Part1 Part2
 浦安市のAAネット「こころの健康部会」11月例会で、50分間のスピーチを仰せつかりました(2009年11月17日)。
 3年前に入会したシニアの地域団体で、この部会によく参加しています。
 「そのうちなんとかなるだろう」と、奇をてらったテーマですが、本人としては大真面目で話させていただきました。
 10年来続けている「中高年の元気!」がネタもとです。ホームページの宣伝に終わってしまう心配をよそに、その要所要所をスクリーンに投影しながら、手前勝手なスピーチとなりました。
 18人を前に披露した50分の中身を、配付資料をもとに、以下要約しておきます。
 備忘録として残したい、が最大の理由です。併せて何らかの機会に、資料として再利用できればと思っています。
……………………
「さあさお立ち会い、ご用とお急ぎでない方は……」
 ガマの油でおなじみの大道芸人をご存知ですよね。顔中毛むくじゃらで、高下駄、よれた袴に鉢巻・たすき掛け、腰には大小の刀を落とし差しにしています。
 お客さんは通りがかりで、前の客の肩越しに立ち見ですから、余程の興味を覚えなければすぐに先を急いでしまいます。そうした客の足を釘付けにする「足止めの術」がこのガマの油売りの命綱です。落語で三代目三遊亭金馬(高田馬場)によりますと、
「名指しはせんが、お立ち会いの中にスリが3人おる。3人おるから、気をつけられたい。彼らは手前(てまえ)が話を終わる前に立ち去ろうとする。それがスリだ。」
 この部屋にみなさんを閉じこめて話すことのできる私は幸せです。
 「中高年の元気!」主人公の「ぼく」は、小芝繁という人間の体に居を構えた得体の知れないものではないかと思うときがあります。いわば小芝繁のヤドカリですが、ヤドカリと違うのは、小芝繁という人間が命尽きるまで抜け出せません。
 今から話す主人公は「ぼく」です。みなさんの前にある小芝繁とよく似ていますが、違うところもたくさんありますよ。「妻」はぼくの1歳下です。
1.中高年の元気!
 さて、私の趣味を通り越して今や生きがいともいえるHP「中高年の元気!」、その構成です。
 「中高年の元気!」のモットーは「そのうちなんとかなるだろう」で、幻想的紀行文と空想エッセイが主体のインターネット広場です。
 「中高年の元気!」は8つの広場から成り立っています。そのうち次の3つに力を入れてきました。
一つ、「山歩き」 …… 山の紀行文です。47話で中断しています。
 11年前から3年間(1998-2000年)、山歩きに夢中になり、その紀行文を綴りました。一話毎に、何らかの思い出、出会い、心境、出来事を盛り込んで、山の賛歌とは別に、人生来し方の点景描写を心がけました。
 2001年初めに、80歳を超した方々の大学同期会である「12月クラブ」のHP制作を引き受け、こ一年、それに没頭してしまいました。以来、心ならずも山歩きはずっと挫折したままです。代わりにその後テニスに励んでいます。
二つ、「雑記帳」 …… 旅の紀行文とエッセイ、小説集です。
 紀行文は、国内・海外を問わず、旅先の思い出に、種々のエピソードを織りまぜています。
 エッセイは、趣味・近況等、一話としてまとまりそうなトピックを綴りました。
 小説を3作品載せています。セキセイインコ(ピーチャン)の鳥生、父をモデルにした海の男、怪獣だらけの大学講堂にまつわる話、その三つです。いずれも思い入れの強いものです。
三つ目は「小話集」です。比較的短いエッセイや紀行文を載せています。この話も第40話として、この広場に入れることにしました。
 他に、「某日@某所」という写真集、ふる里紹介の「南紀熊野」、米国のさる大学にいたときに記した「USA69-70」、備忘録としての「覚え書き」、それに旅の紀行文や写真集を抜粋した「旅日記」があります。
 「中高年の元気!」をこまめに覗いたらしい方からメールを受け取りました。「あなたの経歴はこんな具合ではないですか?」と。添付書類に詳細の一つ一つが箇条書きで記されていました。その見事さにびっくりするやら感心するやら……。
