Part1 巡視船いず≠ノて Part1朗読(14'43") on
 秋雨が続いている。予報は「引き続き雨。それに大型台風が近づいている」。一体どうなることか…………
 それが、「○○心と秋の空」となって、思わぬ好天に恵まれた。
 今日(9月29日、2002年)は、東京湾にて、海上保安庁の「平成14年度観閲式および総合訓練」の日だ。Mさんの父が招待してくれていた。
 Mさんはいとこで、大手新聞のデータベース副部長であることは別項で触れた(「某日at某所」、2002.09.09焼鳥屋で)

 本題の前に、前日の出来事に寄り道する。
 如水会N先輩のお誘いで、雨中浅草へ行った。木馬亭で、「浅草安来節25周年記念公演」。あくる日の観閲式と、ぼくとしては珍しく二日続きのお招きにあずかった。 
 浅草すしや通りの「十和田」で腹ごしらえ。そば味噌、おひたしに熱燗少々。仕上げは地獄うどん。12時30分の開場にあわせて十和田を出る。店主の冨永照子女史は海外出張で会えず。
 木馬亭が見えて、先輩も怪訝(けげん)そうにぼくを見た。入口は閑散として、人影なし。
「まさか先輩と二人だけではないでしょうね?!」
 半ば茶化してぼく。
 二人とも首をひねりながら入って仰天した。超満員じゃないか!
 250の座席はおろか、立見客でひしめいている。みんな開場前に入っていたのだ。
「連れは高齢なんですが……、83歳です。どこか席はないですかね」
 関係者に懇願すると、一瞬思案しながら最後部の立ち見席に折りたたみ椅子を二つ工面してくれた。
 13時開演。終了の16時40分過ぎまで、休憩なしのマラソン公演。まこと、折りたたみ椅子はぼくにも値千金だった。
 合奏、ばか面笑福踊りにはじまって、銭太鼓、安来節高座、浪曲、どじょう掬い連(よごれ)……、〆は安来音頭。手を変え品を変え、安来節三昧だ。
 途中、「そろそろ出てもいいんだよ」と気遣ってくれた先輩も、いつしか興奮の坩堝(るつぼ)でわれを忘れている。ぼくも本当に驚嘆した。感動した。"美山たかね"師匠にだ。
 彼女、御年80歳を超えている。しかも数年前に咽喉ガンにおかされ、かろうじて克服。昨年は腸の病気で死地を彷徨われたよし。
 本公演は、通して美山師匠の独壇場だった。他の御歴々はすべてかすんだ。途中漫才で一息入れたが、出演の斯界大御所ご両人も影が薄かった。
 歌ってよし(安来節総まくり、浪曲、歌謡曲)、踊ってよし。声の張り、息のつづき、何より美声、それに気品に満ちた江戸っ子のお色気。だれが高齢を想像できる! 「まさに芸術、国宝級!」、期せずして先輩と同じ賛辞が口を突いた。

 興奮の手締めはラーメンで。この前一緒に入った店にて(「某日at某所」"8月、浅草の一日"参照)
 ここでもずっと美山師匠の話に花が咲いた。一日中雨の浅草、……浅草はそれもよかった。
 (その日、先輩と待ち合わせ前に通りを歩いてカメラのテストをしたところ、一枚撮って充電池が切れた。この写真がその一枚。肝心なのはなんにもなし)。

 本題に戻す。
 9月29日(日)、10:00に桜木町駅の"みなとみらい21"で待ち合わせて、横浜新港ふ頭へ。天気晴朗波静か、うそのような秋晴れである。
 海上保安庁2日間の式典の2日目。

 観閲船隊4隻のうち、巡視船「いず」に乗る。他の3隻は東京港から。
 観閲客総数は、2日間で7,195人。一般公募倍率14倍だったとのこと。
 因みに、「いず」の主要目は次のとおり。

全長 ・・・・・ 約110.0m
・・・・・ 約15.0m
深さ ・・・・・ 約7.5m
総トン数 ・・・・・ 約3,500トン
速力 ・・・・・ 約20ノット
主機関 ・・・・・ 6,000PS x 2基

 12:30出港。
 船尾の一般見学席は大勢の老若男女、とりわけ子供たちが多い。みんな楽しそうにはしゃいでいる。
 「いず」は10ノット超のスピードで快適に進む。東京湾に出ると、まずは海上保安庁職員の「やさしい化学実験」と、保安庁きってのマドンナによる「紙芝居大会」のはじまりはじまり。

1. コップ1杯の味噌汁を海にこぼしたら、元の環境に戻すのに(風呂の)湯船何杯の水が必要でしょうか?
 牛乳だったら? ガソリンだったら?

