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 都立九庭園に入る名勝である。整備が行き届いて、どの部分も目を和ませる。月曜日でもあり、時期的にいっても、閑散としていたのは当然か。おかげで「庭園」らしい雰囲気を味わった。

竹林
庭園配布の案内書を転記する。
 この庭園は、大正2年から4年(1913-15)にかけて、南満州鉄道会社副総裁・貴族院議員を歴任した江口定條(ていじょう)の別邸として設けられ、赤坂の庭師「仙石」の手によって武蔵野の地形を巧みに活かして造られたものです。昭和4年(1929)、三菱財閥の岩崎家が買収し、津田鑿(さく)の設計により本館、茶室(紅葉亭)などが建てられ、自然風景的な回遊式林泉庭園として整備されました。
 この庭園は、国分寺崖線の南の縁にあって典型的な段丘崖を含んだ地形に造られています。次郎弁天の池には「ハケ」と呼ばれる水量豊かな湧水があり、段丘崖の南を流れる野川の水源の一つになっています。この段丘崖の南斜面は日当たりもよく、この湧水に恵まれ、肥沃な土壌が地表を厚く覆っているため、カタクリ、シュンランなどの野草とともに、野鳥や昆虫などの小さな生きものたちが数多く生育し、古くからの豊かな武蔵野の自然の姿が見られます。
 大正から昭和初期にかけて多摩地域に開発された別荘地に付随して造られた庭園で、現在わずかに残されている文化財庭園として東京都の名勝に指定されました(2008.03.13)。

 1月中旬に、さる料理屋に親族が集まった。その写真がこのアルバムの中に残っていたので、一枚だけ載せることにする。
 昨年暮れに、大学の先輩中村達夫氏の米寿を記念して出版された、氏とぼくの共著「私の兼松講堂」の合評会だった。同書は、中村氏の第1部「わたしの兼松講堂ものがたり」と、ぼくの第2部「ロマネスクと四神像」で構成されている。
 その第2部の合評なのだが、みなさん、料理のほうにより熱心だったようだ。それでもぼくの満足度はいうまでもない。
 それぞれのご意見を参考にして、「ロマネスクと四神像」をさらに推敲中である。
 「私の兼松講堂」の共著者中村達夫氏は2月16日に逝去された(享年88歳)。合掌。  2007.04.14記
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