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刈萱山西光寺 (9月29日、水) |
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帰りの新幹線は長野駅発午後1時。に対してシャトルバスはホテル発9時50分しかない。長野駅には11時前に着いた。
手土産はすませてあるし、昼食と駅前ぶらりだけでは味がない。
近場で見所はないか。駅の観光センターで訊くと、徒歩10分のところに「いいお寺がありますよ!」。七福神の寿老人が祀られているという西光寺を強く推薦した。 |
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刈萱山西光寺、「かるかやさんさいこうじ」と読む。
善光寺七福神巡りの第一番「寿老人」のお寺で、信濃八十八ヶ所「第七十六番札所」でもある。 |
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平安時代後期、およそ800年前の話で、日本五大説経として語られてきた「かるかや」の物語がある。
刈萱道心と石童丸のことで、親子の絆と御仏の導きが、ここ西光寺で語り継がれてきたとか。お二人は親子と名乗らず高野山で修業し、それぞれ善光寺へ来て亡くなられたと云われている。
西光寺は別名「絵解きの寺」と云われ、ご志納金(500円)で絵解き拝観ができる。お寺住職の奥方が口演してくれるという。時間を気にしてスキップした。 |
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一茶自筆の句碑と信濃最古の芭蕉塚あり。 |
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花乃世ハ
仏の身さへおや子かな
(一茶) |
雪ちるや
穂屋のすすきの刈残し
(芭蕉) |
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隣の建物が工事中で、静けさは味わえなかったが、市街中心のお寺にしては「いつもは閑静なのだろう」と想像した。 |
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残りの時間は駅前東急の地産品コーナーで過ごす。そこで買ったおやきを新幹線で昼食とした。
4時には悠々浦安の自宅に着いた。 |
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ホテル |
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ホテル・タングラムに3泊した。長野県上水内郡信濃町古海(ふるみ)というよりも、「斑尾高原にある」といった方がしっくり来る。
こんな草深きところに近代的な大ホテル!
会員制リゾートのホテル・ハーヴェスト斑尾が併設されていて、敷地内に18ホールのゴルフコース、スキー場、10面のテニスコート、トレッキングコース、ボブスレー、夏山ゴンドラ、バーベキューガーデン、フラワーガーデン、その他娯楽・スポーツ施設がある。高級客室、温泉・露天風呂、室内温水プール、和・洋・中華の優雅なレストラン、……。「タングラム」の意味するところである。すなわち、 |
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「正方形の中身が、パズルのように七つの図形に分割されたもので、中国が発祥の地といわれることから、別名『チャイニーズパズル』とも呼ばれています。組み合わせが無数にあり、一つに定まった答えがないのが特徴のパズルです。
タングラム斑尾も、観光、アウトドア施設、スキー、ゴルフ、トレッキングなど、楽しみ方の組み合わせはいろいろ。その名称には、お客様に自由に信州の旅を組み合わせていただき、ご希望に沿った個性豊かな休日をお過ごしいただきたい、との願いが込められています。」(ホテル資料) |
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と来れば、ひょっとしてあのバブル時代の産物では? アタリ!
どの一つをとってもゴージャス風。妻の誕生祝いにはよかったが、ぼくたちの普段の旅にはちょっとと、贅沢な感想を持った。
設えられた「アットホーム、ハイソサエティ」と言ってしまえば、折角の「快適なご宿泊でありますように」とのおもてなしを冒涜することになる。
浴場に行くとき以外は浴衣姿やスリッパを禁じている。だから朝食も夕食も、胸をはだけた人を見なかった。が、夕食前に風呂に入り、ほっとしたところで夕食のため、ジャケットならずとも一応の服装に着替え、靴下、靴を履かなければならない。気分がさえなかったのはぼくだけだろうか。
初日の懐石料理(風車)、三日目のフランス料理(ル・タングラム)、どちらも本格的だった。従業員のもてなし様も服装も。これを目当てにこの旅を当て込んだカップルもいるのではないかと思ったほどだ。
妻の満足げな顔とは裏腹に、贅沢な感想を繰り返せば、「従業員のみなさん、ご苦労様」だった。 |
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滞在の四日間ともホテルのシャトルバスを利用した。その都度裏方さんたちの真摯な態度に感服した。客のあいまいな質問にも丁寧に答え、周辺の風物を含めてガイドまがいまで努めてくれた。
最終日、帰りがけにホテル・スタッフの方と語らった印象でも、従業員のみなさんには好感を持てた。
この巨大なお荷物を、いかにして昨今の厳しい状況に耐え抜かせるか。容易でないことを承知しつつ、どうかみなさんのご苦心と理想が将来に向かって見事に花開きますように。 |
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信州、これで何度目? |
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一つ、妻の両親のふる里である。県の東側に位置する佐久市を中心に円弧を描くと、いまも親戚がその10キロ以内、北東の岩村田、北西の望月、南の臼田に住んでいる。
二つ、長年勤務した大同特殊鋼(旧:大同製鋼)のシェルモールド工場が木曽福島にあり、よく出張した。
三つ、10年ほど前、山歩きにはまっていた頃、幾つかの山に登っている。白馬三山、北横岳、乗鞍岳……。
ということで、就職・結婚してからいままで、信州(長野県)は何かとなじみの地となった。
木曽福島の工場へは、名古屋から鉄道やマイカーで数十回通ったか。「くるまや」の蕎麦(そば)、夜の酒の「七笑」……、帰りはどちらも家への手土産としたものだ。48歳で大同を去ってからこの地は遠のいた。
信州の山々は、いまも行くごとにその景観を愛でているが、山歩きの熱が冷めるとともに自ら登ることはなくなった。
妻の両親の故郷、とくに望月へは、結婚以来、数年に一度は訪れている。その都度風光明媚目白押しの周辺を楽しんでいる。 |
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「田舎暮らしをするなら」の候補第一だ。
どこに魅力を感じるのか。山も川も田園風景も、ぼくのふる里の紀州「南紀熊野」と甲乙つけがたい。郷土料理は南紀熊野の「さんまずし」「きつねうどん」「親子丼」……、お袋の味に勝るものはない。がなぜか、あこがれの「田舎生活」は「信州」ということになり、信州であればどこでもよいが偽らざるところ。
……………
還暦を区切りとしてビジネス社会の第一線を退(ひ)いた。代わって妻と国内・海外の旅行を心がけることにし、その紀行文や写真集をHP「中高年の元気!」に掲載し始めた。
10年が経過して、HPはそれなりに量も増え、まとまってきている。ふる里紹介や趣味のごった煮でつづっている。中でも力を入れているのが紀行文とエッセイだ。 |
