の「くるみおはぎ」をいただいた。

夏座敷座して山風ほしいまま
Emiko

前山寺、その他の写真

別所神社

 古くは「熊野社」といわれ、紀州(和歌山県)の熊野本宮大社から分祀(ぶんし)されたそうだ。
 熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)が近い和歌山県新宮市出身のぼくとしては無視できない。明治11年(1878)に別所神社に改められたそうである。
 そんなところだが、恥ずかしながらこのこと、帰宅してから知った。無視した分写真も数枚しか撮ってない。

 この本殿、「一間社隅木入春日造(いっけんしゃすみきいりかすがづくり)」と言う。18世紀に建造、「当初の形式がよく残され、文化財として保存価値の高いものです」とか。

無言館

 社寺を巡ったあと訪れた。有名画家の作品展示とは別次元の感動を覚えさせられた。
 太平洋戦争勃発の前年に生まれたぼくは、彼らが戦没した頃、幼児だったのだ。いまさらながら今日に至るまで、戦争の悲劇に巻き込まれていないことに感謝する。
 そんな気持ちも交えて、複雑な思いを抱きながら、無言館と第二展示館を見て回った。
 以下、Wikipediaから引用する。

 太平洋戦争で没した画学生の慰霊を掲げて作られた美術館で、美術館「信濃デッサン館」の分館として1997年に開館した。館主は窪島誠一郎。自らも出征経験を持つ画家の野見山暁治とともに全国を回って、戦没画学生の遺族を訪問して遺作を蒐集した。
 2008年9月21日に無言館第二展示館「傷ついた画布のドーム」がオープンした。
無言館 ↑
第二展示場 →

 施設名の「無言館」は、展示される絵画は何も語らず「無言」ではあるが、見る側に多くを語りかけるという意味で命名した。客もまた展示される絵画を見て「無言」になるという意味をも含んでいるという。

無言館出て水欲し合歓の花
Emiko
初日(7月1日) 旅館到着、北向観音
2日目(7月2日)-1 周辺社寺
2日目(7月2日)-2 常楽寺、安楽寺
3日目(7月3日) 上田城址
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