春爛漫とはこういう日をいうのだろう。日中の気温は20度を間違いなく超えた。日向(ひなた)では初夏の陽気。無風にして、空は雲の片鱗もない。──桜? もちろん!
 そんな2009年4月7日(火)、東京水辺ライン主催の「築地のお寿司と本願寺寄席」ツアーに、妻と二人で参加した。
 JR両国駅近く、国技館の向こう側に隅田川が流れていて、水辺ライン両国発着場がある。9時過ぎ受付に着くと、すでに大勢の客がいた。
 一番人気のツアーだけある。130人の定員に対して650人が応募した。ぼくたち夫婦が当選したのはラッキーというもの。来週もう一便追加するといっていた。
 本日の予定はこうだ。
 10:00両国発〜10:20明石町発着場着 → 本願寺寄席11:00〜12:30 → 築地本願寺参拝 → 築地すし好で昼食、13:30頃自由解散
 隅田川に橋がどれだけ架かっているか。18ともいい、高速道路やらをあわせると20いくつとか。
 ぼくたちはそのうち8つの橋をくぐった。両国橋、首都高速道路、新大橋、清洲橋、隅田川大橋、永代橋、中央大橋、佃大橋。それぞれの橋が結構趣向を凝らしている。
両国〜明石町発着場の橋、いくつか
 わずか20分の川下りだが、東京の美景を味わうに十分だった。つい先だってシンガポールのナイトクルーズで眺めた夜景に見劣りしない。
 モダンなビルの林立も、ここではダイナミックな絵を形作っている。路上生活者のバラック小屋もこの辺りにはなかった。桜並木はわずかだが、固形のビル群にのどかな表情を添えている。
隅田川からの眺望
 11時から築地本願寺境内のレストラン2階で、若手噺家三人による寄席を鑑賞。
 それぞれ持ち時間30分、春に因んで、古今亭菊志ん「長屋の花見」、柳家三之助「なんだっけ、出し物の名?」、春風亭一之輔「粗忽の釘」。
 座席数200席か。その会場が立ち見席にもずらりと並ぶほどの超満員。お三人とも「噺家冥利に尽きます」と、深く頭を下げていた。
 こちらは腹から笑い続けたので、途中から空腹感に悩んだ。
 が、終わると同時に寿司屋へ直行とはいかず、20分ほど築地本願寺参拝。寄席は撮影禁止だが、こちらは許されている。数年前に撮影したのの二番煎じになるが、念のために思い当たるところをパチリパチリやった。
 名高い築地の寿司賞味は「築地すし好総本店」にて。本願寺のすぐそばだ。
 にぎり寿司は量も質も特別サービスで、海老だしのきいた味噌汁お代わり付。腹ぺこの割りに胃袋が小さいせいか、全てをお腹へというわけにいかなかった。好きなのから食べてよかった。
築地本願寺本堂
 もう一つ、約束の会合が浦安富岡公民館で1時半にはじまっている。遅れると断ってはきたが、早く出席したい。
 まだ食べている妻にも急かされて、ちょうど1時半、お先に失礼した。
 おかげで2時半には会合に出席し、友人の話を半分は聴くことができた。

 築地本願寺は、ぼくにとって特別の建造物である。
 このお寺、「建築の巨人」伊東忠太が昭和9年(1934)に建てた。
 ご本人が後日、「内野席・外野席がうるさくて、思い通りに建てられなかった」と、恨めしく語ったと伝えられるインド風の変わった寺院である。が、なんとか忠太博士の面目が保たれているのは、内部のあちこちにある妖怪・怪獣!
