和文 英文

1.火の路

 1991年某日、松本清張の「火の路」をようやく読み終えた。 
 「火の路」は、奈良県飛鳥地方の遺跡を核にして、古代日本とペルシャ文化の関わりを追究する、が主題だった。
 舞台回しの人間模様はなんとなく面白いのだが、清張が力を入れている本筋の人造石の件(くだり)になると、正直しんどくなった。
 
 ストーリーの本筋から離れるが、文中にときどき「熊野路」が出てきた。いまでいう”熊野古道”だ。
 その熊野路が、清張の巧みな描写も手伝って、ぼくを妙にノスタルジックにした。
 「熊野路」が熊野地方とふる里「三輪崎」を連想させたからである。

熊野古道・大門坂 熊野路(熊野古道)とは、京都、奈良から南へ向かって幾通りかの「路」を指す。

 その1つが、本宮から山道を真南に下って太平洋岸に至る。その海岸一帯が「熊野灘」であり、三輪崎は熊野灘に面した小さな町だ。
 ここから熊野古道・大辺路は、海岸沿いに北に向かって田辺、和歌山に至る。

 いま、三輪崎には弟夫婦と母(82才)が住んでいる。
 「火の路」を閉じて、早速母へダイヤルした。

母

「しげるかの。久しぶりやのう。おおきによ」
「おばあちゃん、どうなん。元気そうやの」
「お陰さんでのう。毎日よう、車(乳母車)突いて歩きやるさかに。…ほれ、砂浜(はま)の黒潮公園やら、 おじいちゃんのお墓やら…の、毎日歩きやるさかいにの」
「そらええわあ」
「ほれの、おじいちゃん、いっつも守ってくれやるさかにのう。おじいちゃんの墓へ行くのがの、楽しみや〜の。おじいちゃんはの、 いっつも守ってくれやるさかに」
 

2.南紀熊野へのアクセス
 「南紀」とは、和歌山県南部で、概ね田辺以南である。「熊野」は、諸説あるが、ぼくの「熊野」は、南紀に加えて、三重県の尾鷲以西、及び瀞峡の奈良県側も含んでいる。「南紀熊野」は、熊野地方の、とくに南紀に重点をおいた、ぼくの呼び名である。

 南紀熊野で生まれ育ったのはぼくの自慢だ。
《みんな、もっと知ってほしいなあ》、いつもそう思う。
「熊野ってこんなに素敵なのだ!」
 直に接すれば、みんなそう感じるに違いない。
「帰りたくない!」、そう言うはずだ。

熊野はみんなを虜(とりこ)にする!

地図 「熊野」とは、上記のとおり、紀伊半島の南部をいい、和歌山県と三重・奈良両県の一部を含む地域である。
 熊野の魅力は、 いずこも、豊富に涌き出す温泉郷、太平洋の黒潮によってもたらされる温暖な気候、南国特有の明るさ、それに名所旧跡・神社仏閣が目白押し。つまり、風土全体である。
 真夏は、沿岸の海の青さに、打ち寄せる波の飛沫(しぶき)が乱れ散って、まぶしく目に痛い。


宇久井半島「那智勝浦健康村」

 熊野へはいろんなルートで行けるが、どれもあまり便利ではない。(平成11年(1999年)現在)  


名古屋から、汽車で海岸沿いに関西・紀勢本線、または車で国道42号を利用

大阪から、汽車で海岸沿いに紀勢・関西本線、または車で国道42号を利用

東京からなら、名古屋まで新幹線を利用、名古屋駅で紀勢本線に乗り換え海岸に沿って大阪へ抜けるか、新幹線で大阪まで来て、大阪駅で紀勢本線に乗り換え海岸沿いに名古屋へ向かう。その大阪ー名古屋間に「熊野」が在る。

奈良から車で十津川、熊野川に沿って新宮へ出るコースもある。

海のルートもある。東京の有明埠頭から「さんふらわあ号」の定期航路があり、 那智勝浦港で下船する。
 有明を夜8時に出発、およそ12時間で宇久井の那智勝浦港に到着。快適な太平洋沿岸の旅である。
 (2004年現在、「さんふらわあ号」は廃止され、川崎埠頭と四国高知、九州宮崎を結ぶ定期航路のの立ち寄り港になっている。)
 朝、右手に展開する半島は優れた美景である。

飛行機は、東京からなら、羽田⇔紀伊白浜、羽田⇔関西空港、羽田⇔伊丹空港、を運航している。所用時間、1時間から1時間30分。そこから汽車かバスで南下すればよい。 
3.シーズン

 熊野は、6月の梅雨どきと8月下旬から9月にかけての台風の時期を除けば、一年中が観光シーズンだ。黒潮の影響で冬もさほど寒くない。3月早々に花の便りが聞かれ、春が来る。

 4月になると新緑がまぶしい。6月中旬から9月上旬まで海水浴が楽しめる。浜辺一帯に浜木綿の花が咲く。

 10月は、台風一過、天候が安定し、中旬は紅葉が見頃となる。

宇久井の海
 
4.味覚

 熊野は新鮮な海の幸の宝庫である。それに、めばりずし、なれずし、さんまずし、 といった寿司類がユニーク(ぼくはなんといってもさんま寿司だ!)。
 この種の寿司は酢が利いているので、温暖な気候の中でも保存がきく。

 三方を海が囲んでいるにしては、熊野沿岸には特筆すべき郷土料理は少ない。やはり海の幸の活づくりといった自然の味が魅力。

 熊野はみかんの里である。和歌山市から三重県尾鷲市あたりまで広く栽培されているが、なかでも有田みかんと御浜みかんが有名だ。
 その温州(うんしゅう)みかんの他に、三宝柑 (土地では、「さんぼ」という)、夏みかん、バレンシアなど、多品種が競っている。
 ぼくの故郷三輪崎では、温州みかんを「こみかん」といい、夏みかんを単に「みかん」といった。夏みかんは大きくて酸っぱい。

 熊野は梅の産地としても有名だ。とくに白浜、田辺のすぐ北、南部(みなべ)町は”南高梅(なんこううめ)”の里。県立南部高校の先生が開発されたからその名がついた。種が小さく、梅肉は厚い。

さんまずし
さんまずし
めはりずし
めばりずし
なれずし
なれずし
みかん
みかん
うめ
うめ

 この前 (1998. 4) 、新宮から観光バスで串本、白浜を通って関西空港までの途中、南部(みなべ)のところでガイドさんがこんな歌を歌ってくれた。

 梅の一生

ガイドさんと
ガイドさんと
1月2月は花盛り
鶯鳴いた春の日も
 楽しいときも夢のうち
5月6月実になれば
 枝から振るい落とされて
近所の町に持ち出され
 何升何合の量り売り
もとより酸っぱいこの体
塩にもまれて辛くなり
 紫蘇に染まって赤くなり
7月8月暑い頃
 三日三夜の土用干し
思えば辛いことばかり
皺が寄っても若い気で
 小さい君らの仲間入り
まして戦さのそのときにゃ
 なくてならないこの私

和歌山県の地図
地図の下半分が(自説)熊野地方

朗読(13:18) on
 
「南紀熊野」表紙 熊野処々各論>

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