Part 1 苦あり楽ありの夢
Part 2 見果てぬ夢
2014年秋、夢二題
Part 2 見果てぬ夢

 ぼくの英語は、中学にはじまって高校卒業までは「聞く・話す」は無縁で、「読む・書く」に終始した。
 といっても教科書と大学受験参考書の範疇(はんちゅう)においてだ。英字新聞や小説を読んだ覚えはないし、外人に接するチャンスは皆無だったから、話すことはもとより、英文での文通の記憶もない。
 ぼくにとっての英語は生きた言葉ではなく、数学と同じで、ルールにのっとった(こちらは例外混じりだが)ナゾ解きだったのだ。
 ずっと塾通いしたのが幸いしてか、中学から高校卒業までの6年間を通して、英語の成績は自慢に値した。とくに高校ではそのために、夏期講習の講師をされた当時の有名教授からT外大英米科への進学を勧められ、受験し落ちた。浪人1年でH大社会学部を受験したのも得意の読み書き英語を活かしたかったがゆえである。幸い今度は合格した。

 両大学とも受験科目に「ディクテーション」(dictation、聴き取りテスト)があり、現役受験のT外大ではチンプンカンプン。そのショックで、他科目も身が入らず、当然合格ならず。浪人後のH大ではゆうゆうの通過。浪人時代、ふる里近くにアメリカ人宣教師グレン・スワンソン先生がいることを知り、お願いして英会話を学んだのが功を奏した。初めて接した外人である。

 といってもスワンソン先生との英会話はぼくの理解力にあわせたスロースピードだったし、H大のテストはそれよりもっと遅くて、容易に聞き取れた。スピード、これが英語における決定的な壁と認識している。それともう一つの悩みは単語量。日常英語だけをとっても、両方ともハードルが高すぎる。

 英語とは中学からいままでかれこれ60年もつきあって、その間に前後併せて4年近く米国に滞在した経験があるというのに、いまもって外人との会話はしどろもどろ。自分の考えをまがいなりにも伝えられないイライラはともかく、相手の話についていけず聞き返すときが多い。わかったふりをすることのなんと多いことか。スピードが速すぎることと、わからない単語・表現の多いこと(ボキャ貧)が、大半の原因だ。
 実際、テレビの英語ニュースは半分りにもならず、コロンボやポワロは英語での視聴をあきらめている次第。それでもときどき見る映画は、宮崎駿監督の作品以外は、英語の映画に決めている。

 この無残な結果にいたったわが人生行路を概略振り返ると……。

 中学に進む少し前に英語塾に通い始めた。米国駐留軍に勤めた方の塾で、教わった内容は記憶にないが、少なくとも中学での英語の授業を楽しくしてくれた。
 高校に入って英語教師の塾にずっと通った。新宮高校は新宮市街地の外れにあり、塾である先生の家は社宅で、高校のそば。ぼくの家はそこからちょうど一山越えた港町の三輪崎だ。毎週(だったかどうか?)日曜日に、いとこで同級のY君と自転車で、片道30分以上かけて通ったものだ。
 おかげで高校3年間を通して英語だけは引けをとらず、大学は現役で受験したT外大は失敗に終わったが、翌年H大は幸い合格。
 が、ぼくの大学受験・合格は目的そのものだった。進学したもののその向こうになんの夢も理想もないから、入学と同時に英語・学問への情熱が消え去り、典型的な無為徒食の4年間を過ごしてしまった。英語だけはさすがに授業では上位で、なんの苦労もなかったが、それは高校時代のガリ勉の遺産による。

 かろうじて卒業できた学生に、いわゆるあこがれの大手企業が手を差しのべるはずはない。商社だけはどこもなぜか好意的だったが、厳しいビジネス環境を予想して敬遠。ゼミ担当のT助教授の紹介で名古屋のD製鋼に入社した。大卒同期は64人、H大からはぼくともう一人。
 D製鋼は新日鉄傘下の特殊鋼メーカーで、輸出部を置き、海外市場に目を向けはじめていた。が、ぼくが配属された鋳鋼事業部は国内本位だった。時たま外国が相手となってもすべて商社まかせで、横文字に苦労している様子はなかった。

 入社4年が過ぎて社内の留学試験に受かり、米国のペンシルベニア州立大学(Penn State)に1年社費留学。長女が生まれたばかりで、1年間ホームシックに泣いた。会社からは、学問はどうでもよいから、英語だけは話せるようになってくれとのお達し。学問のほうは会社の指示を固く守ったが、英語は努力が報われなかった。
 帰国後社内で職場を転々するが、いずれも英語が活かされる場に恵まれた。長居することになる鋳鋼事業部も輸出に重点を置くようになったからだ。
 42歳のとき、ニューヨーク駐在となる。担当は販売管理・営業。
 家族5人でコネチカット州の町に住み、ニューヨーク・マンハッタンのクライスラービルまで、電車で通った。
 ビジネスは、ぼくの期待値をはるかに超えてはかどり、新設の現地法人に赴任2年足らずで収益を計上できた。そんなとき体調に異変をきたした。
 たまたま得意先の日本訪問に同行した4日目に東京で倒れた。脳梗塞。それまで6ヶ月あまりの思い当たるすべての兆候がこの病を示唆していたのだ。