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「雑記帳」と「小話集」に長短あわせてちょうど100話掲載で、この「斑尾高原」が次の一作となる。ひと頃の山歩き紀行文(47話)を加えると、「ちりも積もれば小山=vの気分になる。
写真集の「某日@某所」も結構賑わっている。
それらをざっと眺めると、信州があちこちで顔見世する。たまたま旅先が信州であったというよりも、ほとんどの場合が意図して出かけている。その積み重ねが背景となって、信州という風土への愛着が増しているといえようか。
参考までに信州が舞台の紀行文・写真集を下にあげておく。 |
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雑記帳第17話 |
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高遠の桜と善光寺 |
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2002.04 |
(37話) |
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鹿教湯温泉(「小宮山
量平氏」の挿話として、
Part2末尾 |
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2006.10 |
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小話集第41話 |
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信州湯田中、小布施 |
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2009.12 |
35話 |
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嬬恋・軽井沢 |
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2007.10 |
5話 |
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信州でお盆(望月) |
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1998.08 |
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山歩き第46話 |
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黒斑山 |
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2001.07 |
40話 |
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北横岳 |
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2000.08 |
39話 |
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乗鞍岳 |
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2000.07 |
38話 |
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飯盛山 |
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2000.06 |
23話 |
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白馬三山 |
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1999.08 |
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某日@某所 |
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信州北回廊 |
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2009.10 |
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妙高燕温泉 |
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2009.09 |
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志賀高原・高天ヶ原 |
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2007.06 |
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信州白馬村 |
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2005.11 |
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諏訪高島城 |
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2003.12 |
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その他の写真 |
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苅萱山西光寺 |
ホテル・タングラム |
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旅行とは無関係ながら、近況報告を一つ。
今年4月からゴルフレッスンに通っていることは、雑記帳第58話「台湾点描2010」の番外で触れた。週1回で、同じフェローズ・スポーツのテニスレッスンとともに、まだ!¢アいている。
準備体操にはじまって、1時間半、アプローチとスイングに励んでいる。打ちっ放しではなくかごの鳥だが、そのほうがぼくのレッスンにはあっていると思うようになった。ボールの行方に気をとられなくてよい。
レッスン風景でご覧のとおり、5人で教わっている。西尾コーチは10年ほど前まで青木功氏のキャディを務められ、今も青木氏ご夫婦と親しくおつきあいしている様子を、先日写真集で見せていただいた。
コーチの適切なアドバイスは、ぼくが30年前まで信じこんでいた理論・理屈を根底から覆している。それは体の構造にも力学的にもかなうもので、いちいち納得しては矯正にこれつとめている。頭でわかっても体が会得するにはまだ当分時間がかかりそうだ。
来月(11月)下旬に第1回フェローズ杯の大会が予定されており、申し込んだ。みなさんには「優勝」の二文字を大言壮語しているが、実力は本人が先刻承知。弁解の言葉もすでに用意してある。大会3日前にモロッコ旅行から帰国することになっているので、「旅行疲れ、食あたり、時差ぼけ、練習不足……」、とかなんとか。 |
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ゴルフレッスン風景 |
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西尾コーチと |
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小話集第43話「斑尾高原4日間2010」 |
<Part3 |
Part4(おわり) |
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