|
|
|
古希を2年過ぎようとしている71歳の4月、60代前半の行動半径を占めた一連の思い出についてまとめることにした。 |
|
|
Part1 出会い |
|
10年前の2001年に遡る。
前年は還暦の年だった。それを機に創業12年になる(株)KSBの経営をYana氏に譲った。その2年前、社の将来を託そうと入社いただいた彼が、期待通り信頼に足る人物であることは、ぼくにとってラッキーだった。
2000年夏、自宅近くの舞浜ディズニーリゾートに娯楽タウン「IKSPIARI」ができた。商店街はモダン、オールドファッション、ブランド・ショップが2、3階を占め、1階と4階がレストラン街だ。若者や家族連ればかりでなく、シニアも楽しめる。
何といってもぼくを喜ばせたのは、商店街と広場を挟んだ向かい側のビル内、シネマコンプレックスだった。16の映画館が一つの区画を占めている。いつ行っても見たい映画はある。
わが意を得て通いまくり、「中高年の元気!」に広場「イクスピアリ2000」を新設してレポートした(現在、「覚え書き」の中に掲載してある)。
山歩きは1998年からその頃まで、深川山歩会の仲間と月一度のペースで続けていた。10数年前脳梗塞でダメージを受けた左半身のリハビリはもとより、心さわやかになる。その年(2000年)は、筑波山、茅ヶ岳、大菩薩嶺、北横岳、大岳山……、どれだけ登ったかなあ。14の山行を紀行文にした。
|
|
2001年2月になってぼくの人生に新たな展開が加わる。半年後には後味の悪い挫折に終わるのだが。
山歩き仲間のO女史から連絡があり、KKRの「シニアパソコン教室」の講師を引き受けないかと。KKRは国家公務員出の団体で、全国に温泉宿舎を持ち、OB家族の憩いの場になっている。新趣向としてH製作所と組み、温泉施設持ち回りで、観光とパソコン教室の2泊3日パックツアーを始めたとか。
1日は観光にあてられ、もう1日は昼間、15台ほどそろえたパソコンを使って、生活に役立つパソコン教室となる。一風呂浴びて、夜は懇親会。H社といえども、昼夜どちらもこなせるスタッフには事欠いていた。そこでO女史はぼくを思い浮かべたようだ。
4月から伊豆長岡、群馬水上、各2回、1週間ずつ泊まり込みの「パソコン講師&懇親会コーディネーター」を務めた。自分の性にあった仕事と、Oさんに感謝した。
そんな楽しい日々に並行してぼくを虜にしてしまう出来事が進んでいた。 |
………………………… |
JFNという一橋大学OB(如水会)のメーリングリストに参加していた。第1回オフ会が前年春で、国立キャンパスに50人ほどが集まり花見酒となった。
当年の2001年3月、第2回オフ会がキャンパス横の佐野書院であり、出席した。昼食会は賑わい、母校に大した思い出のないぼくには、各位のスピーチは耳新しかった。
一番お歳を召しておられそうな方が、立ち上がってマイクを手にする。長身、縦縞・濃紺の背広上下、イギリス紳士を彷彿させる。東京商大時代のご卒業と前置きして、こう述べられた。
「昭和16年(1941)12月27日、学部卒業のYです。学友の生き残りは149名、82/83歳が大部分で要介護年齢です」
ご冗談はさておき、太平洋戦争が勃発した年に卒業された。全国すべて、翌年春卒業予定の大学生は12月に繰り上げ卒業となり、兵役に直行した。ぼくはその時1歳と半年、どなたもぼくより二回り近く年上だ。
東京商大の卒業生は352人だった。同期を『十二月クラブ』と称している。
張りのある声でY先輩は続ける。
「今年12月が十二月クラブの卒業60周年に当たります。節目節目で作ってきた文集類が相当量になっているので、記念行事として目次だけでも<zームページで公開したい。原本は全て如水会館の図書室に保管されてますから、ご興味ある方にはトレースしていただけることになります」
暗に「どなたかご協力を」のように聞こえ、聞き手の目があちらこちらでぼくを向いたようだった。協力を申し出る。
吉祥寺の喫茶店でお会いし、ご持参の卒業40周年記念文集『波涛』を見せてもらう。他に数冊あるらしい。目次集の作成だけならお手伝いできそうだと胸を撫でた。Y先輩はうれしそうに、数日後の例会で提案したいから出席してほしいと。如水会館の会議室で十二月クラブ幹部6人に初めてお会いすることになった。猫背で一番小柄のN先輩もいた。
席上無責任に、『波涛』だけでも全文を電子化して公開したいですね、と願望が口をついてしまった。幸い先輩たちは聞き流したらしく、別に真顔にならなかったが、帰りがけ「気に入っていただけているようだから」と、N先輩とあとで判明する方が一冊を進呈してくれた。純粋な好意と受け止め、頂戴した。 |
|
『e.Typist』という文書変換ソフトがある。電子化≠口走ったとき、このソフトが頭に浮かんでいた。数年前から公私にわたって資料整理等に使っている。
帰宅して『波涛』にもう一度目を通す。みなさん還暦を過ぎた頃の文集で、860ページに及ぶハードカバーの大部だ。時代背景と、青春をかけたお一人お一人の生き様……、電子化したい欲望が抑えられなくなった。実行あるのみ。
