1.戌年明けて
2.昨年のぼく
3.「中高年の元気!」の今
1.戌年明けて

 干支で言えば(とり)から(いぬ)へ。2018年、ぼくの元旦は昨年同様、代わり映えなく始まった。
 5時半起床。居間に来て、まずは湯を沸かし、コーヒーを作りながら大部の朝刊に目を通す。
 世界中概ね静かな模様。ホッとして新年のコーヒーを一口すする。
 6時半頃からテレビがにぎやかになる。間もなく富士山の初日の出。各地でも夜明け前の薄闇に大勢の善男善女が集まっている。
 …………
 これ以上ない好天に恵まれ、ほぼすべての展望点で見事な初日の出だ。ダイヤモンド富士も栄えた。
 すべてテレビの話。こちらはエアコンの居間で安楽に全国の新春を垣間見している。

 長女夫婦の誘いで、今年はこれから元旦を筑波山の(ふもと)で過ごすのだ。筑波山神社近くの「つくばグランドホテル」を予約してくれている。

 午後1時を過ぎて家を出発。JR新浦安駅で武蔵野線に乗り、南流山駅でつくばエクスプレスに乗り換えて、つくば駅には3時前着。娘夫婦と義母のSさんが車で迎えてくれた。
 ホテルまでの一本道は人気の神社のつい先とて、果てしない渋滞。普段なら30分の距離を2時間以上費やした。
 部屋からの眺め。右彼方に富士山が見えるのだが。

 温泉に浸って、6時半から夕食。
 およそ2時間の団らんと地産料理・地酒。大いにくつろぎ、新春の豊かなほろ酔いを楽しむ。
 部屋に戻った後、妻が風呂に行っている間に眠りに落ちた。

 明くる2日は筑波山神社に初詣と山頂の展望台へ。ごった返す初詣客に交じって参拝を果たす。新年よろしく、境内の一角でガマの油売り。青空と澄んだ空気に口上が冴えわたる。

 「さあさ、お立ちあい、ご用とお急ぎでない方は、ゆっくりと見ておいで。遠目山越し笠のうち、ものの文色(あいろ)と理方(りかた)がわからぬ。山寺の鐘は、ごうごうと鳴るといえども、童児来たって鐘に撞木(しゅもく)を当てざれば、鐘が鳴るやら撞木が鳴るやら、とんとその音色がわからぬが道理。
 だがお立ちあい、てまえ持ちいだしたるなつめのなかには、一寸八分の唐子(からこ)ぜんまいの人形。人形の細工人はあまたありといえども、…… (後略)」

 ケーブルカーで数分上った展望台では、好天に輝く遥かなる景色を見渡す。真白き富士の嶺、白銀の日光連山、スカイツリー、……、遥か彼方あのあたりに見えるのはぼくのマンション!?

 帰りはつくば駅まで送ってもらい、あとは電車乗り継ぎで何のトラブルもなく、5時には帰宅。お陰で幸せの年初を授かった。


振り返る
 筑波への行き帰り、初夢もどきに酉年の去年(こぞ)一年、さらに数年前までの自分を振り返っていた。
 喜寿(77才)を半年過ぎて、心身ともに衰えを感じている。
 まずは体の健康をと、近所のスポーツクラブ通いは欠かさない。ストレッチ体操とソフトエアロなるトレーニングというよりは体ほぐし、都合1時間。週4日・午前中の日課だったが、いつの間にやら、月・金のみになってしまっている。それでも続けているだけまだましと、自らを慰めている次第。歩数計で1日1万歩を心がけていたのはいつの頃か。
 気になっているのが、目のしょぼつき、鼻づまり、(たん)。後期高齢者につきものの症状だろうが、愉快ではない。

 30年と少し前(1985年)、45才手前で脳梗塞を患った。それが機縁で3年後の48才にして、25年は勤務した大同特殊鋼にオサラバし、見通しなき起業。絵に描いた転落人生と思いきや、拾う神もあり、妻と子供達には迷惑をかけつつ、本人はスーダラ人生でここまで来た。
 が、体にはそれなりの痕跡。左の足腰にハンデを感じている。回復かなわずとも、スポーツクラブが現状維持の命綱と心得ている。

