Part1 Part2
 

Part 1 再会
 


あの時。右のぼくのみ

不亦楽乎
(また)楽しからずや)

 『有朋自遠方来』((とも)有り遠方より来たる)に続くこの小節、「子曰(しのたまわく)」ではじまる孔子の『論語』にある。
 そう言いたくなる再度の出会いがあった。

 15年ぶりか? 彼が東京から仙台へ転勤して以来である。
 ぼくがD鋼をやめて自前の会社を起業したのが1988年で、たしかその二、三年後に商売を通しての付き合いがはじまった。わずか二年間ほどの交遊だったはずだが、忘れようはない。商売上のつながりをはるかに超えて思い出の友、今後ともぼくの内なる世界では友であり続ける。
 
 彼が蒔いてくれた種は、彼の仙台への赴任に時期を合わせた如く芽が出てきた。O社のユースウエア認定店となり、そこそこに自力で客先を開拓できるようになってきた。彼の後任の丁寧なフォローもあってこそ。
 
左側のぼくのみ
 その間わが社では、ぼくの熱心な誘いが実り、システムエンジニアリング会社に勤める若いY氏が加わってくれた。大会社のエリート路線を断(た)っての決断だ。来年3月で10年になる。ぼくの還暦を機に、社長の職を引き受けてもらった。
 Y氏がこの仕事、つまり業務ソフトの販売及び運用支援に力を発揮され、現在に至っている。スタッフのOさんとT君の頑張りも忘れてはならない。
 7年前に社業を彼に託したはずであった。3年前に魔が差した。週に一度しか出社しないくせに、Y氏の寛容に甘えて余計な口出し、そして先導、今もって悔やまれる。それが業績悪化の主因となって、会社を窮地に(おとしい)れた。
 それでも社に留まって、今の状態まで回復してくれたのが彼ら三人である。ようやく「次の手が打てる」までになったようだ。大後悔と感謝でいっぱい。
 Y氏とは、「仕事の話抜き」で、月一回会食している。彼の好意による楽しいひとときだ。
 Y氏は、入社以来、よくぼくの口を突いて出た彼≠フことをおろそかにせず、今回もO社に十分手回ししていたようだ。同社担当の方も骨折ってくれて、年来の友人との再会がかなった。
 7月はじめの夕刻、Y社長、T君とともに、新宿のO社へ伺った。いつ降りはじめてもおかしくない梅雨空だが、予報を信じて傘を持たずに。
 オフィスロビーで待つまでもなく、彼が現れた。東京支店長代理、グループ長、それに担当の方に伴われて。
 あの笑顔そのままで、「お久しぶり」と手をさしのべる。十数年のインターバルを感じさせない、さわやかな再会だった。
 彼=A42歳。現在、大阪支店長の職にある。上背のある骨太の体躯、色黒で口元にほくろがある、……そして笑顔。思い出の面影はほぼ間違ってなかった。

朗読(Part1) 5' 51"

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