 私よりも「ぼく」の情報をお持ちで、ご興味いただいたことに御礼申し上げた次第です。いま彼は、私、小芝 繁の友人の一人です。
 スピーチの焦点を「脳梗塞罹病」の時期に合わせてほしいとのご依頼ですので、彼の箇条書きを参考にしながら、ここでは、「ぼく」が35,36歳の頃から話を進めていきます。
2.ぼくの来し方
1975-1980
    鋳鋼販売部の一員として、輸出も担当することになる。鉄道クロッシング(鉄叉、専門用語ではFROG=蛙)の海外拡販、とくに北米に目をつけた。市場調査ということで、20回ほど出張を繰り返す。技術陣、生産・工程の同僚たちとの連係プレイが懐かしい思い出。
 ……「某日@某所1975-80」海外出張、「雑記帳第1話」売蛙於米加
フロッグ(frog)
1980-1985
    4年間、ニューヨークの現地法人DSAに駐在。営業と販売管理を担当。1981年6月から家族が合流。コネチカット州グリニッチ市に住まう。ミッドタウンのクライスラー・ビル54階のオフィスへは、ニューヘイヴン・ラインの通勤電車で通う。約1時間。妻は子供たちを現地の学校へ送り迎え。
 ……「某日@某所1980-85」ニューヨーク駐在
1985.04
    日本へ出張中に脳梗塞に罹る。米国勤務は挫折、家族も長女を現地に残したまま帰国。
 罹病のときの模様は、雑記帳第26話「春が来れば思い出す」に記述。
1988.11-2000
    D社を退社し、コシバを起業。試行錯誤の結果、シニアのためのパソコン教室と、業務ソフトを通じて中小企業支援の会社に育てる。2000年、社長を退任。社業をヤナさんにまかせる。
 ……「小話集第6話」塞翁が馬
2000-2009(現在、69歳)
    この間のことは、エッセイ・紀行文・写真集のあちこちで触れてある。それなりに元気な日々。
 最近の様子は、雑記帳第55話「2009年秋、今日この頃」に書いた。
3.その時、ぼくの「妻」は?
(聞き書きということで……)
(1)1965年
    「ぼく」と結婚しました。以後、3人の子に恵まれました。
 夫のニューヨーク駐在にともない、1981年夏家族全員で同行するまで、子育てに孤軍奮闘いたしました。その間いろいろなことがありましたが、今は懐かしい思い出です。
(2)1981-1985
    英語に不自由しながら、コネチカット州グリニッチで子どもたちの現地教育に専念しました。現地で運転免許を取り、子どもたちの学校送り迎え、地域社会との接触に努めました。夫はノータッチでした。
 1985年春、夫が日本出張中に脳梗塞で倒れたため、突然戦災引揚者同様の帰国になってしまいました。
 ・現地の日本人の皆さまにはずいぶんお世話になりました。「恩返しは次に来る人にしなさい」と言われたことを覚えています。
 ・高校3年を前にした長女を現地に残しました。彼女は学校の先生宅に下宿させていただきました。美術担当の女教師です。長女と共にご恩は忘れません。
(3)1988〜
    夫は48歳で中途退職しました。そしてあてのない無謀な起業です。本当に振り回されました。
 資格を生かして保育園の保母になりました。生活の足しになり、子どもの学業費用にも役立ちました。空いた時間で「コシバ」のにわか経理担当をしました。
 1998年頃、やっと生活にゆとりが出てきました。テニスと趣味の俳句をはじめたのはその頃です。
 私の今の願いは、子供たちの幸せ、夫と一緒に行く海外旅行、そして仲間とのテニスです。全て健康であればこその楽しみです。
 夫との共通点はほとんどありませんが、苦しかったことは忘れ、楽しかったことはよく覚えている、これは夫との共通点です。
 ……「某日@某所2009」中欧4ヶ国点景10日間
 私は今が楽しく幸せです。夫は相も変わらず、見果てぬ夢と妄想に浸っています。私なりになんとかわかってきたつもりです。家計にまで迷惑を及ぼさない程度の小さな幸せのようですから。
朗読(17:38) on
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