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Part 3
Part 2
最近の日常生活
 断捨離。古希超え一年の今年、4月にゴルフレッスン通いを突然やめ、5月に10年続いたテニススクールにも終止符を打った。
 続いているのは? シニア英会話には毎週通っている。はかばかしい会話力の向上は望めないが、講師のグレースさんを囲んで、同年代の男女約10名とのつかの間の交流が楽しい。
 他にこれといったことはやっていない。代わりばえのないぼくの一日はこんな具合だった、5月末までは…………
 平日は5時半の“朝ズバ”、土曜日は5時45分の”サタズバ”、日曜日は6時の”日曜討論”、といったテレビ番組にあわせて起床。コーヒーをわかし、啜りながら番組に付き合う。
 朝食は黒酢入り野菜ジュース、自前特製のヨーグルト、自前特製のピザトースト、温かい牛乳とコーヒー。ときどき旬のフルーツを少々。妻は8時頃寝床から居間に現れる。
 昼間、結構やることがあって、時間を持てあますことはない。図書館、映画、友人との語らい……、どこへ行くにも徒歩を心がけている。さもなければ自転車、市内遠くはバスを利用する。数年前に車を手放したことは、われながら見事な決断だった。
 iPodがヘッドホンを通して役立っている。街や公園やショッピングセンターをぶらりぶらりしながら。また、図書館や喫茶店にたむろして。(おおむ)ねクラシック音楽が流れている。ときどき英語の勉強。そんなときでも頭の一方では次なるエッセイや紀行文を考えているのだから因果なものだ。
 最近小説を読みあさるようになったが、それらもいずれ何らかの役に立たないかとの思いがある。当面、このエッセイに幾ばくか寄与するかもしれない。
 夕刻5時半頃にテレビでニュース番組を見はじめる。少しして晩酌になる。それが夕食につながって、7時を過ぎるととろんとしてくる。しばらくパソコンに付き合って8時には間違いなくベッドに横たわっている。
 眠りに落ちるまでは寝床寄席だ。iPodにつないだスピーカーから流れる落語が子守歌になる。CD一枚単位になっているから、眠りに落ちても約1時間で独りでに電源が切れる。志ん生、米朝、圓生、可楽……、噺家・出し物に事欠かないから、その時の気分で何かを選んでいる。

ソニー・ミュージック
エンターテインメント
 そうそう、大きな朗報。最近、三遊亭圓生(六代目)の「圓生百席」が浦安中央図書館の書架に並んだ。10年以上も前、まだ東陽町で会社を営んでいたとき、すぐそこの東陽図書館で見つけて、聴き込んだあれだ。
 寄席のライブではない。昭和49年から52年(1974-77)にかけてのスタジオ録音で、一話一話を丁寧に語り尽くしている。対談や問わず語りの芸談も随所にあって、「これが圓生の全て」といった具合だ。
 そのはず、師匠は百席を完成した2年後に他界されているから、渾身の遺作である。百席手前の「人情話集成」(これもスタジオ録音で、真景累ヶ淵、牡丹燈籠など、9話)を併せると、よくぞこれだけのものを残してくれたものだ。その膨大さと念入りの手作りにどなたも驚き恐れ入るだろう。
 その全てを浦安中央図書館で借りられる。CD116枚だ。当初のLPレコードでは何枚だったのだろうか。その半数以上がわがiPodに入っているから、寝床で不自由することはあり得ない。近く予定している「バルト三国、ポーランド12日間」の旅にも大いに役立ってくれるだろう。
 この大事業を監修した宇野信夫氏が綴じ込み巻頭で、フランスのある作家の言葉として紹介している文章がよい。
 「年寄りというものは、単なる悪癖である。意欲をもって働く者には、年をとるひまがない。創造的な人間は、80歳でも若い」。
 …………
東日本大震災のとき
 あと何年寿命が続くのだろうか。事故による終焉は考えないとしても、残り10年はないだろう。脳梗塞に見舞われてから25年以上過ぎた。それに類した病が忍び寄っているかもしれない。5年前の大腸ガンは手術で全摘されたようで、数日前の定期検診も通過した。が、父は腎臓癌で他界した。
 喉仏の付近に違和感を感じ始めて数年になる。こりこりができたような……。加えて(たん)が止まらない。毎年の成人検診で引っかからないのはなぜだろう。2年前の耳鼻咽喉科でも異常を認められなかった。が、自覚症状は続いている。近いうちにもう一度耳鼻咽喉科と呼吸器内科か食道科(?)に行かなければと思っている。