 ──とくれば、話を少し広げたくなる。
 「写真集」はここで終わりとし、思いついた関連のことを加えて、新たにこの「小話集」に第39話として、同じ題名で載せることにした。
 5年前に書きはじめたセミドキュメンタリーを、3年前の2006年に長編小説として仕上げた。昨年それをこの「中高年の元気!」の「雑記帳」に、『怪獣の棲む講堂物語』と題して載せた。
 明治後期から昭和初期にかけて建築界の巨人といわれた東京帝大教授伊東忠太が、後の築地本願寺と違って、自ら「精魂込めて造った」と頬をくずして完成を喜んだという奇妙な建造物がある。一橋大学国立(くにたち)キャンパスの兼松記念講堂だ。昭和2年(1927)竣工。忠太60歳。
 忠太博士が生涯で、自作の建造物を誉めたのは、この講堂と不忍(しのばず)弁天堂天龍門だけといわれ、講堂は博士唯一の西洋建築だ。
 ゴシック様式が当然の大学講堂の中にあって、なぜかずんぐりの古いロマネスク様式で建造されている。外観も正面から裏側まで怪獣の類が多く見られ、内部は2階から地階に至るまで怪獣オンパレードである。それも忠太博士自ら粘土をこねたのが多くある。
 後に建築学界で初めて文化勲章を受けられた大立て者の現役教授伊東忠太博士が、昭和の初め、交通不便な東京府下の武蔵野へ、1年間にわたってせっせとローカル電車で通われた。怪獣たちが棲む講堂を造るために。当時博士は、祇園閣、大倉集古館等の設計・建築に携わっていたが、それら全てを後回しにしてだ。
 彼の弟子岸田日出刀が東京帝大安田講堂を完成させた直後のことである。
 何が伊東忠太をそこまで駆り立てたのか。
 神田一ツ橋から府下遠隔の原野である武蔵野に移転しようとする商科大学にどんな魅力があったのか。
 忠太博士の作風に似つかわしくない四体の怪獣レリーフが、なぜ講堂のファサードに輝いているのか。
 ……あと数年で米寿を迎える老人が、杖を片手に、秘められた謎の解明に挑戦する。
 老人がファサードを見つめて、連れの女性にこう語るところから物語は動きはじめる。
 …………
「上がわが校の校章で、僕たちはマーキュリー≠ニいっている」
 イタリア神話の商業の神マーキュリーが常に携えたという、鳥の翼状の取っ手を付けた杖に、蛇が二匹絡み付いている。
 そのすぐした横なりに三つの円形レリーフがあり、いずれも奇妙な生き物の紋章である。
「左から鳳凰、獅子、そして龍、と言われているのだが……」
 それぞれどう猛な形相ながら、滑稽味がある。
 恵理子は目を凝らしながら、
「上のマーキュリー≠ェ西洋風に対して、下の三匹が中国風なのはどうしてかしら? ……右側は確かに龍よね。左の鳳凰は鶏みたい。真ん中は獅子? 狛犬か唐獅子といったほうがよさそうだけど……」
「さっき会場であなたが話していたとき、ファサードのこの紋章がひらめいたのだ」
「内といい外といい、変な建物ね。……マーキュリーは校章ですからよしとしましょう。下の三体はそれぞれ怪獣の戯画よね。それも会場内のとは全然ちがうわ。作った人も別人でしょうし、考え方も異なるみたい。だけど……単なる飾りではなさそう。何か別の意図があるみたい。いたずらっぽい感じでいて、講堂の守護神たちのようでもあるわ」
「あなたもそう思う?」
 …………
 小説もどきにし始めたとき、ある文章サークルで友人との出会いがあった。「ド素人が書いた、論文に毛の生えたようなもの」と切って捨てた彼が、その後ずっとぼくの師匠になる。
 ホテルロビーのカフェが彼の道場となり、およそ1年にわたって特訓が続いた。何度書き直し、書き直させられたことか。
 途中大腸ガンで入院したときも、病院内で指導に及んだ。こちらは容態を訊いてくれると思いきや、
「直しは進んでますか?」
 休憩室に引っ張り出され、ここでも容赦ない特訓を受けた。
 ……「その割りに大したことはないね」といわないでほしい。本人が一番気にしていることだから。もうだめと、挫折の気分でペンを置いたのは、1ヶ月半の病院生活を終えた3年前だった。ベッドの食台にパソコンを置いて推敲したのが、最終稿になっている。雑記帳の第46〜48話『怪獣の棲む講堂物語』がそれだ。
