1.白浜、串本、潮岬

 大阪から新宮へ向かって紀勢本線に乗ると、和歌山市あたりから右にリアス式の海岸、左に紀州の山並みがそびえる。あと1時間半ほど揺られると紀伊白浜に着く。

白浜千畳敷
白浜千畳敷

 白浜は、別府・熱海とともによく知られた温泉地だ。泉質は無色透明のアルカリ泉、泉温40ー85度。胃腸病、神経痛、婦人病に効くという。
  
 温泉ばかりでなく、白浜は荒々しい海岸の千畳敷や三段壁、円月島など、景色も優れている。

 白浜から椿を経てすさみ迄温泉地が続く。この「すさみ」から串本まで、列車で約1時間の海岸線が「枯木灘」である。中上健次の小説の題名にもなっている。

 名前から、荒涼とした厳しい海岸が連想されるが、実際はどこまでも青く、明るく、穏やかである。波に侵食されて深く入り組んだ入り江や小さな漁港が、海岸線に沿って次々と現われる。

 串本は、本州最南端の潮岬への入り口にもなっている港町である。「串本節」でも有名だ。

ここは串本 向かいは大島
 仲をとりもつ 巡航船
  アラヨイショ  ヨイショ
  ヨイショ ヨイショ ヨイショ
  
潮岬に 燈台あれど
 恋の闇路は 照らしゃせぬ
  アラヨイショ  ヨイショ
  ヨイショ ヨイショ ヨイショ
        ・・・・・      
串本節

 歌の通り、海を隔ててすぐ前に大島が見える。そして、「仲をとりもつ」巡航船が行き来する。……最近(1999年)、串本から大島まで立派な橋ができた。2000年には巡航船はないかもしれない。(巡航船はなくなっている。2004年現在) 
 観光地として、他にも海中公園や橋杭岩(はしぐいわ)など……、景勝に恵まれている。

 串本からバスで20分ほど揺られると潮岬(しおのみさき)に着く。北緯33度26分、本州最南端。海に向かってさえぎるものがない広々とした「望楼の芝」、その鮮やかな緑と太平洋の海の青さがいかにも南国的である。

望楼の芝
望楼の芝にて

 南に向かって芝生の尽きたところが高さ60mの切り立った崖となって垂直に落ち込む。おそるおそる見おろせば、黒潮の荒波が踊っている。高く舞い上がる波飛沫(しぶき)が自然のすさまじさを見せつける。
 右に目を転じると、白亜の燈台が海を見守っている。串本節の灯台である。

 顕彰碑

 望楼の芝に「顕彰碑」が建てられた。(1998年)
 ぼくの父が16歳から33歳までその地アラフラ海(オーストリア海域)で真珠取りをしていたのだ。その後も「日の本丸」という船を所有して、ずっとこの仕事に関係した。
 ぼくは、2000年4月、ここ望楼の芝でこの碑に接したとき感極まった。小学生のころ、父の寝床で、アラフラ海の話(さんご礁と熱帯魚の楽園……)、木曜島の話(島民との思い出、洗礼……)、夢踊るいろいろな物語に聞き入ったことを思い出したからだ。
 碑銘文を下に記す。  

 この顕彰碑はオーストラリア海域において真珠等の採取に従事し、不幸にも亡くなられた串本町出身者等の御霊を慰めるとともに当海域における真珠産業の振興発展に寄与された先人たちの偉業を顕彰し、その功績を末長く後世に伝えるため建立するものである。

 日本人は1878年から1941年まで、北部オーストラリアの産業であった真珠貝、高瀬貝、ナマコの採取漁業に雇われ、島の人々とともに活躍し、漁場の発見、漁法の改良を通して、この漁業を基幹産業とする等、地域の発展に貢献した。

 この碑は、日本人移民渡航100年を記念して木曜島に慰霊塔が建立されたことを受け、当地から遥かオーストラリア海域を眺望できるこの地に串本町の補助金を受け、串本町長を会長とした顕彰碑建立発起人会を結成して建立したものである。

1998年9月吉日     
顕彰碑建立発起人会  

日の本丸
日の本丸、昭和11年(1936)5月20日(串本町袋港にて)

顕彰碑
望楼の芝にて (2000.4.28)

2.太地、那智勝浦、新宮

 JR紀勢本線(きのくに線)の串本・新宮間は42km、特急で1時間。その間に下車したくなる景勝の地が数珠つなぎだ。
 古座川の「古座」、鯨の町「太地」、温泉の「湯川」「勝浦」、そして那智の滝、熊野三山の「那智」。それに定期航路の港「宇久井」、佐野王子の「佐野」。「新宮」の手前がぼくのふる里「三輪崎」だ。

地図

那智の滝   
 那智勝浦は海に山に見るべきところは多い。
 那智駅で下車、バスで20分ほど行くと厳かな那智山(なちいさん)に着く。そこは、那智の滝、熊野三山の熊野那智大社、西国第一番札所の那智山青岸渡寺。
 夜は勝浦の海沿いの温泉宿でくつろぐ。勝浦は全国でも有名な漁港でもあり、海の幸は豊富だ。
 