 タバコはやめて数十年になるが、アルコールは晩酌が続いている。最近量は減ったが、翌日まで残る日が増えてきた。主治医で冗談好きの田中先生(順天堂浦安病院脳神経内科)も最近は、「酒ぐらいはいいじゃないですか」と言わなくなった。
 3月11日午後2時46分、東日本大震災を引き起こした東北大地震で大地が揺れはじめたとき、ぼくは新浦安地区のマンション11階自宅書斎でボイスレコーダーのマイクに向かっていた。「名演説で学ぶアメリカの歴史」の、たしかリンカーンのゲティスバーグ宣言を朗読中だった。何度も繰り返し練習して、本番の最中だったはずだ。
 ゴトンと揺れてまた揺れた。それがすぐに大揺れになって、まだまだずっと続く。壁に立てかけてある本棚二つがゆらゆら揺れてドタンと倒れた。慌ててパソコンの電源を消す。
 隣の居間では、背高のっぽで幅4bのサイドボードの右側がこちらへどんどんいざっている。中は国内外旅行の都度のおみやげが半分のスペースを占め、中央は32インチのテレビモニターだ。ガラス細工のみやげ物が崩れ落ちてガチャガチャンと砕け散る。幸いサイドボードはいざりながらもまだ直立を保っている。
 台所の食器棚からほぼ全ての食器がガラガラガラッと音を立てて落ちている。居間右側の大事な書棚がゴトンゴットン揺れ出した。中は全て亡き中村達夫先輩にいただいた書籍で、そのためにこの書棚を大枚はたいて銀座のデパートで買った。
 あとで(もっと)もと納得したことだが、11階は1階より何倍も揺れが大きい。もとの揺れが加速され、元が治まってもまだ続く。大事な書棚はゴットンゴットン揺れてドタンと崩れる直前ではなかったか。あわてて両手で要所を突っ張って揺れに耐え、腰に力を入れて支え続けた。そのうち振動は小さくなって止んだ。
 妻の携帯に電話する。通じたのはいいが、携帯はこの居間で鳴っているではないか。彼女は明海大学のテニスコートにいるはずだ。無事を祈るしかない。
 夕方妻はせわしなく戻った。興奮を抑えながら惨たんたる道路事情を説明する。本人も認めるとおり、よく帰り着いたものだ。
 当然ライフラインは途絶えた。上下水道は復旧まで2週間を要した。東北の被災地には比べるべくもないが、半年経ったいまもあの惨状が浦安市の至るところ、どこにもかしこにもまだまだ残っている。
 本件はこれくらいでよそう。サイドボードは右側が手前に1bほどいざったあの時のままだし、壊れた本棚の代わりはまだ買っていない。書籍類は書斎の空いたところに山積みしてある。
(2011年9月30日現在)
健康第一
 平日の午前中が6月から変わった。
 11階の自宅窓からすぐそこに見える4階建ての「サッポロ・スポーツプラザPAL=vに通いはじめた。
 9時過ぎからトレーニング・マシンの自転車こぎかウォーキング・マシンでウォーミングアップ。9時45分から30分はモーニング・ストレッチ、引き続きソフトエアロの全身運動を30分。いずれも同年代の男女二、三十人にまじって。
 終わるとTシャツに汗が浮いている。麦茶をゴクリゴクリ。うまい!
 プールで泳いだり、水中ウォーキングもときどきやる。
 ぼくなりのメニューが全て終了し、シャワーで汗を流すとほぼ11時半だ。午後は自宅または図書館で頭の体操ということになる。
 ジムには他に数々の筋トレマシンが備わっており、これから徐々に試して、自分にあうのを見つけたいと思っている。
 参考までに、ぼくが利用できるPALの施設内容は、
2階
スタジオB(ストレッチ、エアロ、バレー、ヨガ、ピラティス)、
ウォーキングプール、スイミングプール、露天スパ
3階
リラクゼーションルーム、
風呂(大型スパ、炭酸泉、サウナ、シャワー)、
ラウンジ(大型TV、インターネットPC3台)
4階
スタジオA(ストレッチ、エアロ、フラダンス、太極拳、ヨガ、ピラティス、ジャズダンス、ストリートダンス、ZUMBA、シェイプボクシング、チューブボクシング、バランス筋トレ、各種エクササイズ)、
トレーニングジム(各種有酸素マシン、各種筋トレマシン)、
テラスラウンジ
朗読(16:00) on
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