躊躇しながらも、細心の注意で書籍を一枚一枚にばらす。裏側が写らないように表裏を別々にコピーする。元の2倍の枚数が山積みになる。数日を要した。
スキャナーをパソコンに接続し、e.Typistを起動する。先頭ページからスキャンをはじめる。
先輩たちと近親者、延べ206人の文集だ。そう、広場「波涛」を設けよう。目次ページの各項目をクリックすれば新しいウィンドウとしてその人の文章が現れるように。できるところまで頑張ってみよう、と心に決める。
先輩たちが目指す12月の記念総会でお披露目するのは目次だけでもよいのだ。それに文集内容のサンプルをお見せできるだけでもやる価値はある。
そんな思いで数日スキャンを繰り返した。この作業に1日2時間当てたとしても10日以上はかかる。
これを所定のテキストファイルにして、ホームページのフォームに一つ一つをコピーし、作成者ごとに独立させる。スキャンミスのチェックをし(これが結構手間なのだ)、目次とリンクさせる。所要工数を考えると気が遠くなるが、考えるより手足を動かすことだ。いまは自由の身、会社を支えてくれているYana氏に感謝する。 |
|
『波涛』の10数人分について目次と内容文章のページをリンクさせたあと、「十二月クラブHP」全容の考え方、近況・懇親会等、他の広場構築をどうするかなど、様々お聞きするため、1週間後にY先輩宅へお伺いすることにした。
浦安から愛車X-Trailで首都高速を経て、杉並区善福寺公園そばの閑静な住宅街を辿ると着いた。古めかしい2階建ての一軒家だ。脇がガレージになっていて、車が置いてある。まだ運転しているのかなあ。
JRでは西荻窪駅に近い。この広い邸宅に奥様と二人だけでお住まいなのだろうか。
うす暗い廊下を案内されながら、お使いになってない部屋が幾つかあるのではないかと想像した。その廊下にも突き当たりの居間にも風景画や人物画が飾ってある。奥様の作品だと先輩は説明した。
この日から12月の記念総会まで、10数回はお邪魔したか。奥様ともすっかり仲良しになった。作品も2枚いただいた。 |
|
居間に先輩の作業机があり、デスクトップ・パソコンとプリンターを置いている。脇机には外付けハードディスクとスキャナーが。
お茶をいただいてから、持参のハードディスクをデスクトップに接続する。自宅作成分が画面に現れるよう操作する。先輩とディスカッションが始まる。
その場で片付くものは画面上で手直し・更新する。大幅修正等、時間を要するところは宿題として持ち帰る。予定の2時間は瞬く間に過ぎてしまい、打ち止めとせざるを得ない。画面の現状を持参のハードディスクにコピーバックする。その時点で二人が遠く離れていても同じ画面を共有して意思疎通できることになる。
以降お訪ねする都度この繰り返しになった。だから電話やメールを介した遠隔作業も、ほとんど齟齬なく推移した。 |
|
しかし、膝つき合わせた作業は出来映え以上に血の通った力を発揮する。ぼくの知らない世界がY先輩の息づかいを通して直に伝わってくる。
多くの学友を失い、運命に支配されながら耐えて生き抜き、戦後の日本をここまで築き上げてきた方たち。全員がすでに80歳を超えている。その青春と根性を秘める十二月クラブのお一人お一人が、後生の我々に何を伝えようとしているのか。
文集類の電子化という一連の作業に寄り添って、引き絞った声のうねりを身に感じるようになった。
先輩たちの意を呈した輪郭が出来上がっていく。如水会館で幹部会議が頻繁に催されるようになる。Y先輩がプロジェクターで投影して進捗状況を説明する。彼らは寮生活で明け暮れた学生時代から60年来の付き合いだ。遠慮会釈のない議論の応酬になる。それを反映して修正・追加・削除、その他微調整……。ぼくが要所を筆記し、次の作業につなげるようにする。場の雰囲気が体に残っているうちに宿題を片付けなければならない。徹夜も苦しくない。 |
|
夏を過ぎた頃、ホームページ全体の構成が煮詰まった。
トップページに文集の写真と一橋新聞の思い出深い見出し部分を載せる。 |
|
|
|
|
|
広場の数は当初の思いをはるかに超えて、「30周年」「40周年(波涛)」「50周年(波涛2)」の記念文集と、「アルバム類」「クラブ通信」「回顧」「近況」「…………」。
当面目次のみ、または抜粋ですますものもあろうし、スキャナーでの内容の電子化はできるところまでとしよう。12月の記念総会でのお披露目が大目的だ。
参考までに主な文書資産のボリューム、次のとおり。 |
|
|
卒業記念アルバム、1941年 |
|
310ページ |
|
|
25周年記念アルバム、1966年 |
|
99ページ |
|
|
30周年記念文集、1971年 |
|
320ページ |
|
|
40周年記念文集 『波涛』、1981年 |
|
864ページ |
|
|
50周年記念文集 『波涛2』、1991年 |
|
1179ページ |
|
|
十二月クラブ通信、〜2001年(年3回) |
|
1〜108号 |
|
|
|
|
朗読(19:16) on |