2. 海亀さんはクラゲと誤って(捨てられた)ビニール袋を食べてしまいました。さて、海亀さんはどうなるのでしょうか?

 実験の楽しさはもちろん、半世紀ぶりに紙芝居に興じた。最初はざわついた子供たちもマドンナの熱演に引き込まれていた。 
マドンナの紙芝居 
紙芝居を見つめる
マドンナと

 その間、「いず」は東京湾のど真ん中、ちょうど羽田空港と対岸の木更津を結んで、ぼくの住む浦安から垂線を下ろしたところに向かっている。ここで東京港晴海ふ頭からの3隻、「おおすみ」「つるが」「やしま」と合流する。ここが「観閲式及び総合訓練実施海域」だ。
 船上から眺める東京湾は広い。いや、そうでもないぞ? あちらこちらでタンカー、漁船、レジャー船、……大小各種が行き交っている。一見優雅なようだが、海難事故も頭をかすめる。だからこうしたイベント、ということにもなる。
 さわやかな空、そよ風とまぶしい太陽。5月初めに行ったシンガポールへの旅を思い出した。あのとき、自由行動の一日をフェリーでインドネシア・バタム島へ渡ったのだ。赤道直下、小島が散らばる大海。東京湾とはまるで違うのだが、あのときのシーンがこの海にだぶった。4ヶ月前、バタム島への船上を再現すると、こうだ。

 青空に灰色の入道雲がいくつも浮かんでいる。気温は30度を超えた。サングラスにも景色はまぶしい。
 フェリーはほどなく内湾を出る。海は緑のマリンブルーに変わる。途端にエンジン音が高鳴って、スピードが上がる。ぐんぐん上がって、27ノットの速力になる。船尾に立つぼくに、情け容赦なく波しぶきが跳ね上がる。
 後方は船跡の白い帯が海を真っ二つに分けて、どんどん長くなっていく。点在する小島をぬって、フェリーは驀(ばく)進する。限界速度に挑戦しているかのように、轟音をとどろかせて。いまや怒鳴りあっても会話は成立しない。
 行く手に貨物船が次々と現れる。LNG基地があるせいで、タンカーが多い。鉄鉱石船のようなの、得体の知れない格好の船、・・波間に消えるような小船もかなりある。これらが猛スピードのフェリーを不規則に脈絡なく遮(さえぎ)る。無事故を祈った。
 空は、旅客機が数機単位で一方から現れては頭上を通過して消え、また別が現れる。飛行船も見える。
 まさに海洋アクション映画だった。
 (雑記帳第18話「シンガポール4日間、Part5」参照)

バタム島へのフェリーにて

 「いず」の船上に戻る。
 船内スピーカーのBGMは「海ゆかば」や「軍艦マーチ」にあらず、ポピュラー・クラシックが流れている。まことのどかな光景で、映画「愛と青春の旅立ち」(An Officer and a Gentleman)の晴れがましいシーンを思い出させた。

 さて、観閲式および総合訓練。
 観閲式とは、「観閲船上の観閲官に対し一列縦隊となった船艇、航空機が順に敬礼を行い、観閲を受ける海の式典」(海上保安庁資料)である。
 14:35から、(主催の海上保安庁用語でいえば)スケジュールに沿って粛々と進行する。ぼくたち観客は開始早々から興奮して、どよめきたった。
 式次第は以下のとおり。Part2「海上訓練オンパレード」で詳述する。

○ 観閲式
 観閲官 国土交通副大臣(前日は大臣)・海上保安庁長官
 総合指揮官 第三管区海上保安本部長
 観閲船隊 4隻
 受閲船艇 12隻
 受閲航空機 13機