 彼の不満顔がいまも目に焼き付いている。
…………
 築地本願寺は、『怪獣の棲む講堂物語』として登場する兼松講堂と切り離せない(とぼくは信じている)。
 本堂中心の四本柱それぞれに、銅板のレリーフによる怪獣四体。まぎれもなく、玄武・朱雀・白虎・青龍の四神像≠セ。この概念、忠太博士が兼松講堂を手がける前にはなかったものだ。その後、梅田阪急ビル内部装飾に顔を出し、築地本願寺本堂では、まさに忠太の怪獣として全貌を現している。
 ……もったいぶった言い方になったが、これがみなさんを『怪獣の棲む講堂物語』へ誘(いざな)うきっかけになれば本望だ。
朗読(15'59") on
参考
伊東忠太について
兼松講堂の怪獣
小話集第39話「本願寺寄席と築地ずし」 おわり
2009.04.29

 後日談になるが、大学先輩中路信氏より「四神」について、京都大学卒の友人(仲津真治氏)の情報を転送いただいた。
 「京都千年の風水の伝統に戯れる現代学生生活:映画『鴨川ホルモー』」と題する、その部分を掲載する。(2009.05.18)
四大学の対抗と風水の四神相応
 原作者は、京都で四つの大学の学生で各々構成する会が、底流にある歴史を牽きながら、各々対抗関係にあり、戦いのようなお祭りの如きものを繰り広げる構図を描き、物語にしたかったようで、それに母校の京都大学(洛東の吉田)、洛南の龍谷大学、洛西衣笠の立命館大学、洛北北山の京都産業大学の四大学を当てはめています。
 そして、これらの中心に位置するのが京都御所と言う分けですから、同志社大学は、その直ぐ側なので、東西南北の位置するという事にならず、この大学群に入って参りません。
 さて、ここで風水の考え方が出てくるのですが、実際、風水には多義多様に亘るところが有り、時代による変遷がありますので、ここでは分かり易く、簡潔明瞭に記すこととします。
 まず、東を占める京大は四神の一つ青龍の神を擁することになります。
 東の方位は色が青であり、季節で言うと春になります。ちなみに青春という言葉は、ここから出ています。
 対する西の神は白虎であり、立命館がこれを擁すると扱われます。
 西の方位は色が白であり、季節は秋に当たります。かくて、白秋という言葉が生まれます。
 しばしば勝負を東西の戦いと言いますが、それが青龍と白虎の対決、即ち、竜虎の戦いと呼ばれる所以でしょう。 この物語でも、京大の組と立命館の組の対決が描かれますが、この東西、即ち竜虎の決戦をこの話に導入したものと思われます。
 一方、南の神は朱雀と呼ばれ、龍谷大がこれを擁します。南の方位は色が朱であり、季節は夏となります。ここで、朱夏と言う言葉が生まれます。
 他方、北の神は玄武であり、季節は冬になります。そこから、玄冬と言う言葉が生じて来ます。この神は京都産大が擁します。
 かくて、古来、これら四神が安住の地を得れば、そこは平安の楽土となり、王城の地にふさわしいと考えられてきました。 これは東洋で生まれた、土地の吉兆を見る考え方ですが、千数百年ほど前に日本に入ってきて、更なる発展を遂げ、日本独特の風水の思想となったと言われます。
 それによれば、北に山、東に川、南に湖(ないし海)、西に街道を得れば、この四神安住が実現するとされます。
 京都の地は、北に船岡山、東に鴨川、南に巨椋池、日に山陰道が存しますから、まさに、この思想にぴたりと合い、四神相応の地とされました。平安京は素晴らしい適地を得て、そこに造営され、悠久とも言える長き都となりました。
 この四神相応を現代で儀式の面で最も良く体現しているのは、大相撲でしょう。
 東西南北の房には、青、白、朱、玄の色が配されていて、また、土俵の造営の段階から、土俵入り、呼び出し、行事、相撲の勝負とその軍配裁きに至るまで、風水の思想が所作と儀典に活かされています。
 ところで、話を戻しますが、平安京の中枢、つまり大極殿は時代の移り変わりとともに、火災などにより建て替えられ、移動し、元々の場所(今日の千本丸太町辺り)から、東北東へ約一キロ半ほど移ってしまいました。
