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5年前、2008年9月のある日 |
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2013年10月15日(火)の今日、大型台風26号が明日関東を直撃しそうだとのニュースを聞きながらパソコン整理をしている。
「覚え書き」広場にこんな小文が埋もれていた。日付は2008年9月とあるから、5年前だ。これに数編加えて一つのエッセイにしようとしていたのだろう。
中途半端ながら備忘録として、ここに掲載することにした。 |
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1.長編小説と朗読奮闘記 |
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今朝の毎日新聞にこんな句が出ていた(2008年9月13日にタイムスリップしている)。 |
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萩咲(さい)て家賃五円の家に住む=@子規 |
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子規が東京根岸に住んでいた1901年9月の句だそうで、庭には萩が咲いていた、とある。 |
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柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺=@子規 |
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そう、ぼくは萩より柿だ。
柿の季節がすぐそこ。待ち遠しかった。今夏は猛暑が続いたこともあり(今日も真夏日のようだが)、どの柿もきっとほっぺたが落ちるほどうまいだろう。
いつぞやこんなことを書いた。 |
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店頭が柿でにぎわっている。富有柿、次郎柿、刀根柿、西村柿……。産地も岐阜、和歌山、福岡、奈良……。津船良平の楽しみは、晴れた日に、旨そうなのを一個選んで丸かじりしながら、境川沿いの桜並木道を浦安海岸へ歩くこと。今年も幸せを味わっている。
………… |
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6年前(2002年)にイタリアを旅した。どの地だったか、熟れた釣鐘柿を買ってホテルの部屋でガブリ!、強烈な渋に目を白黒させた。翌日はずっと、口の中が痛くて変だった。

そのときの心情を告白したのが次の駄句だ。 |
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柿食ふてよくぞ日本に生まれけり |
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(翌年、あきずにドイツ・ドレスデンとオーストリア・ウィーンの露店で同様の柿を求めた。おそるおそる口に運んだところ、今度はどちらもアタリ! 「柿は東欧にかぎる」と、紀行文に書いたのだった)。 |
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猛暑の今夏、それはとりわけぼくに過酷だった。
数年前の貴重な体験をふまえた小説を4年前に仕上げた。大学先輩が米寿記念に私家版として書籍を出版され、その中に入れてもらった。先輩は直後に他界された。 |
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それからさらに2年たったこの8月初めから昨日まで約1ヶ月半、タイトルも新たに「怪獣の棲む講堂物語」として、改訂に取り組んできた。もう少し微調整を残しているが、昨夜、その朗読もし終えて一応の体裁を整え、インターネットにアップした。
真夏の朗読はしんどかった。朝は声の調子がいまいちだし、夜は晩酌のほうが重要である。午後の暑いときしかチャンスはない。おまけに容赦なく晴天の猛暑が続いている…………
それにもまして、朗読は三つの利点がある。文章推敲の強力な助っ人。『わが美声』を残せる。そして、なにより心の健康。

表現やてにをは≠ノ至るまで、最後の手を加えながら、朗読に取りかかったのがお盆の頃。
雑音を避けるために部屋を閉め切り、エアコンも微音が気になりオフ。自分の声だけが聞こえるようにしてボイスレコーダーに向かう。結構緊張するから、1回2時間が最高限度だ。途中、電話や玄関のベルに中断させられやり直しが何度も。カリカリしながら、ひたすら朗読、再朗読に励む。編集技術の持ち合わせがないから、各セクションを通しでやる。長さはほぼ15分〜20分。やり直しの繰り返し作業を考えてのことである。
文庫本にすれば、2冊分にはなるか。朗読時間はトータルで10時間弱になった。これに要した実朗読時間は丸々一昼夜をはるかに超えているはずだ。
汗ダクダクで……終わったごとに水風呂に飛び込みながら、健康を損なうこともなく、一応終わりまでこぎ着けた。
前述のとおり新タイトルは『怪獣の棲む講堂物語』とした。雑記帳≠ノ、第46,47,48話の三部に分けて掲載中。内容は読んでの、また聞いてのお楽しみといきたいところだが、…………
通読いただける方はありえないだろうなあ。いかなぼくでも、それは心得ている。ド素人の小説にして、超長編と来ている。しかも展開は血湧き肉躍るでもなし、やるせない恋愛で読者の胸をキュンとさせるわけでもないから。怪獣・妖怪は五万と出てくるのだが。
朗読をお聞きいただく場合も問題をはらんでいる。アップルやウィンドウズ8には対応していないばかりか、15分程度のダウンロードに10数秒かかるときもある。これ、ご家庭のインターネット環境によるようだ。悩ましくて、いらいらする。
ということで、この小説は、ぼく≠ニいう男の68歳の一里塚ということにしておこう。まさしく独りよがり・自己満足の産物である。 |
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小説の中に子規の一句を載せた。怪獣を追いかける主人公が、「建築の巨人」伊東忠太設計による大倉集古館を訪れるくだりで。 |
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行秋の鴉(からす)も飛んでしまひけり |
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子規は根岸の病床でこの句を詠んだのだろうか。
正午、津船良平(ぼくがモデル)と、深見恵理子、野溝マリの三人が港区ホテル五階のロビーに集(つど)った。当時資産家として有名だったO氏の息子の手で開業されて以来、そのままの雰囲気が四十数年を経たいまも保たれているという、心安らぐ憩いの場だ。つかの間ソファーで優雅な静けさに浸る。 |
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