Part1 Part2
巳から午へ 塩原温泉郷
 この旅を「小話集」に載せようと、以下のまえおきの文章を書いた。まだ松の内の頃だ。
 しかし昨年の6月頃にはじめてやっとゴール寸前の自分史小説「ぼくの速玉時代」を仕上げること、2ヶ月前に旅した「奥能登3日間」の紀行文がまだ中途半端なこと、……そんなことに妨げられて、この旅の印象がまるきり薄らぎ、本題を書く気がなくなった。
 掲載場所をこちらの「某日@某所」に移して、Part2を写真集とする。

Part1 巳から午へ

 スポーツプラザ「パル」で体操を始めて2年近くになる。週4日、午前中、いまや健康の維持はもとより、日常生活の潤いに欠かせない。

 それが年末を控えて腰痛に襲われた。突然ではなく、数日かけてじわりじわりどんどんと。原因不明。強いてと、あれこれ振り返ると、思い当たらないでもない。
 ドッジボール大の柔らかいボールを用いたストレッチ体操を週2回やっているが、それが関係しているか。背中腰部にボールをあてがい、のけぞった形を1分ほど続ける。体全体に開放感がみなぎって何とも言えず気持ちよい。ついつい余分なひねりを加えてしまったのではないか?
 それ以外のストレッチやソフトエアロでも似たような無理をしたかもしれない。つまり原因は一つではなさそうだ。が、元々左半身が弱い身、中腰になるとお尻の左に鈍い痛みが走る。

 こんな時、従来は接骨院のやっかいになったが、今回は妻のすすめで、浦安中央病院の整形外科にやっかいになることにした。X線を含めて一通りの診断があり、翌日からリハビリ科通い。腰の温め、牽引、マッサージ、それだけである。都合30分で100円!
 で、これが効いた。3日目あたりからよくなりかけていることを実感する。1週間が過ぎてほぼ回復。
 おかげで年末年始は普段通りに近い行動が可能になった。
 …………

 巳年から午年へ。2014年元旦も、いつものとおり4時半に起床した。
 ということは大晦日の紅白歌合戦は見ていないということ。始まる前にほろ酔いで床についてiPodの落語を聞いていた。年越しそばは昼食でいただいてある。妻は除夜の鐘までテレビ桟敷だったようだ。

 当然まだ真っ暗がり。浦安の初日の出は6時50分頃のはず。予報では近年にない絶景が沖の水平線上に見られる、かもとか。
 10年ほど前以来、今年も海岸に行って元旦の曙光に手を合わせる意欲はない。妻もどうやら。
 朝刊は届いていた。初コーヒーを作って、分厚い元旦特別版に目を通す。
 6時からどのテレビ番組も元旦特集になる。富士山の初日の出はいまいちだったが、銚子はいい。もうすぐの浦安もこんなものだろう。

 年の初めのめでたさも神仏に手を合わせる習わしも、例年どおりで変わりないが、本年は妻を無理矢理説得して、元旦のお屠蘇と雑煮はやめ、おせちも近くのスーパー「サミット」で、一番小ぶりの折り詰めを買ってある。二人だけだから、ありきたりの余分な労力はよそうじゃないか、と言うこと。別に世の習いにそっぽを向いているわけではない。 

 2014年の年初は、娘夫婦の誘いに甘えることにしている。
 先方の母と4人で、塩原温泉郷のホテル「佐か茂登」に元旦1泊し、翌日は塩原の見所を巡って帰る。ただし真冬の関東北部のこと、行動はそのときの天候にあわせることにした。

 彼らは大晦日から母の里筑西市成井にいることになっている。筑波山が近くに見える。
 打ち合わせの結果、ぼくたちはJR那須塩原駅まで指定の東北新幹線で行き、午後2時半に改札口で会うことにした。

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