三輪崎のおばさん、三題

 1997年2月の話。
 母の容態がよくないと聞き、帰郷、佐野の養護施設「みさき」に見舞った。元気そうなのでひと安心。

 母の見舞を肴(さかな)に3ヶ月に一度は故郷へ帰っている。幸せ、といえばいいのか。今回は一安心も手伝って、幸せである。

 それはさておき、このページは
なぜぼくが女性にもてるのか?!
を明快に解き明かすことにする。
3人の女性の証言によって。

東浜のおばさん

東浜のおばさん
彼女は83才、元気、若い。
東浜のおばさん
あんたと会えてよかった!
 
 ぼくは古里三輪崎に来ると、まず大好きな鈴島へ足を運ぶ。
 向こうから杖をついたおばさんがやってきて、ぼくに話しかけた。
あんた、しげるちゃんやないかのお?
「…………」
「わし、知らへんやろのお。東浜のマサエやでえ。あんた、もういくつになったんなの?」
「??」
「そうかのお。そやけどあんた若いのお。ホンマやでえ。わしゃ、熊野サの恩忘れやせんのやでえ。あの人はいつでもわしら貧乏人の味方やったんやで。ほれ、あんたとこ、むかし酒屋やったやろ。絶対貸し売りしやせんゆいながら、わしらには貸してくれたんや。金できたら、一番に熊野サのとこへ払いに行ったんやの」
「…………」
「あんた、ほんまに熊野サにそっくりやのお」
「!!」
「元気でのお。またおいでよお。熊野サにどうぞよろしゅゆうといておくれのおし

沖見のおばさん

沖見のおばさん
おばさんの眼差しに愛を感じる
 
ぼくの生家の近くに住む沖見のおばさん。
少し具合が悪くて、病院に居た。

しげるちゃんやろ。 あんたいつまでも若いのお」
「…………」
「熊野サ、えらいのお。早いこと歩けるようになったらええのにのお」
「…………」
「もうじっき歩けるわあの」
「…………」
「まあ、ようみたっておくれえよ」

土塀(どべ)のおばさん

土塀のおばさん
今度はわしにも会いに来てえよ。

あんた、しげるちゃん熊野サによう似たあるでえ」
「…………」
「熊野サのきょうだいは10人や。……亀サ(常吉)やろ。そして亀乃サ、伝さん、万太(萬吉)にいさんと熊野サ……」
 しばらく考えてから、
「その下の朝枝サはわしと同級や。昔死んだんやけどの。それからよしえサ、明春さん、すみえサ、・・・もう一人いたんやけど、忘れたあの」
「よう覚えてくれたあるのう」
「あんた、熊野サそっくりや。えエ子やのお。また逢いに来ておくれえよお」

 
<〔母のこと〕
閉じる