 米国に帰れずそのまま日本勤務となり、家族も半年して引き上げる。
 不自由な体で3年間、英語を生かせる仕事に携わる。そして身勝手に退社し、個人会社を起業。英語とは無縁の業務ソフトの活用支援会社だ。うまくいくはずはないが、結果的になんとかなった。
 60才の還暦を機に会社を後進に(ゆだ)ね、引退した。そして現在にいたる。

 起業以降はともかくも、20数年にわたるD製鋼(現D特殊鋼)時代、ぼくと英語のつきあいは切っても切れない。英文カタログを作ったり、海外の客を案内したり、駐在前の米国出張は20回近くだった。
 なのになぜ? 読み書きはそこそこにできるのに、聞く・話すはあきらめの境地だ。ラジオ、テレビ、映画の英語がわかったことはないし、考えを比較的スムーズに伝えられた経験は数えるほどしかない。外人のほめ言葉にあうこともあったが、お世辞であること百も承知だ。だって、彼ら同士が話しあっていることを理解したためしがない。やはりぼくの先天的欠陥なのだろうか。脳梗塞の後遺症といえば冗談が過ぎるか。
 D製鋼を去ってから現在まで、20年以上たつ。この間最近まで英語と断絶しているから、昔取った杵柄まで過去の遺物にしてしまったことを認めざるを得ない。英語は体にしみこませて培養し、それを活用しているのだから、使わなくなれば自然消滅するは理の当然である。
 だから現在にいたる流れは納得ずく。遅ればせながら昔取った(はずの)杵柄を探している状況だ。

 2年ほど前、浦安の中央図書館で懐かしい書籍を見つけた。「アメリカ口語教本」(研究社)。
 確か、半年後に米国駐在、との辞令を受けた30年ほど前だ。東京支社近くに英会話スクールがあって、毎週ここに通った。そのときの教材がこれ。
 その後改訂が繰り返されたらしく、書籍棚のは5年前の改訂版だ。CD3枚付きで、「上級用」。あの時の教材は初級用、中級用、それとも上級用? さっぱり覚えがない。
 借りて家でじっくり調べてみた。24章に分かれ、それぞれ、Presentation(物語)、Application Dialogue(会話)、それにむずかしい単語や表現の補足から成り立っている。CDには全ての物語と会話が収められている。
 CDは予想どおり理解不能。ただうれしいのはスピードだ。普段アメリカ人が読み、話すスピードと変わりなさそうなのだ。多少遅めではあっても、これについていけるようになれば大いなる進歩となろう。
 書籍も上級用というだけの値打ちはある。単語も表現も、これまで手にしたこの(たぐい)の本とはひと味違って、より高度な感じもし、こなれている。それらがぼくの体に入り、幾分でも口から出るようになれば、と強い興味を覚えた。
 インターネットでアマゾンを調べる。あった。初級も中級も上級も、全て。中級と上級を購入することにした。
 こんな時、アマゾンは便利だ。日ならずして2冊とも受け取ることができ、付属のCDをiPodにコピーした。

 目的は、生きた英語を素直に聞けるようになり、自分の考えを話せるようになること。そのためにはぼくの場合、英語に中級も上級もない。そんなしょった考えで、主として上級用がわが友になっている。
 これまで寝床ではいわゆる寝床寄席で、毎晩寝入るまでiPod収納の落語のお世話になっていたが、以来子守歌は「アメリカ口語教本」の英語に変わった。上級用3枚のCDは、それぞれ1時間弱にまとまっているから、その1枚単位が終わる頃はほぼ白河夜船。これは落語の寝床寄席と同じで、うってつけの安眠剤だ。
 昼間に歩いたり、バスや電車の車中で聴くiPodのクラシック音楽も英語に変わった。書籍を携帯し、ときどきわからないところをチェックするようにと思っているが、これはあまりやっていない。

 それでなぜ? 2年もたって、はかばかしい進歩が感じられないのだ。
 NHK-BS1で週日に、いくつか短い英語ニュースがあるのを知り、これらを録画しては夕食の酒のつまみにしているが、皆目わからないのはいまも同じ。CNNがさっぱりなのは当然として、悲しくなる。やはりぼく自身の先天的欠陥か。
 しかし英語のリズムはぼくにとって雑音ではない。心地良いとまではいかなくても、右の耳に入ってスムーズに左に出ている。

 こんな夢を追い求めている余得は、気に入った表現や単語を、現在進行中の「紀行文の英文化」に利用できること。内々ほくそ笑みながら実行している。
 この英語習得の思い、夢で終わることは目に見えているが、当分独りよがりの趣味として続きそうである。

 蛇足を加えると、スピードラーニングとかのキャッチフレーズで宣伝されているいくつかの英会話習得の教材を知らないわけではない。多分それぞれが多大の御利益を秘めているのだろう。テレビCMや新聞広告も数々の成功事例を伝えている。
 なぜぼくはその恩恵にあずかろうとしないのか。70を超えたこの年齢が大いに関わっている。
 ありあまるヒマ。より早い上達を熱望しているが、一方でいまのやり方はヒマつぶしにもってこいなのだ。
 それに、山頂を極める道が幾通りもあるくらいだから、英会話習得の道もただ一つではあるまい。天空に向かって槍を構えるドンキホーテよろしく、これからものろ足の自己流に寄っかかることになろう。

朗読 18'17"
朗読計 31'23"
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おわり
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再朗読(2023.08.08)
小話集第60話「2014年秋、夢二題」
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