梅雨の夜空にアルトサックスが吼えた。窓を破って、雨滴に光るネオンサインを貫いた。
重低音の響き。哀愁の調べ。バーラウンジは酔って揺れた。
Kensuke N、ストリート・ミュージシャン。今夜は、彼の室内独奏会デビューなのだ。
もの静かな男。小太り、訥(とつ)弁。どこからあんなパワーが爆発するのか。でいて、丁寧な演奏。心と気合がこもっている。頼もしく、大きく見えた。
6月25日、7:30pm。銀座のスナックにて。
狭い店内は、メール案内だけで参集したいわば内輪の50人ほどで埋まった。ロック、水割り、ワインが各テーブルに並び、客はサックスに聴き入る。ときどきウエイターがお代わりを運ぶ以外は邪魔がない。アットホームでいて、適度な緊張がただよっている。
ぼくはYさんと一緒にいる。Kensuke Nは、彼の肥えた耳にどうか?
9:00pmまで、たっぷり1時間半、Kensuke Nは小休みもしなかった。ときに感情豊かに、ときに力強く、うつむきかげんに目を閉じてサックスを奏でた。
- Saving all my love for you
- Ellie my love
- New York City Serenade
- My heart will go on
- Greatest love of all
- Georgia on my mind
- Twilight in upper west
- Without you
- Through the fire
- Hero
概ねピアノと電子音楽の伴奏付だが、ぼくはソロのほうが気に入った。
下戸のYさんは、付き合いの水割りグラスを掌(たなごころ)でもてあそびながら、結構楽しんでいる風だった。
ぼくはもっぱらクラシック音楽だから、Kensuke Nのジャンルはぼくにとって、「どちらかといえば……」なのだが、正直、身を乗り出して聴いた。
各曲のメロディは耳新しくないが、聴くにつれ、それらを超える魅力を感じた。数年前、小集会で柳家花禄(小さんの孫)が「紺屋高尾」を演じたときの印象と同じだった。伸びる!
だからYさんの感想が待ち遠しかった。
帰りがけにYさんは彼のCDを買っていた。そして、
「よかったね!」、ニコッとして言った。
ジャズファンを自認するも、フュージョン系はほとんど口にしない彼が、ごく自然に誉めた。
「あとは運と出会い、それにスタイルですかね!」
駅への道、雨傘越しにYさんは言った。
確かに気負いはある。初演のせいもあろうが、でなければ若さの特権は廃(すた)る。これを超えた向うにKensuke
Nスタイルが待っているか。
彼、今年初めまで大手自動車メーカーで生粋のエンジニアだった。40才手前。ぼくがD鋼をやめた年より10才は若そうだ。手に職(当然!)もあるし、ぼくほどアホウでもなさそう。
グッド・ラック!
帰宅を急いだ。テレビはサッカーW杯・韓国vsスペインが後半のデッドヒートたけなわだった。
実はその夜、ぼくも同じCDを買っていた。あくる朝聴きかけて途中でやめた。前夜かなり興奮し酔いもした同じ曲どもである。
あの興奮はうそのようだ。アルトサックスの甘ったるい音色でムードを必要以上に盛り上げているように聞こえる。嫌みな空回りだ。
あの感動はかぶりつき臨場感の産物だったのか。代わりにバッハをかけてほっとした。
ほどなくYさんから電話がかかる。
「昨夜はありがとう。よかったですね。たいした期待はしていなかったんだけど、並じゃないですよ、彼は。あとは運ですね、昨日も言ったけど。いまCD聴いてるんですよ。なかなかじゃないですか。気持ちがこもってますよ。レパートリーをもっと増やして、世に出て欲しいですね!」
〔ストリート・ミュージシャン〕
おわり |
2003.06.08 |
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朗読(9'45") on |
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