 のみならず、南の湖とされた巨椋池も、食糧難のため、近代の昭和16年(1941)までに干拓が行われ、ほぼ姿を消してしまったのです。
 かように四神相応が崩れてしまったので、京都の町は神の怒りにふれるようになったから、四神を鎮めるため、戦いの儀(一種の祭り)を行う必要が出てきたと言うのが、この物語の原点にあるようです。この戦いの儀が、ホルモーと呼ばれているのですが、その語意や語源、片仮名である理由など、映画には一切示されておりません。
鴨川ホルモー(映画の題名)など、あれやこれやの傑作な展開
 さて、四神相応が崩れたといっても千年前からそうなっていた分けでは在りませんし、巨椋池などの干拓は昭和の御代で起きたことですから、千年間崩れているといって、それを鎮める儀式が千年の長きに亘って続き、現代にも及んでいると言うのは、いささか変なのですが、そう言う物語ですから、固いことを言うのは止めましょう。
 かくて、件の四大学には、京大青龍会や立命館白虎隊のような学生組織(一種のクラブ)が出来て、年々後輩を勧誘入部させ存続、この戦いの儀を続けていると言う話なのです。その一人として、二浪して京大総合人間学部に入ったのが、安倍明でした。
 この学部はかつての教養部が独自の大学院を持つ学部へ発展したものですが、私どもが在学していた頃(昭和三十年代後半から四十年代前半)にかけての頃には、まだ教養部のままでした。
 それにしても、一回生「安倍明」と紹介された、この新入生の名が傑作です。
 平安時代の中期に高名を馳せた異能の陰陽師、安倍晴明と姓が同じで、姓名の内、三字を共通としているのです。
 ちなみに、大学に入ると年生と言わず、回生と言うのは関西の大学にほぼ共通した慣行で、大学も公式にこれを用いています。
 この「安倍明」などが新入生の勧誘で「極く普通のクラブですから」と引っ張り込まれ、ただ飯が食えるというので連れて行かれた先が、(「べろべろばあ」と言う、三条木屋町の居酒屋で、その店長が、何と「安倍清」と言うのです。
 二人合わせて、「安倍清明」となり、陰陽師「安倍晴明」に通じるところが一興です。 ちなみに、この安倍清は京大青龍会のOBで、五十年もこの居酒屋を経営、昔のホルモーにまつわる恐ろしい事件を体験していると言う触れ込みでして、カリスマ性のある人物として、節目節目に登場します。
 ところで、四大学の各組織が戦う方式は謂わば秘伝の世界に入るわけですが、新入生も宣誓の上、次第に教えられていきます。それは、陰陽師が用いる式神による戦いで、この式神なる者は、こびとのような鬼の姿をしていて、一般人には見えないこととされています。 映画では、それでは面白くないので、四神を鎮撫するお祭りでもある戦いのシーンになると、沢山出てきます。
 この鬼を、どんな形でどう描くか、映画製作の見せ所となっています。
 また、映画では、大学の青春を象徴するような愉快な場面が、儀式の形を含め、結構出て参りますが、吉田神社での踊り始め、実は最近まで「在る実在のクラブで続けられていた由緒ある行事なんだ」と言うような話があちこちに描かれています。 それに、社寺仏閣の行事もいろんなシーンの中に取り入れられていました。 原作者は在学中、随分いろいろと聞き知っていたのでしょう。そして、それらを、この奇妙てけれつな小説に盛り込んだと思われます。それやこれやは、実際に映画をご覧になってお楽しみ下さい。
京都の町の美と四季の味わいがオンパレード
 この作品のもう一つの特徴は、京都の町の各所と、その四季のうつろいを、物語を紡ぐ内、綺麗な映像で紹介していることでしょう。
 それらを、出てきた画面を思い起こしながら記しますと、清水寺、吉田神社、下鴨神社、金戒光明寺、平安神宮、晴明神社、大文字山、百万遍、荒神橋、三条木屋町、先斗町、祇園と舞子、四条烏丸と祇園祭、鴨川、加茂川と高野川の合流点等です。もとより、各大学を象徴する建物も登場しました。
 最も多かったのは、話の中心が京大青龍会なので、京大の時計台であったように思います。
<第38話 「小話集」表紙へ 第40話>
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