Part1 2泊3日の旅 Part2 房総白浜界隈 Part3 食事雑感
Part2 房総白浜界隈
野島崎の海岸
野島埼灯台
 昨夜はほろ酔い気分で床についた。iPodに携帯スピーカーをつないで、今宵の睡眠剤はどれにしようか。最近ひいきの桂米朝にあわせる。「はてなの茶碗」を選び、続いて「三枚起請」。古今亭志ん生のと聴き比べていたつもりだったが、いつの間にやら……。
 気分さわやかに目覚めて朝湯をゆったり。朝食も余分目にいただく。
 さて本日は近場の観光。といっても地の便はなく、路線バスもままならないようだから、自分たちの足で巡る他はない。
 徒歩ないしホテル貸し出しの自転車で行ける距離にある名所といえば野島埼灯台だけだ。外房の鴨川シーワールドや内房のマザー牧場は車でない限りはるか彼方。
 午前中は野島埼灯台とその周辺をサイクリングすることにして、午後は千倉の道の駅「潮風王国」≠ワで歩いて往復しよう。
 9時過ぎに貸し出し自転車でホテルを出発。歩道・自転車道は、浦安と違って液状化もないし隆起・陥没もない。ゆっくりこぎ出す。
 海沿いに小さな公園が幾つもあった。その幾つか目で、内湾状の向こうにせせり出た林にちょこんと乗っかって、灯台の上半分が見えた。真下は荒磯だ。岩肌は焦げ茶に白混じりの洗濯板で、あちこちに奇岩がぬっと突き出ている。対照的に海はさざ波すら気を遣っているような静けさだ。
 その公園でぶらぶらしたから、灯台入り口まで1時間近くかかった。
 左に厳島神社を見ながら、灯台をぐるっと囲んでいる野島崎公園へ。白亜八角形の灯台を見上げながら海側を半周する。白浜海洋美術館はスキップした。
 灯台はてっぺんまで72段の急階段だが、途中の踊り場で休みながら息切れもせず昇った。
 展望台を、見る角度によって景色が変化するのを楽しみながら一周する。天気晴朗波静か。これで景色を褒めなければ(ばち)が当たる。
 隣接の展示館で(くつろ)いだ。
 野島埼灯台は、慶応2年(1866)にアメリカなど4カ国と締結した江戸条約に(のっと)って建設された8灯台のうちの一つ。
 明治2年(1869)にフランス人技師ウェルニーによって設計され、その年12月18日に初点灯した。
 昼間の沿岸航海が中心であった日本船に比べ、太平洋を渡る夜間航海の外国船にとっては本格的な洋式灯台が必要とされてきたときのこと。野島埼は東京湾への出入りに重要な航路にあたるため、横須賀の観音崎に次いで、全国2番目の建設。
 大正12年(1923)の関東大震災によって一度倒壊したが、翌々年に再建されて現在に至っている。

灯台の概略

 房総半島の最南端・白浜地区、北緯34度54分06秒、東経139度53分18秒に位置している。白色塔形で、灯質は単閃白光で毎15秒に1閃光する。光度:73万カンデラ、光達距離:17海里。高さは地上から灯火まで26b、水面から灯火まで38b。(社団法人 燈光会)
 帰りしな灯台隣、海の神様を祀った厳島神社に参拝する。灯台ができる以前、江戸安永年間の1776年に創建されたよし。

 境内にこんなのがあった。

 1.七福神
 「武田石翁の七福神」とあり、立て札にはこう書かれている。
 「武田翁(安永八年〜安政五年)は安房の生んだ幕末の優れた石工。この七福神は石翁十九歳の作といわれている。男神六体は野ざらしで、弁財天のみ社殿に祀られている。」

 2.平和の愛鍵
 立て札をそのまま書き写す。
 「男根・七不思議 …… ぶらぶらすれども落ちもせず、(きん)があれども通用せず、竿があれども干しもせず、金があれども光なし。縫目あれどもほころびもせず、玉があれどもうてもせず、天を仰ぐこともなし。
 されど恋を成就し、子宝に恵まれ、すぐれた御利益のある(ほこら)也。」

 芭蕉もここに立ち寄ったようだ。句碑がある。

あの雲は稲妻を待(つ)たよりかな
 寄り道しなければホテルまでの帰り、20分だった。正午前に着いて、自転車を返した。
「潮風王国」行き帰り
 つかの間休んでホテルを出る。今度は歩きだ。自転車は、景色に気をとられたりしてよそ見に夢中になると危険。それに比べると安気でよい、ということで。
 隣町千倉の道の駅「潮風王国」を往復する。朝の満腹感がまだ続いているから、ウォーキングで腹ごなししたあと、そちらでの昼食を楽しみとした。
 その「潮風王国」まで車で7〜8分と聞いたから、徒歩なら1時間半程度だとタカをくくっていた。そのように歩けばそうだったのだろう。が、事情は異なった。
 海岸沿いは海と岩礁の絶景ばかりでなく、キンセンカ、ストック、ポピー、ヤグルマソウ、ツツジ……、足元にも目を奪われる。花の季節は過ぎたとはいえ、道すがらも並みの景色ではない。
 普段のとおりに歩を進めながら、気の向くまま横道にそれたり、草花木々の感触を楽しんだりしているうちに1時間半が過ぎていた。目安の千倉大橋はいつ現れるのか。
 元気な妻もかなり疲れを催してきたようだ。2時間経った頃に「お父さん、あそこのレストランで食事して帰りましょうよ」。ぼくの左足ハンデも気にかけてのことだなと判断し、思わず同意したくなったが、ここは心を鬼にして「もうすぐだよ」と、励ましともつかぬ無責任な(から)元気の応えを返す。
 やっと千倉大橋にたどり着いた。道の駅はそこから800mとある。たしかにそれらしき建物が向こうに見え隠れしている。潮風王国に着いたら、とっくに2時を過ぎていた。
 道々の静けさとは打って変わって大賑わい。子供連れ、若者たちがワイワイやっている。青空屋台も晴天の(もと)、華やかだ。
 海辺の広場はイベント・コンサートたけなわで、着飾った若い男女の歌い手たちが入れ替わり登壇する。大音量で、今様フォークがギターの伴奏にあわせて鳴り響く。
 魚市場の会場は大がかりだ。物欲しそうに物色したが、生ものは持ち帰るわけに行かず、干物は先日敦賀からぎょうさん送っていただいたのが残っている。結局買い物なし。
 ……二人とも空腹感がない。サンドウィッチ少々で昼食とし、さて。
 タクシーはなんだし、路線バスもあるのだろうけど、「歩いて帰ろうか」。意外や妻も同意。
 道草しなければ早く着くものだ。疲れは極に達したが、4時半にはホテルにゴールイン。お茶でのどを(うるお)して風呂へ急いだ。
 夜の地料理はビーフ付だった。ウェルダンに焼きすぎて味を損ねたが、その分刺身が埋め合わせてくれた。……冷やを少々。
外房の各駅停車風五月
やはらかき光惜しまん紋黄蝶
ゴム靴が走るキュッキュと磯遊び
学生の合宿リュック聖五月
座す我と雀跳ねいる青き芝
耳朶に安房の潮風金盞花(きんせんか)
腕まくり灯台負ふて磯遊び
太平洋風と汽笛の夏来たる
恵美子
房総白浜、その他の写真
小話集第45話「房総白浜3日間2011」
<Part1 Part3>
朗読(12:25)  on
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