 那智駅から、各駅停車だと、5分間隔で「宇久井」「佐野」「三輪崎」と続き、 「新宮」に到る。

王子が浜
新宮、王子ヶ浜


 新宮は和歌山県の東端で、三重県との県境である。
 両県を隔てる熊野川は、瀞峡を起点として新宮の東側を南に下って熊野灘に注いでいる。 

 新宮市は、昔木材の集散地として賑わった町である。市としての人口を維持するために周辺の町村を合併してきたが、それでも現在(1999年)、3万5千人く らいの小都市だ。

 観光の拠点としての位置づけ以外に、これといった産業はない。昔栄えたパルプ、製紙産業は、それぞれ以下のように分岐している。 (2000年5月)

  • 紀州製紙はいまなお隆々たる経営で、鵜殿(熊野川を隔てた新宮の隣町、三重県)の工場が主力。
  • 巴川製紙新宮工場はもうない。工場跡は更地になっている。会社自体はリストラの成功もあって、今期(1999年度)は好決算のようだ。
  • 本州製紙は1966年王子製紙と合併、新宮の工場は本州時代から中津工場熊野事業所として細々と操業してきたが、今年(2000年)末閉鎖の予定。
 (この項、植地勢作氏の情報による。同氏は2000年5月現在、王子製紙株式会社社史編纂室勤務。但し、文責筆者。)

 公立の高校は「県立新宮高校」(ぼくの出身校)と「県立新宮商業高校」の2校。私立高校として、 「近大付属新宮高校」もあるが、生徒を集めるのに先生方が全国行脚していると聞く。大学はない。

新宮は観光の町

熊野川河口で、
瀞峡(どろきょう)への起点
神倉山、徐福の墓、
丹鶴城址、浮島の森
熊野三山の熊野速玉大社
熊野古道高野坂
万葉の三輪崎、佐野。
鬼ヶ城(熊野市)も近い
神倉山入口
神倉山入口
 
3.瀞峡と本宮大社

瀞八丁
秋の瀞八丁

 瀞峡 (どろきょう)

 瀞峡は、新宮から熊野川を北へ約100km上ったところにある。丁度ここが和歌山、奈良、三重の三県を分けている場所だ。アメリカの西部4州にまたがる「フォー・コーナーズ」(Four Corners)を思い出させる。(USA69-70、26日間三人旅に記載)

 上流から奥瀞、上瀞、下瀞に分かれており、下瀞はとくに瀞八丁(どろはっちょ う)とも呼ばれ、神々に守られた美しさを見せる。
 うっそうと繁る千古の原生林を左右にして両岸の岩が切り立ち、その岩壁が少し遠のいては、とうせんぼをするようにぐっと迫ってくる。川の流れは、実際にはかなり速いのだが、全く静止しているように見える。
 客を乗せて川を上下するジェット船から眺める水と岩と林は、神が描いた水墨画である。

 30年近く前(1970年)まで、新宮から瀞八丁へはプロペラ船が運航していた。 20人乗りくらいの船の後ろ側に直径1m強のプロペラを立てかけ、これをブン回して進む。その音が猛烈にやかましい。プロペラが回っている間、ガイドはしゃべらない。客同士の会話もほぼ不可能である。
 このプロペラ船、乗り心地がよくないに関わらず、ひとつの売り物であった。が、 いつの間にかジェット船に出番を譲ってしまった。その結果、船内はかなり静かになった。ガイドも要所要所でマイクを通して案内しているし、客の雑談もほぼ通じる。

 熊野本宮大社

本宮大社の聖水 新宮から熊野川、北山川を瀞峡へ上る途中、川の和歌山県側を平行して走っているバス道路を標識に沿って左にカーブする。 
 そして10分も走ると、そこは「熊野本宮大社」だ。

 バスを利用すれば、新宮から1時間半で行ける。

 まさに「神」の社(やしろ)だ。長い石段を登りつめた正面に神門、 左手に拝殿、奥に14柱の神々を祭る社殿がある。

 石段の登り口から、周囲は垂直に高々と伸びた鬱蒼たる杉林。その頂点で社殿は深淵たる静けさを保つ。
 古色蒼然たる落ち着きがあり、熊野三山の中心として信仰の厚かった昔を偲ばせる。(石段を登りつめたところで、三輪崎の捕鯨船模型に注目。熊野灘で鯨が捕れたのだ。それもぼくのふる里で)

 本宮大社の周囲は温泉の郷(さと)である。川湯、湯ノ峰、渡瀬、……。
 素朴な温泉を楽しめる。流れる川の所々でも湯が涌き出ている。町営の銭湯は100円。露天風呂もあちこちにある。

 その他名勝古跡多々。鯨の太地、那智の滝、熊野那智大社、新宮の神倉山、熊野市の鬼ヶ城……。
 この項ひとまず休憩とする。(2004年8月)

熊野処々 おわり

朗読(17:13) on
 
<熊野処々概論 熊野古道メモ>
熊野処々概論 熊野処々各論 熊野古道メモ 高野坂、大戸平 三輪崎の海岸
高野坂 ふる里三輪崎 三輪崎の砂浜 熊野古道を歩く 熊野を巡る
雑記帳 小話集 山歩き 某日@某所 米国の名演説
書籍 旅日記 USA 69-70 覚え書き 俳人えり好み
「中高年の元気!」 Home English Edition