Part1 Part2
《参考》 出会い
 振り返りますと、生まれてこのかた、一族郎党を超えて、数限りない人々のお世話になった、その人々と場面・状況が浮かんできます。
 「天は自ら助くるものを助く」とか「自分で歩んだ人生」とか、ときにはいい気になってしまいますが、所詮「お前のこれまではだれのおかげだ」と問われると、返す言葉がありません。これからも当然です。
 ここでは、節目節目の走馬燈でお目にかかる方々との出会いに触れさせていただきます。深謝、多謝!
夜も特訓してくれたY部長
   Yさんの油絵 脳梗塞で病院生活数日を経た頃、勤務先平取りのY部長が見舞ってくれた。部下に巨大な花束を持たせて。
「退院したらオレのところへ来い」と。
 社内で話はついているらしく、実質社命伝達だった。
 1ヵ月後松葉杖で出社してから1年間、彼の部で居候生活が続いた。
 バーのハシゴを得意とするY部長の昼夜に亘る薫陶に、やっと順応しかけた1年後、「いつでも戻ってこい」、Y部長に励まされて関連会社に出向した。その2年間は苦い思い出であり、D社を去って起業する伏線となる。(雑記帳第26話、Part2)
 ……「某日@某所2005」橙の会
Y部長の後ろはご趣味の油絵
お奉行さん
    コシバ立ち上げの頃、献身的に応援してくれた。勘定奉行のO社の認定店資格取得からユーザー・サポートのいろは≠ノ至るまで。しみじみ飲みましたねえ。
 立教大学時代は長嶋一茂氏のベンチウォーマーで、神宮球場のグラウンドに出たこともあるとか。色黒々は、地肌+毎日の早朝マラソン。
 ……「雑記帳第29話」不亦楽乎
誠心誠意のヤナさん
    1998年3月、大手IT企業の華麗な道を断(た)って、コシバ経営のパートナーになってくれた。2年後から、社長としてコシバを支えてくれた。
 とはいえ、その後もしょっちゅう会社へ顔を出しては口を出し、彼を苦しめたはず。すみません。
 ……「某日@某所1998」オーストラリア10日間
『本当は』の先達さん
    深川山歩会の会長。1998年に出会う。山歩きの手ほどきにはじまり、山の楽しさを味わわせてくれた。カラオケの先生。
 ……「山歩き」の大半に登場
 1999年の5月、奥多摩御前山へ連れて行ってくれたときのこと、山頂でこんなことがあった。
 「山頂の空は霞んでいた。『こちらのほうサ。ホントウは鷹ノ巣だとか、六ツ石だとか……。ホントウはドワーッとすごいんだよ!』 会長Nさんのぼやきがはじまる。無念のやり場ないときのいつものセリフだ。」
 「山から『ホントウは』を取ってしまったら会話は味気なくなる。とくに山では優れて重宝な言葉だ。ただ、これを繰り返すと白けてくるという、やや困った言葉でもある。
 『ホントウ』でない現実の景色はいったい……。たぶんにホントウの眺望は現実の「イマ」より格段に優れたものであり、イマはいかに不運な状況か、その悔しい気持ちの発露であるようだ。」
真ん中方杖が『本当は』さん
生涯世話役の大先輩
    二回り上の大学先輩。OB会の重鎮で、同期会「12月クラブ」幹事長。米寿の直後にお亡くなりになるまで、約5年にわたって、実子以上にかわいがり、引き立ててくれた。「怪獣の棲む講堂物語」主人公須賀五郎次のモデル。
 ……「小話集第29話」紙の博物館
 『怪獣の棲む講堂物語』より。
 「須賀五郎次は如水会の功労者だ。小柄で痩せぎすだが、人物の大きさは広く知られるところであり、世話役を何よりと心得ている。老いを忘れさせる若さがある。
 頭髪はなく、それを話の小道具によく使う。チロリアン・ハットが自慢だ。
 学生時代、ボートのコックス≠ナ鳴らした。コックスは、競漕時の司令塔たる舵手≠フ役目が仕事の一部である。クルーの生活管理が大部分を占める。彼が気を許した日はなかった。
『ボートが僕の原点なんだ。全てはそこで学んだ』そう述懐する。…………」
 大先輩に当たらずとも遠からず。
小説のお師匠さん
    2005年に出会う。「怪獣の棲む講堂物語」原稿を土台に、小説作法を教えてくれた。師匠の熱意についていけずぼくが挫折して、交遊はそれっきりとなった。
 ……雑記帳第23話「小夜の中山2006、Part3(夜泣き石)」
南紀熊野の宣教師さん
    ふる里新宮近くの町に住む宣教師、グレン・スワンソン先生。青年の頃から晩年まで、この町で布教に努められた。
 ぼくは大学浪人時代に知りあい、英会話を教わる。奥様ペギーさんのクッキーの味は忘れられない。
 すでにご夫婦とも故人で、ぼくはご子息たちと交遊が続いている。
 ……「某日@某所2000」スワンソン先生
Danny君と
Paul君と
鳥生を全うしたピーチャン
    オスのセキセイインコ。カキフライの鍋に左足を突っ込んで失い、右足はイスの下敷きになって萎えてしまった。それでも8年間の寿命を全うするまで、ぼくの50代の心を支えてくれた。
……「雑記帳第7話」ピーチャン
米国駐在の頃
Ed Broad氏
(Hitchiner Mfg.)

Greg Tod氏

(L.B.Foster)

Bob Piet氏



……………………
 さてこれから。孫がおれば……、これは授かりものとして。
 妻と子供たちの幸せ第一。ぼくはそのお裾分けに預かれるから。
 旅行を続けたいなあ。年2回海外、いつまで続くか。毎度妻を誘い出すのに骨が折れるけど、仕方なし。頑張ろう。
 衣食足りたあとは、ささやかながら持ち味を生かして、自分なりに地域のお役に立てればと思っています。ご要望にかなえばの話ですが。
 来年は古希の歳です。寿命を喜び、天命を楽しんで(楽天)いきたいものです。
小話集第40話「そのうちなんとかなるだろう」 おわり
朗読(11:25) on
<Part1
再朗読(2023.06.14) 24:59
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