一泊二日で故郷の和歌山県新宮市三輪崎へ行ってきた。叔父の逝去による(小芝菊松、享年92歳)。(2003年6月)
8人兄弟姉妹の何番目かで、ぼくの父は長男だった。叔父は死ぬまで現役の漁師を全うした。研究熱心で、発明も幾つかし、三輪崎の海でトラフグの在りかを特定できる貴重な老人だった。三輪崎の村祭りには欠かせない長老だった。
新宮は南紀熊野地方の一角で、三重県との県境だ。熊野灘に面する。
初日(6月21日)、新宮駅前の徐福公園で偶然井手貞雄氏に逢う。熊野・新宮の語り部である。89歳と6ヶ月。
「運命的ですね」
オーバーな表現で再会を喜んでくれた。というのも3年半前(1999年12月)に、たまたま妻と新宮・浮島の森を観光したとき、案内してくれた方なのだ。
そのときの模様は下記のとおり。(南紀熊野「熊野古道メモ・高野坂」より)
新宮駅への途中で浮島の森に立ち寄った。
86歳の井手さんという方が中を案内してくれた。市街地でこの小さな一角が『浮島』であり、『浮島の森』である。亜熱帯、温帯、亜寒帯の樹木、草花が共生している。ボランティアの井手さんは年を感じさせない。要所要所で丁寧に説明してくれた。
ご多分に漏れず、浮島の森も古代から近世に至るまで文献や歌に顔を出す。上田秋成の雨月物語、「蛇性の婬」で怖い舞台にもなっているらしいが、ここでは、入口の案内板にあった歌と俳句を記録する。 |
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ほんに浮島浮いてはいても根なし島とは言わしゃせぬ 野口雨情 |
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名にし負はば逢坂山のさねかずら人に知られで来るよしもかな 藤原定方 |
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浮島のやまもも熟れて落つるまま 作者不詳 |
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その後熊野地方の貴重な資料を送ってくれて、音信が途絶えていた。
「明日ぜひ会いたい」、という。事情を説明し、「午前中少しだけ」との願いを受け入れてもらった。
22日、浮島の森で朝10時に会う。大きな紙袋いっぱいに資料を持参してくれていた。
「私は長崎の生まれですが、昭和21年(1946年)中国から引き上げて以来、ずっと新宮に住んでいます。乾物・缶詰の卸商の傍ら、熊野・新宮の研究を続けてきました。ご興味ありとのことで、うれしいです」
そういって、時間を気にしながら、彼の所蔵「熊野に関する資料」を一つ一つ説明入りで見せてくれた。
ぼくの目の色が変わるのを見て取って、
「よろしければお持ち帰りください」
惜しげもなく、大半をお譲りいただいた。
その一部を列記する。
熊野の列石(シシガキ)、熊野列石研究会
坪井蜂音庵(ぶあん)について、原田憲雄著
熊野三山信仰、井手貞雄編
新宮の由来、井手貞雄編
浮島の森が浮遊した年代について、新宮藺沢浮島植物群落調査委員会
近世の浮島の森について、井手貞雄編
徐福、井手貞雄著
新宮市文化財史跡、井手貞雄編
新宮市街地図、昭和9年頃
熊沢天皇始末記、「正論」1989年
新宮市のあゆみ(原始時代〜近代)、出所不明
川原町の水害、出所不明
紀伊続風土記、井手貞雄編
いずれ、ぼくの「南紀熊野紹介」の大いなる助けとなろう。
井手様のますますのご健勝、ご活躍を祈りつつ、感謝を込めて。
小話集第20話〔熊野の語り部に逢う〕 おわり
2003.06.22
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