Part0
前書き
Part1
はまゆう会
Part2
二次会
Part3
法隆寺
 
 
 大阪天王寺のホテル・アウィーナで、新宮高校同期64人が宴席に着こうとしていたとき、新潟中越地震が起こった。(2004年10月23日午後5時半過ぎ)
 ぼくたちは知らず華やいで、歓談を楽しみ、カラオケの二次会では大いに騒いだ。
 へべれけになってベッドに横たわり、ラジオをつける。そのときはじめて震災を知った。
 が、泥酔の睡魔に抗しきれず、意識は漆黒の闇に消えた。
 翌朝5時、二日酔い気分で目覚めると、つけっぱなしのラジオが地震・余震の惨事を報じ続けていた。ぼくたち昨夜の宴会開始のときから、いまも、中越の人々はいつ果てるともない恐怖におののいているのだ。

 同期の石橋君が同地方で「苗場カントリーロッヂ」を営んでいる。
 友が電話した。しばらく話したあと、
「彼のところ(湯沢)は大丈夫らしいんだけど……」

 帰京して明くる10月25日。
 中越地方はまだ余震の災厄にさらされている。
「揺れを示す加速度は、阪神大震災の818ガルを大きく上回る1500ガルと最大級の揺れだった」とか。
 上越新幹線の脱線事故についても、
「脱線は地震の衝撃で列車が激しく左右に揺れたのが原因……。地震が数分遅れて発生していれば、対向車両と正面衝突して大惨事につながる恐れがあった」(10/25毎日新聞)
 正午の時点で、死者24人、怪我2千5百人超、避難9万8千人。
 謹んでお見舞い申し上げます。一日も早く元の暮らしに戻れるよう心よりお祈りいたします。

  ……………

 被災された多くの方々に不謹慎ではあるが……。
 Part1以降に、「はまゆう会」と法隆寺見物、その写真集を掲載する。
  
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