Part1 Part2
Part 1
 この写真は、二十数年前に脳梗塞で倒れ、東京虎ノ門・慈恵医大病院の一室にて、カミングズご夫妻のお見舞いを受けたときのものだ。言うならば、ぼくの人生の変わり目を思い出させる懐かしい写真である。
 カミングズ氏は米国の大手ロストワックスメーカーのマーケティング担当役員で、奥様はお住まいのニューハンプシャー州某市の市長さん。お二人を日本へご案内して、ぼくの勤める大同製鋼(現大同特殊鋼)とのさらなる友好を確認していただいている最中だった。
 彼らはこのあと、別の社員の案内で予定のスケジュールをなんとか果たされ、一週間後に帰国した。
 
 その四年前から、米国コネチカット州のグリニッチという町に住んで、ニューヨーク・クライスラービル五十四階のオフィスに通った。妻と子供三人はぼくが赴任して半年後に現地へ合流した。
 最低五年間は駐在してほしいとの社命で、自分としては向こうに骨を埋めてもいいという気持ちをもっていた。
 日本への出張直前に隣町のリバーサイドに引っ越しを終え、米国定住に自信を持ちはじめた頃だった、脳梗塞で倒れたのは。
 ぼくが数日前に日本へ来、会社への報告を済ませ、成田空港にご夫妻を迎えた三日目、彼らと宿泊した皇居近くのホテルで朝目覚めたら、左半身がままならなくなっていた。目の前がぐるぐる回る。どのように身支度したのだろうか、ようやっとタクシーで虎ノ門の支社にたどり着き、ここで第一巻の終わりとなった。
 上の娘は高校卒業まで単身現地にとどまることにし、残る家族は半年後に米国をあとにして、もとの東京住まいとなった。その顛末(てんまつ)は、「雑記帳」の第二六話「春が来れば思い出す」に書いた。
…………
 二〇〇八年九月一五日(月)から二泊三日で新潟津南の温泉宿へ旅している間に、一通の封書が届いていた。妻宛で、米国ボルチモアからだ。
 差出人は米国社会保障局(Social Security Administration)で、以下の文ではじまる簡潔な一枚だった。これでぼくたち夫婦の手続きが全て終わったことを意味している。
 As you requested, beginning September 2008 any Social Security payments will be sent to the financial institution you selected.
 In order for us to send letters to you, please let us know if your mailing address changes.

  What We Will Pay And When:
* You will receive $??.?? for September 2008 around October 3, 2008.
* After that you will receive $??.?? on or about the third of each month.
   ………… 
(ご要望どおり、二〇〇八年九月分から、社会保障年金は、ご指定の銀行に振り込まれます。
 今後とも当方の手紙が確実に届くよう、住所変更の場合はその都度知らせてください。
 お支払いの金額と時期は次のとおりです)。
  …………
 三年ほど前に、あの頃ニューヨークのオフィスで一緒に働いていた二人と夕食をともにした。
 一人はぼくより数歳上で、カナダに定住している。彼が、
「まだ年金の手続きをしてないって?」
 彼よりもぼくが驚いた。そんな制度があったのだ。
「簡単だよ。すぐにやった方がいいよ」
 いとも容易(たやす)そうに彼は言う。四年なら大した金額ではないが、手続きする価値はあるよ、とも。
 教えられるまま、フィリピン・マニラの米国政府事務所から手続き書類を受け取ったのだった。
 どういうわけか、多分横文字書類の煩わしさに嫌気がさしたのだろう、そのときは書類一式を机の引き出しに入れたままで終わってしまった。
 
 半年前に浦安のシニア団体「AAネット」で、会合を終えてから、会員の一人とそのことを語り合える機会があった。
 七十を過ぎた方で、滞りなく毎月米国から年金を受け取っているよし。手続き? もう忘れましたがと、その頃を振り返る様子で、
「さほど難しくはなかったなあ。一つのフォームだけやり直しをさせられましたが、あっけなく終えたという感じですよ」と断片的に思い出してきたようで、
「その四ヶ月後だったかなあ、年金を受け取りはじめたのは。小遣いに毛が生えたようなものですが、助かってますよ」
 この言葉がぼくを勇気づけた。
 翌日引き出し奥で眠っている分厚い封書を探し出した。十何枚かの横文字書類と日本語翻訳付の数枚……、テーブルに並べてあの時のうんざりした気分がよみがえった。
朗読(7:06) on
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