約1ヶ月をかけた長編紀行文を仕上げて1週間、頭が空っぽのふぬけた状態が続いていた。まとまった作品を手放したときのいつもの心境だ。
その日(10月8日)、
明け方4時過ぎに、すでに投函されている朝刊を寝床で読みはじめ、一通り目をとおして起床。
5時半のテレビ「朝ズバ!」を見ながら、もう一度朝刊を開いて、何気なく千葉西北版を一覧すると……。
大きく三段抜きで、「ルパン文芸創立15周年」の記事が目に飛びこんだ。見出しに、「浦安、半数が身障者」「作家になろう″言葉に創作活動」「被災児支援、童話に力」。
怪盗ルパンのようにしなやかに生きる願いを込めて名付けられたという「ルパン文芸サークル」は、研究会を毎週、ゼミを月一度開催しているという。最近は児童文学への取り組みを本格化させ、現在4作の童話が完成。製本後、東北被災地に送る予定とか。
そして、主宰は山本祐司氏! 氏について、記事はこう紹介する。
「元毎日新聞記者の山本祐司さん(76)は、1986年に脳出血で倒れ、リハビリに苦労しながらも執筆を続け、95年度の日本記者クラブ賞を受賞した。現在も後遺症により車椅子での移動を余儀なくされているが、闘病生活を通じて知りあった障害者2人と『欠けた機能を補い合えばどんな本でも書ける』と意気投合し、97年にサークルを結成した。……」
誰あろう、山本氏! ぼくの自宅書棚に「毎日新聞社会部」(山本祐司氏著、河出書房新社)が並んでいる。それは6年前、大腸ガンの手術で順天堂浦安病院に入院したとき、脳神経内科科長の田中茂樹先生が「退屈でしょうから」と、進呈してくれた書籍、その著者だ。「山本さんはあなたと同じ、私の患者さんです」と付け加えて。
その思い出を、紀行文「真冬の北海道2010」(雑記帳第57話)にエピソードとして残した。
記事末尾の連絡先に電話する。事務局の大野彩子さんが応対してくれた。彼女によれば、「11月の『15周年記念会』に出席いただいてもいいのですが、この水曜日に関係者が喫茶店『スワン』に集まっていますからお越しになっては? 山本さんも来られるはずです」と。
その日はぼくの入院前日でなにも予定はない。山本氏へのご挨拶を兼ねて、サークルの状況を見せていただくことにした。
…………………………
『スワン』に7人の方々がテーブルを囲んでいた。その一人が山本祐司氏で、車椅子に居る。
田中茂樹先生にいただいた「毎日新聞社会部」を山本氏にお見せするまではよかったが、サークル様子見の思惑は外れて、自己紹介を促されてしまった。こんな風に話したかな。
・45歳を前に脳梗塞に罹り(1985年4月)、現役を退いた60歳から、「高血圧と脳梗塞再発予防」で順天堂浦安病院脳神経内科に通院している。田中茂樹先生がずっと主治医である。
・2006年4月末から6月初めにかけて、大腸ガンで同病院に1ヶ月と少し入院した(66歳)。その時、田中先生にこの本をいただいた(と、みなさんに披露)。
・脳梗塞を機に個人企業を起こしてから(1988年)、紀行文やエッセイを書きはじめた。そのうちインターネットのホームページが素人でも作れるようになり、書きためてきた雑文のホームグラウンドを開設することができた。気をよくして追加を繰り返し、現在の「中高年の元気!」に至っている。
小説にも挑戦してみた。「怪獣の棲む講堂物語」を執筆中に原稿を田中先生にお見せしたところ、ずいぶん励ましてくれ、その恩恵もあって、大腸ガンで入院中に仕上げることができた。
・10年ほど前に「ピーチャン」という小説を書いた。ペットのセキセイインコの一生を、主人公ピーチャンの一人称で、メルヘン風に展開してみた。
・今年になって、ハワイ島コナに住む友人ダニエル・スワンソン氏が自作の童話「Carl the Chameleon」を紹介してきた。気に入って翻訳し、雑記帳第69話「カメレオンのカールだよ」として「中高年の元気!」に載せてある。
続いて出席者各位が自己紹介してくれた。新聞記事に掲載された写真の方々で、全員身障者とお見受けした。
中でも山本祐司氏の障害程度が図抜けている。ぼくが脳梗塞に罹った翌年、氏は脳溢血で倒れた。毎日新聞社会部長のときだ。その瞬間、氏は右半身不随に加えて純粋語聾という難病をかかえた。さらにその後二度、脳梗塞の再発があったらしい。
車椅子で大変ご不自由な体と言語障害は想像できるとしても、純粋語聾によって「聞く・話す」が絶たれかけているとは。
