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法隆寺
 
 
 10月24日(日)。
 秋深し。抜ける天空は一点の雲なし。午前10時の法隆寺境内は、まばゆい陽光に満ちていた。
 30数名が参加。4班に分かれて、それぞれボランティアのガイドに案内していただく。
 法隆寺は、中学校の修学旅行で来た(ようだ)。記憶は忘却の彼方だが、写真やテレビやなにやらで、馴染みのお寺である。とくに五重塔。
 ひとわたりの見物でも午後に及んだ。最後は隣の中宮寺に参拝。
 …………
 例の「法隆寺=ギリシャ起源説(エンタシス)」について、末尾で少し触れる。
 
 
 
その他スナップ
     
 

《参考》 法隆寺=ギリシャ起源説について

 大学母校の兼松講堂は、昭和2年(1927年)、伊東忠太の設計で竣工した。
 今年(2004年)夏から母校中村達夫先輩にお供して、この兼松講堂と「怪獣たち」を調査中である。講堂は国の重要文化財、といえばいかめしいが、「怪獣がうようよ」。興味津々の建造物である。
 その関連で、「法隆寺のエンタシス」が浮かび上がってきたのだが……。

 伊東忠太は、神社仏閣の設計に数多く携わっている。築地本願寺、平安神宮、明治神宮、震災記念堂、弥彦神社、上杉神社、湯島聖堂、……。
 東京帝大教授として長く教鞭をとられ、後、芸術院会員となり、1947年には建築界から初めての文化勲章受章者になった。1954年没。(日経新聞2003.8.24)

 以下、日経新聞の同記事を「法隆寺」のくだりにスポットライトをあてて引用する。

 伊東忠太(32才)は、1898年発表の博士論文「法隆寺建築論」で、「法隆寺中門の柱は中ほどで少しふくらんでいる。そのふくらみ(エンタシス)の起源がギリシャ神話にさかのぼる」という学説を展開している。
 いわく、
「其の柱は(中略)希臘(ギリシャ)の所謂(いわゆる)『エンタシス』と名づくる曲線より成り、(中略)以上の事実を解釈するに歴史的観察を以てし、東西交通の結果となすは、予の曾(かつ)て深く信ずるところなり」
 
 ……
 後年、忠太はなぜかこの説を言わなくなり、現在に至っている(らしい)。
 奈良の現地ガイドは、いまも(ぼくたちの案内でも、)誇らしく法隆寺とギリシャ・パルテノン神殿の関わりを語り、一方、建築学界では、"否定"といわないまでも、公認していない。
 学界の考え方を、いくつか列記する。

 井上章一教授(国際日本文化研究センター)
「(法隆寺中門=エンタシス説は、)実は何ら証拠がなく、専門家はほとんどだれも相手にしていない」(「法隆寺への精神史」、弘文堂、1994年)
 
 藤森昭信教授(東京大学)
「@(伊東忠太は)法隆寺が世界最古の木造建築であることをハッキリさせた。A(彼は)法隆寺の柱の真ん中のふくらみがギリシャ建築からきたという、とんでもないことを最初に言った人である。B真ん中がふくれた柱というのは法隆寺関係以外に日本にはないのですが、そのふくれた柱を見て、これはギリシャからきたのではないかと思ったのです。相当の飛躍です。ギリシャ建築の『エンタシス』は上にいくに従って、ギュッとしまる形ですが、法隆寺の胴張りは真ん中がふくらんでいますからちょっと違うものなのです。ともあれ、彼が偉いのは、ここからで、法隆寺の胴張りと、ギリシャの神殿とのつながりを確かめるため、彼はロバに乗って日本側から3年かけて歩き始めました。……」
「(中略)彼は、中国、ビルマからインドに入り、ギリシャまで行って帰ってきます。ところが、3年間歩いてみたけれど証拠がないという結論になるわけです。法隆寺につながる木造建築など一つもなく、石造から木造に変わった証拠はなかったのです。それ以降、彼は黙るのです。当時欧化主義の時代ですから、もしかしたら自分たちはヨーロッパと兄弟かもしれないという期待で、法隆寺とエンタシスの話はすでに国民的に広がってしまいました。今でもバスガイドなどが『ギリシャからきましたエンタシス……』なんて言うことがありますが、あれは今や専門家の間では言いません。(後略)」 (如水会会報第881号、平成15年9月)
 
 鈴木博之教授(東京大学)
「そこで伊東は『法隆寺・エンタシス(胴張り)・ギリシャ伝来説』ともいうべき発想の家元として語られ、そうした通念に修正が加えられていくのである」 (『伊東忠太を知っていますか』、鈴木博之編著、王国社)
 
 松岡正剛教授(帝塚山学院大学、編集工学研究所長)
「(伊東忠太は)36才のときそれ(エンタシス論)を実証すべく、中国・インド・ペルシャ・トルコをロバにまたがって、延々3年をかけて、ユーラシアを踏破した。ギリシャ神殿と法隆寺とを結ぶ決定的証拠はほとんど見つからなかったのだが、そのかわりヒンズー・仏教建築の大半を見た。こんなに多くのアジア建築の実物を見た日本人はほかにはいない」 (ウェブサイト『松岡正剛の千夜千冊、第730夜』)
 建築学界のお説はごもっともとして、ぼくにはガイドの語りのほうが耳になじみいいのだけど……。
 法隆寺との関わりはともかく、伊東忠太は断然面白い。忠太設計による建築物のほぼすべてに奇妙な怪獣がやたらと現れる。大半が彼の創造物。怪獣を存在させることに、忠太は大真面目なのだ。忠太の怪獣は、水木しげるにも影響を与えた、という説もあるほど。
 ご興味ある方は、次の書籍をお読みください。
伊東忠太を知っていますか
 鈴木博之編著、王国社、2003年
伊東忠太動物園
 藤森照信・増田彰久、筑摩書房、1995年

はまゆう会2004 おわり

 
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