斎藤茂吉(万葉秀歌)
神の崎(三輪崎)は紀伊の国東牟婁郡の海岸にあり、狹野(佐野)はその近く西南方で、今はともに新宮市に編入されている。
「渡り」は渡し場である。 第二句で、「降り来る雨か」と詠嘆して、愬(うった)えるような響きを持たせたのにこの歌の中心があるだろう。
そして心が順直に表され、無理なく受け入れられるので、古来万葉の秀歌として評価されたし。
「駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ」
という如き、藤原定家の本歌取りの歌もあるくらいである。
それだけ感情が通常だともいえるが、奥麻呂は実地に旅行しているので、これだけの歌を作り得た。
定家の空想的模倣歌などと比較すべき性質のものではない。
村瀬憲夫(万葉の歌、第9巻)
作者の長忌寸奥麻呂は、柿本人麻呂や高市黒人とともに、万葉第2期を代表する宮廷歌人である。
長氏は忌寸(いみき)姓であることから、渡来系氏族であろうと考えられている。
また長氏は、紀伊国那賀郡を本貫とすることによった命名であろうともいわれている。
たしかに新宮市三輪崎・佐野は、行幸の及ばない当時としては僻遠の地である。そんな地にまで宮廷歌人がなぜ足を運んだのかという疑問も生じよう。
しかし、もし長氏が那賀郡を本貫地とする氏族であるなら、忌寸奥麻呂が行幸とは別に、この地に足跡を留めたいという可能性も十分あるのではないか。
そしてなによりも、この三輪崎・佐野の地の景観は歌の内容にふさわしい。半月形の弧を描いて熊野灘に真向かうこの海岸には、波・風を遮るものは何一つない。
押し寄せる荒波は荒磯に砕けて潮けぶりをあげ、行く手を阻む。
そのうえに、熊野の太く激しい雨が加われば、自然の脅威にただおののくほかはない。
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