そんな境遇の中でルパン文芸を主宰し、世のため人のためを堂々と進めておられる。「身体不随であっても作品は書ける。これは神様の配慮なのだ。絶対に負けないぞ」「人生劇場、いま序幕!」「ひとりでは難しいことも、文学を志す仲間が集まってやれば、プロも夢ではない」「グループ出世」「…………」。
山本氏のエネルギッシュな気迫が、出席のみなさんそれぞれに息づいている。その空気が否が応でも伝わってくる。
大野さんの計らいで、山本氏がまだ自由の利く左手でサインをくださった。ジョッキを片手にしたイラストの人物はルパンたるご本人とお見受けした。
席上、ルパン文芸創立十五周年記念誌『車椅子とルパン文芸』を拝見し、購入した。入院中の読み物としよう。
場が盛り上がったところで、頃よしと辞することにした。山本氏は左手で親しみを込めた握手をしてくれた。
…………………………
2泊3日の入院中はどのように過ごそうか。
テレビ・ラジオ・新聞から遠ざかるつもりでいた。ぼくにはiPodという強い味方がいる。この友がいる限り、退屈とは無縁だ。ぼくの朗読だけでも117時間分のエッセイ・紀行文・小説が入っているし、クラシックはベートーヴェンだけでも1ヶ月ぶっ通しで聴いても聴ききれない。落語もそうだ。圓生百席だけで、100席x30分として50時間。
本は読みかけの「ローマ人の物語X」を携帯することにしていたのだが、そこにルパン文芸との出会いである。『車椅子とルパン文芸』は何かの縁のような気がする。読書はこれに決めた。
入院手続きをすませ、B棟4階の5人部屋に入ったあとは、手渡されたスケジュールどおりに、翌日の検針手術に向かって淡々と進む。
その間隙をぬって、同書を夕方から読みはじめた。ヘッドホンでiPodのショパンを聴きながら。
当夜は9時消灯のあと、読書灯をつけるのをはばかった。志ん生の落語を聞きながら就寝。
二日目は手術の前後を除いて読みふける。身動き不自由を幸いと、夜中も読書灯で読み進み、数時間はうとうとしたが、300ページ近くの大部を明け方に読み終えてしまった。遅読で、本虫でないぼくにしては珍しいことだ。
「障害と青春」「それは突然やってきた」「もうひとつの人生」「ルパン文芸と私」の4章構成で、山本氏の「恐ろしいこと」をはじめ、12人それぞれのエッセイが各章にちりばめられている。
お一人お一人の力作についてコメントは遠慮する。気迫・向上欲・底力・一作入魂。一方、喜び・ゆとり・ユーモア・楽観。
ぼくもそのいくつかは共有しそうだが、気迫≠ノ圧倒され通しだった。会員それぞれの背景もそれなりに理解しえた。
退院して、読了を大野さんにメールする。折り返しご返事があり、次の水曜日に有志が集まるとのこと。伺いたいと伝えた。
当分オブザーバーとして、許される範囲でお付き合い願えればと思っている。
…………………………
「前立腺ガンの疑い」について。
検針手術の結果は今月末に言い渡される。黒≠フ見当はついている。
3年前に引っかかって以来、なんの手も打ってこなかった報いを受けるだろう。摘出手術になることは間違いないとして、それが悲劇的でないことを祈る。
その前に、手術を受けるべきかどうか、迷っている。
今のところ、頻尿以外になんの自覚症状もないし不便もない。
ご託宣が最悪≠示唆された場合、いつどのような症状が現れ、それがどう続き、余命は?
いぎたなくとも長く生きたい。物書き寿命が訪れるまで、それ以降の長命は考えていないが。
要手術を宣告されたときには、受け入れるかどうか、そんなことを目安にしたいと思っている。
…………
今日は10月16日(火)。入院の日からいままで、5日間禁酒が続いている。運動制限でスポーツプラザへ行けないのはまだいい。アルコールは、長年晩酌を続けてきたから、毎晩ものほしい。
かといって禁を破ると、尿管が圧迫されて大変なことになるという。ただでさえ、いまも尿が出る前に血が先行している。
退院後最低1週間は我慢しなさい、きついご託宣はむべなるかなだ。自分としても、この際どこまで我慢できるか、試してみようと思っているのだが……。
近く親しい仲間と那須高原へ1泊旅行することになっている。その夜の一献傾けながら懇親会≠ェ目的の一つだ。そのときが禁酒とのお別れだろうなあ。
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