○ 総合訓練
 1. 放水展示訓練
 2. MH型編隊飛行訓練
 3. 海上防災訓練
 4. 人命救助訓練
 5. 不審船対応訓練
 6. 密輸容疑船捕捉訓練

Part1朗読(14'43") on

Part2 海上訓練オンパレード Part2朗読(8'03") on
海上訓練オンパレード
 式次第の時間遵守は徹底している。14:35から11分間、観閲式を挙行。これがイベントのはじまり。
 一列に並んだ観閲船4隻を前に、以下の船艇・航空機・ヘリコプターが海へ空へパレードを繰り広げる。
1.  受閲船隊は4小隊に分かれて、つしま、昭洋、だいせん、海洋、いわき、もとぶ、あやなみ、いなさ、さろま、うみぎり、びざん、はやぐも。
2.  関係官庁船艇パレードは、しょうなん、みやこどり、つくばね、あさぎり。外国海上保安機関船舶として、プリモーリエ(ロシア国境警備庁)。
3.  受閲航空機隊は6群に分かれて、MH684シーダック、MH540きんこう、MH536たんちょう、MH908はまちどり、MH906おしどり、MH805わかわし、MH685わかたか・・・以上、ヘリコプター。
 MH870あきたか、MA869はくたか、MA951はまたか1号、MA952はまたか2号、LAJ570おおたか1号、LAJ571おおたか2号・・・以上、航空機。
4.  訓練参加船艇は、ひりゅう、よど、あわなみ、しおかぜ、くりかぜ、やまゆり、はまかぜ、のげかぜ、いそかぜ、ちどり、第5川崎丸、まつかぜ、よこはま、きよたき、あさま、ぼうそう。
5.  その他、訓練参加ヘリコプターとして、MH617こはくちょう、かもめ。
観閲式 観閲式
観閲式 観閲式
観閲式 観閲式

 続いて各種訓練オンパレード。

放水展示訓練 (14:46から3分間)

 消防船ひりゅうの放水をメインに、消防庁消防艇を含む5隻の船艇が連携し、放水しつつ航走する。
放水展示訓練
放水展示訓練
 ヘリコプター編隊飛行訓練 (14:48から3分間)
 5機のヘリコプターが編隊を組み、カラースモークを放出しながら、観閲船隊の右後方から接近し、展開する。
ヘリコプター編隊飛行訓練
ヘリコプター編隊飛行訓練

 海上防災訓練 (14:53から7分間)

 タンカーが航海中に爆発炎上したという想定で訓練を行う。
 まず、消防庁・海上災害防止センターと連携し、6隻の消防船艇等で消火活動を行う。次いで、消防船ひりゅうが粉末消化剤を放射し、火災を鎮火する。 

人命救助訓練
 (15:00から10分間)

 大量漂流者の救助と、ヘリコプターによる吊り上げ救助。
 吊り上げ救助は、2機のヘリコプターから特殊救難隊員がリペリング降下し、漂流者を確保して吊り上げ救助する。

 不審船対応訓練 (15:12から5分間)

 高速で逃走する不審船(巡視艇はやぐも)を2隻の高速小型巡視船とヘリコプター1機が追跡するとともに、大型巡視船が不審船の沖合への逃走を阻止する。また、海上自衛隊の護衛艦も共同対処する。
 不審船が停船命令に従わないことから高速小型巡視船が威嚇射撃を実施する。これに対し不審船は機銃により巡視船に向け発砲する。
 不審船からの発砲により巡視船が被弾したため巡視船から正当防衛射撃を実施し不審船を停船させる。

 密輸容疑船捕捉訓練 (15:18から8分間)

 逃走する密輸容疑船(巡視艇しおかぜ、巡視艇はまかぜ)に対し、巡視船艇が警察艇及び税関艇と連携して捕捉船隊を編成し、停船命令を実施する。また複合型機付ゴムボートの編隊が航行規制を行う。
 追跡中の巡視艇及びヘリコプターが警告弾を発射して容疑船の停船措置を行う。
 容疑船が自動小銃を発射したことから、巡視艇が正当防衛射撃を行う。
 容疑船に巡視艇が強行接舷し、海上保安管が移乗、犯人を制圧、逮捕する。
 
 約1時間の壮大なドラマだった。厳かなパレードにはじまって、防災・人命救助・不審船対応と、興奮度をいやがうえにも高めていき、密輸容疑船捕捉で大団円となる。 
 その一部をかろうじてデジカメで捉えた。上がそれ。「ホントウは……」といいたくなる拙い写真群に、あえてぼくの描写を加えてぶち壊しにしたくない。
 だから(ということで)、上記の説明文は、すべて海上保安庁の「観閲式及び総合訓練のご案内」から転載させていただいた。
Part2朗読(8'03") on

