本虫になった覚えがない。遊びほうけた覚えもない。青春時代をぼくはどう過ごしたのだろう?
 中学・高校時代は受験勉強に明け暮れた。趣味・スポーツはおろか、小説もまとまったものは敬遠し続けた。やっと大学にはたどり着いたが、入学そのものが目的だったから、入試合格が終点だった。
 無為の四年間を未だ悔いている。授業もろくすっぽ出ず……なぜ卒業できたのだろう。
 本当に、麻雀の交友関係以外、学生生活でこれといった記憶がない。読書だけでも……友の勧めに従っていたら。
 そんなぼくでも、「感動した小説」と言われれば、数冊は挙げられる。が、「感動の一節」となると、『異邦人』のあのシーンしか思い出せない。読んだ時期故か、そのシーンが奇妙に怠惰な学生時代≠フぼくを想起させる。
 『異邦人』はアルベール・カミュ(フランス)の小説『L'ETRANGER』の邦題名で、勿論ぼくは翻訳本で読んだ。
 翻訳は、訳者のセンス・力量に左右される。とくにこういう類の本は、かつては「象牙の塔」の先生方の仕事だったから、逐語的には正確に訳されているのだろうが、原作者の意図や思想から外れているかもしれない。それに固い?
 ぼくの読んだ『異邦人』はどなたの訳だったのだろう? もっともあの箇所は、訳者云々に拘わらず、ぼくの感動に変わりはなかったろう。それほど衝撃が大きかった。
 あの一節は、文章ではなく状景として、ぼくの心に存在し続けている。ぼくの受けた衝撃がカミュの意図した通りかどうかは知らない。図書館で借りた本から引用する。
 銃弾を放った主人公の空虚さが、灼熱の陽光、青い海、砂浜の白≠ニ対称的だった、……そう記憶しているのだが。

(第一部、後尾)
 涙と塩のとばりで、 私の眼は見えなくなった。額に鳴る太陽のシンバルと、それから匕首からほとばしる光の刃の、相変わらず目の前にちらつくほかは、何一つ感じられなかった。焼けつくような剣は私の睫毛をかみ、痛む眼をえぐった。そのとき、すべてがゆらゆらした。海は重苦しく、激しい息吹を運んで来た。空は端から端まで裂けて、火を降らすかと思われた。私の全体がこわばり、ピストルの上で手が引きつった。引き金はしなやかだった。私は銃尾のすべっこい腹にさわった。乾いた、それでいて、耳を聾する轟音とともに、すべてが始まったのは、このときだった。私は汗と太陽とをふり払った。昼間の均衡と、私がそこに幸福を感じていた、その浜辺の特殊な沈黙とを、うちこわしたことを悟った。そこで、私はこの身動きしない体に、なお四たび撃ちこんだ。弾丸は深くくい入ったが、そうとも見えなかった。それは私が不幸のとびらをたたいた、四つの短い音にも似ていた。(異邦人、カミュ、窪田啓作訳、新潮文庫)

第30話「感動の一節」 おわり
2005年6月18日

朗読(05'29") on
上記は、
文章サークル「蒼穹」の課題テーマに応じて提出したものです。
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