 旅行は、数年前まで国内・海外を問わず進んで楽しんだ。ほぼすべてが夫婦旅(めおとたび)で、計画はぼくの役目だった。
 写真集や紀行文にした旅行に限って、70才から今までを遡ってみると、……。 

海外旅行
2010年 04月、台湾、5日間
12月、モロッコ、10日間
2011年 11月、バルト三国・ポーランド、12日間
08月、上海・江南地方、8日間
2013年 05月、ベネルクス3ヶ国、9日間
2014年 06月、インドネシア・バリ島、6日間
国内旅行
2010年 02月、真冬の北海道、3日間
07月、鳴子温泉・尿前の関、4日間
09月、斑尾高原、4日間
2011年 04月、房総白浜、3日間
04月、田沢湖高原、4日間
05月、日本最果て岬巡り、11日間
2012年 04月、萩と山陰、4日間
05月、萩と山陰・山陽、3日間
06月、高岡市・五箇山、5日間
08月、群馬嬬恋村、3日間
10月、那須高原、2日間
11月、栃木県鹿沼、3日間
12月、那須高原、2日間
2013年 01月、安房小湊、3日間
04月、出雲地方、4日間
10月、奥能登・五箇山、3日間
11月、登別・札幌、4日間
2014年 01月、那須塩原、2日間
02月、房総白浜・野島崎、3日間
03月、琵琶湖・延暦寺・彦根城、3日間
10月、鋸山・日本寺、2日間
11月、沖縄本島、5日間
12月、日光、2日間
2015年 04月、高野山・姫路城・淡路島、3日間
07月、別所温泉、3日間
08月、土湯温泉、3日間
09月、松島。瑞巌寺。五色沼、3日間
11月、兼六園、永平寺、五箇山、3日間
2016年 05月、松代・善光寺・飯山寺町、4日間
11月、墓参の帰郷と南紀熊野、4日間
2017年 03月、京都3日間
05月、京都7日間
11月、信州白骨温泉、4日間

 国内は、一昨年から出不精が見え見えだ。昨年二度の京都旅行は英文京都紹介を意図しての旅だったから、それはそれとして。
 海外はと見れば、もっと歴然。
 2006年に大腸がんの手術で、しばらく自宅謹慎を余儀なくされたが、その1年余りを差し引けば、大手旅行社のツアーを利用して、2002年以降2013年5月までで都合年2回以上の夫婦旅とあいなっている。(上表では、2009年まで割愛)

 中国、シンガポール(2度)、イタリア、タイ、香港、東欧諸国、ハワイ(2度)、スペイン・ポルトガル、ベトナム・カンボジア、フランス、エジプト・トルコ、中欧諸国、台湾、モロッコ、バルト3国・ポーランド、中国、ベネルクス3ヶ国。

 それ以降は、バリ島(2014年6月)への小旅行を除いて、途絶えている。 

 それにしてもここ2,3年、旅行に代わる何かに没頭したのか、それとも他に何らかの理由?

 一つ明らかなのは、5年前の2013年頃に、この「中高年の元気!」に新コーナーとして「English Edition」を加えたことだ。
 いまその広場に目を通すと、自慢したくなるほどの分量で、ほぼすべてが自身の紀行文・エッセイ・小説の英訳である。往時の米国駐在や15年ほど前からの海外旅行の体験から、日本の固有風土と特異文化を身に感じ、その誇らしさを世界へ発信したい気持ちがつのった。
 ともかく通じればよいのだとの一念で、2014年夏から一昨年暮まで、がむしゃらにこの作業に励んできた。更新履歴が証明している。
 海外旅行が途絶えている一因は間違いなくこれによるし、国内旅行も、明らかに海外への発信目的に偏向してきている。
 昨年春から2度の京都旅行でわが心の日本紹介は一応の打ち止めとした。意欲回復すれば、いずれさらなる追加に及ぶかもしれない。
 本件ダブりを顧みず、第3章に一項設ける。

 昨年は? 出不精にかまけてしまったか。なんのなんの、旅行なしだが、あり余る暇を決して持て余していない。
 次章に吐露する。