Part3 MIKI様のこと Part3朗読(7'17") on
Miki Hiroaki様 本日ご招待いただいたMiki Hiroaki様について、少し書いておく。

 Miki様はMさんの父で、その道(海上保安の仕事)ではよく知られ、敬愛されている方である。
 一昨年(2000年)7月、総理大臣官邸で内閣総理大臣から表彰された。曰く、
「多年にわたり海難防止および安全思想の普及に尽力され、その功績は誠に顕著」。
 内閣官房長官(青木幹雄議員)から届いた書状(2002.06.26、総管第267号)によれば、こうだ。

 政府は、昭和35年(1960年)に毎年7月1日を、「国民安全の日」として定め、同年以降、この日を中心に国民の安全に関する認識の向上、各種安全運動の連携強化等に努めてきているところであります。
 この「国民安全の日」には、安全思想の普及徹底と安全水準の向上に顕著な功績のあった個人又は団体を内閣総理大臣が表彰することとしておりますが、本年は貴殿が功労者として選ばれました。
 大正13年(1924年)三重県尾鷲市三木浦の生れ。現在静岡市にお住まい。脳梗塞、糖尿病による片脚切断の不運にもめげず、いまも矍鑠(かくしゃく)として、気宇壮大。夢に向かって邁進中である。
 海上保安・海上交通の安全確保活動ではいまも現役だ。主任海上安全指導員として、来月も第三管区海上保安本部の会議に出席なさるそうである。
 モットーは、「World, Liberty, Safety and Peace」。

 また横道にそれる。
 4年前(1998年)にぼくがホームページをインターネットに上げ、マスコミにも自薦PRした。当然ながら反応ゼロ。と思いきや、数日後大手M新聞のMさんからメールがあり、「もしや貴殿は?」。

 彼の母(Mitsuko様)はぼくの父方の叔父(Koshiba Kikumatsu、現在90歳)の奥様の妹で、叔父夫婦の養女だった。後にMiki様と結婚して、Mさんが生まれた。
 だからMiki家とKoshiba家は親戚といえば、そうである。彼はぼくを「いとこ」、と親しみを込めて呼び、ぼくのほうがかなり年上だから、敬称を欠かさない。

 世事に疎いことでは自他ともに許すぼくのことだ。望郷の念にかられても、帰れば帰ったで、会う人ごとに「あなたはだれ?」とも言えないし、概ねストレスを貯めて故郷を後にする。
 だから上記Mさんとの関係も、最近の付焼き刃だ。念のため、故郷三輪崎に住むいとこのIkuo君(叔父の息子)に電話で確めた結果である。

 メールのあと、Mさんがわざわざぼくのオフィスへ会いに来てくれ、その後折りにふれ付き合ってくれている。なにより彼は、このホームページのタイトル「中高年の元気!」の名付け親だ。
 その彼が、「父があなたがたご夫婦を招待していますから、ぜひ」、と伝えてくれたのだ。妻は都合つかず、ぼくだけが光栄に浴した。

 Miki様はよく透るバリトンで、弁舌さわやかである。終始笑顔を絶やさない。なんの衒(てら)いもなく、あきずぼくに話をあわせてくれる。不自由な体を気にする様子はなく、心は五体健全・生涯青春である。
「IT時代じゃからね」
 パソコン勉学中であることも打ち明けてくれた。
 奥様(Mitsuko様)は最初からぼくを「Shigeruちゃん」とよんだ。吸い込まれるような温かい包容力。ぼくもすぐ、「おばさん」と応えた。本家の長男にして"世事に疎い"ぼくを、おばさんはいままで優しく見守ってくれていたことを肌身に感じた。恥じ入る気持ちと感謝が交錯した。
 ぼくたちが歓談中にも、海上保安庁第三管区の要職各位が次々と来て敬礼・ご挨拶。Miki様は気さくに、はじける笑顔で応える。みんなMiki様を「おやじさん」と呼んでいた。

 訓練海域からの帰りも、おかげで知らぬ間に時は流れた。横浜新港の埠頭に降り立ったときは、星が輝いていた。
 帰りがけに、みなとみらい21のレストランでMさん兄弟と軽く一杯。それは予定の行動だった。帰宅は予定をはるかにオーバーした。

Part3朗読(7'17") on
「海上保安庁観閲式」おわり
2002.10.07
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