最終三日目、帰りのホテル出発が午後2時でなかったら、紀行文を書く気にならなかっただろう。その時刻まで自由時間になっている。これが幸いした。
ぼくは腰痛に悩まされているし、妻は昨日軽井沢駅前の大アウトレット・パークで3時間以上もウィンドーショッピングをし、疲れをあらわにしている。が、「その辺の散歩やロビーでのんびり……」では物足りない。幸いぼくの腰痛は普通に歩くだけなら大丈夫と、昨日アウトレットで確認している。
予定どおり「バラギ湖のぐるりを散策」で、二人の意見が一致した。
一周に1時間も要さない人造湖で、周辺の景色もすぐれているらしい。「お時間があればお薦めします」。これといったあてのない客へのフロントの一押しだ。二日目の昨日なら、ホテルで午後一時出発の送迎サービスがあった。
ホテルあつらえのおにぎり弁当≠リュックに入れて、9時にホテルを出る。フロント担当Sさんによれば、45分かそこらで湖に着くはず。1時半にはホテルに戻らなければならないとしても、自由時間が4時間半もある。彼女に教わった道順を反芻しながらホテルを出た。
ホテル玄関の朝市はさっきまで宿泊客で賑わっていたが、出がけに見るとすべて売り切れてしまっている。キャベツ、大根、レタス、キュウリ、枝豆、カボチャ、トーモロコシ、トマト……、あれだけ山積みだったのに。
緩やかな坂をしばらく下ると道が二股に分かれていて、左に折れるとバラギ湖方面になる……はずなのだが、二股のところまで20分ほどかかった。帰りは上り坂になるからぼくたちの足では30分は覚悟した方がよい。
ここから先は道の両脇が亜高山帯の花々オンパレードだった(この章末尾の「目についた花々」をクリックされたし)。
花ばかりでなく、生き生きした雑木林にシラカバが交じっている。そして足元で野草たちが生をおう歌……どれもこれもがぼくたちを山懐に抱かれた気持ちにさせる。
バラギ高原キャンプ場を標識にしたがって左へ抜けると、二人が並んで歩けないような小径になる。
ゆっくりゆっくり歩いてもホテルから1時間少々でついた。
バラギ湖は周囲2キロメートルの湖だそうで、標高1,400メートルのバラギ高原にある。目の前に四阿山がくっきりと見える。
湖にせり出した台の上でご夫婦だろうか、釣り糸を垂れている。人気はそれだけだ。
貸しボートもあるようだが、時間のせいかどうか、湖には一隻も浮かんでいない。
バラギ湖は夏空の下でさざ波もたてず静か、仮眠をむさぼっているようだ。よく見ると、岸辺のあちらこちらでニジマスだろうか、チョポンチョポンとはねる。湖には眠りの妨げか、それとも心地よい子守歌?
「熊に注意!!」の看板がいくつも目につく。妻は当然のごとく尻込みして一周をためらう。
「大丈夫だよ」、なんの根拠もなくぼくは平気を装って妻を促す。……やはり出た!
ニジマス釣りが売りらしく、ただいま現在はなぜか釣り客は少ないが、岸辺では村の係員男女がタンクローリーから放魚していた。
少し歩くと賑やかな声がして、小学生たちがルアーで釣っている、釣っている。なんと! 並んだどのバケツの中も獲物がばたくっている。一人二人が「ぼくが釣ったんだよ」と獲物をかざした。
…………
一周終えてキャンプ場まで来た。
ホテルのおにぎり弁当をぱくつきながら調理小屋に入る。中学生数人が竈で火をおこしている。そこいらで拾ってきた薪をうまく積み重ねて、火吹き竹に口をふくらませている。
「おじさん、上手でしょ!」「カレーライス作るんですよ」「1時間いてくれたら、少し食べてもらえるんだけどなあ」
邪魔にならないように、励ますだけでサヨナラした。見れば小屋の向こうの木陰が彼らのキャンプ場になっている。
まだ正午前で、1時間半も自由時間が残っている。帰りは大いに道草した。
妻は俳句を楽しんでいるせいか、花を見てはいちいち立ち止まる。ぼくはぼくで「なんていうの?」、覚える気もないのに横合いからちょっかいを出す。花の名において、ここ数年の妻の進歩は特筆に値する。
今回も「○○よ」と明確に答えられるのが三分の一ほど。「○○ではないかしら……」と手持ちの小図鑑に照らし合わせたり、電子辞書の助けを借りたり、とりあえず写真に収めたり……、忙しい。1500mの花々は、特別の興味を誘っているようだった。
写真に収めた8月はじめの花々はこんな具合。
|