高野山 姫路城 淡路花博
 2015年、年初から春にかけて全国的に荒れた天気がまだもやもやしている。それでも季節は巡って、桜前線がここ千葉県浦安市でも満開をもたらした4月のはじめ、関西へ2泊3日の旅をした。
4月2日
(木)
羽田空港発 JAL113 (10:30)
大阪伊丹空港着 (11:40)
高野山
奥之院めぐり
赤松院(せきしょういん)
壇上伽藍(だんじょうがらん)夜景
(高野山 天徳院・宿坊)
4月3日
(金)
高野山
壇上伽藍(開創千二百周年記念大法会)
金堂・根本大塔(こんぽんだいとう)
金剛峯寺(こんごうぶじ)
丹生都比売(にうつひめ)神社
慈尊院
(姫路市 ホテル姫路プラザ)
4月4日
(土)
姫路白鷺城
天守閣内覧
淡路島
うずしお展望台
淡路花博2015
大阪伊丹空港発 JAL134 (19:30)
羽田空港着 (20:40)

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高野山 (和歌山県伊都郡高野町)

 標高およそ900mの山全体がひとつの寺とされる高野山。ちょうど1200年前に弘法大師空海が真言密教の道場としてこの地に開創した。
 その中心が「壇上伽藍(だんじょうがらん)」。ここで4月2日から5月21日まで50日間の、「高野山開創千二百年記念大法会」がはじまった。ぼくたちの拝観はその2日目。

 ぼくは同じ和歌山県出身だが、最南東部・南紀地方(新宮市)の生まれ育ちで、県最北に位置する高野山は還暦を迎えるまで縁遠かった。
 それでもその後旅行社のツアーを利用して、これで3度目の参拝だ。
 が、前の2回はいずれも奥之院とその周辺だけの見物ではなかったか。そうでもあるまいが、しかと思い出せない。司馬遼太郎の小説「空海の風景」をしどろもどろに読んだくらいだから、高野山という歴史遺産に大した問題意識を持ち合わせていなかった報いだろう。

 今回も、たまたま50年ぶりに新装なった姫路城見学が主目的で、そのツアーに高野山が含まれていた、と言ってはまことに失礼である。もう一つ別のツアー、姫路城+武田城跡と天秤(てんびん)にかけた結果ではあるが、ラッキーこの上なかった。
 まさに瓢箪から駒、延べ2日にわたって、開創千二百周年記念大法会を含め、この旅は高野山を満喫することになった。

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姫路城 (白鷺城)

 昨年栂池(つがいけ)自然園周辺へのツアーに参加したとき、旅仲間の一人が姫路市出身で、姫路城について話してくれ、「来年(2015年)春に大修復を終えますから、訪れては」と、勧めてくれたのだった。
 阪急トラピックスの案内誌に新装なった姫路城への旅が2つあり、妻の主張を受け入れて、この旅となった。

 昭和の大修理から45年たち、今回の修理「大天守保存修理工事」は、世界文化遺産・国宝を築城時そのままの姿で次世代へ引き継ぐため、漆喰壁の塗り替えや屋根瓦の葺き直しを中心に、約5年をかけて行われたそうである。
 入城口で手渡された「姫路城HISTORY」を一覧するだけでも、元弘3年(1333年)に赤松則村がここ姫山に(とりで)を築いて以来、波瀾万丈の歴史絵巻が展開されているようだ。
 その流れの中で、有名人物が何人も登場する。

 応仁の乱のあと、応仁元年(1467年)、黒田氏が城をあずかる。
 天文15年(1546年)、黒田官兵衛がこの城で誕生。豊臣秀吉の軍師として活躍。
 官兵衛の進言で、豊臣秀吉が大坂城ができあがるまで、天正8年(1580年)から3年間、城主を続ける。
 関ヶ原の戦いのあと、慶長5年(1600年9、池田輝政が城主となる。
 元和3年(1617年)、本多忠政(妻・千姫)が城主となる。

 が、なにせ歴史に疎いぼくのこと。案内書の受け売りはここまで。デジカメの威力で撮りだめた写真をご披露する。

 なお偶然にも、姫路城を勧めてくれた友人もこの日ここに居合わせ、楽しんでいたようなのだ。併せて彼女が送ってくれた写真も掲載させていただく。

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淡路花博 2015

 日本の風土・伝統文化を自分も海外に発信できないかとの妄想を抱き、これまでの国内紀行文を主体に、昨年5月から英文翻訳に励んでいる。1年近くも続けると、量的にはほどほどのところまで来ている。仕上がりはその都度「English Edition」に追加して載せてきた。
 英文の稚拙は百も承知。わかってもらえさえすれば、目的の半分はかなったとの思いで、いまも気合いが入っている。

 そんなことで、これ一筋に奮闘の事情を知る妻の心配りもあり、今回の旅となった。
 だからぼくの旅の趣旨は(ひとえ)に「くつろぐ」こと。正直かなりくたびれていた。
 普段から予習をして旅の充実を図るタイプではないが、今回は、いつぞや友人が勧めてくれた姫路城が頭にあるだけで、まさに行き当たりばったり。行き先のもう一つに高野山は承知していたが、淡路島は案内書を開いて「あぁ、そうか」といった程度だった。

 4月4日(最終日)、午前中かけて姫路城を巡り、バス車中で弁当を食べながら淡路島に入る。
 寝そべった縦長三角形状の淡路島は、北の明石大橋で本土と結ばれ、南の大鳴門橋で四国に通じている。3つの都市が縦に並び、上から淡路市、洲本市、南あわじ市である。
 四国・徳島を目の前にする南あわじ市までバスは直行南下。うずしお展望台に上り、あわよくば鳴門の渦潮眺望と期待したがかなわず。残念ながら海峡は波静かだった。
 一気に北上して淡路市の国営明石海峡公園へ。ここに淡路夢舞台が施され、「淡路花博2015」が今は盛りだった。

 なんの期待もない淡路島で、淡路花博はぼくにとってうれしい青天の霹靂(へきれき)だった。
 見渡す限りのチューリップ公園。規模はかなわないとしても、2年前の5月に訪れたオランダ・キューケンホフ公園を彷彿(ほうふつ)とさせる。そのはず、キューケンホフの副公園長が設計・監修し、富山県砺波市の農協が総出でここに実現したとか。見渡す限り、数も種類も無限のチューリップはすべて砺波の畑から持ち寄ったそうだ。
 ご託はここまで。乱取りした写真の数々をご覧あれ。 

「高野山。姫路城、淡路花博 2015.04」 おわり
2015年4月9日
【English】
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