2002年9月、『みくまの会』有志で1泊2日の旅をした。「みくまの会」は、和歌山県新宮高校第11期(昭和34年卒)の卒業生で、東京周辺在住者の同期会である。
 総勢12人、K社のバスツアー「乗鞍岳畳平、奥飛騨温泉郷、新穂高ロープウエイ、霧ヶ峰」を利用した。2日間とも極上天気。初秋の奥飛騨名勝を楽しんだ。 
1日目、9月18日(水)

 上野(7:20)=新宿(8:10)=(中央道、乗鞍スカイライン)=乗鞍岳畳平=丹生川コスモス園=奥飛騨温泉郷・新平湯温泉・白樺荘(泊)

2日目、9月19日(木)

 白樺荘=新穂高ロープウエイ=西穂高口・マウントビュー千石=(ビーナスライン)=霧ヶ峰=山梨・巨峰狩り=(中央道)=新宿(19:00)=上野(20:00)

  
乗鞍岳・畳平

 乗鞍スカイラインは、日光のいろは坂より急でもっとくねっている。バスは狭い坂道を対向車を際どく交わしながらあえぎ上って、一気に2,740mの乗鞍岳・畳平に着いた。
 標高が上がるにつれて、杉・桧の森林が雑木林に、遂にはハイマツと高山植物だけの世界にと、景色の模様替えが目を楽しませてくれた。

 2年前、この畳平から300m上の剣ヶ峰に登った(山歩き第39話・乗鞍岳・剣ヶ峰)から、傍(そば)の鶴ヶ池も向こうの剣ヶ峰も見覚えがある。あのときと時期は違うが、天気は快晴で同じ。が秋の空は変わりやすい。
 今回は周辺の魔王園地までの散策にとどまった。

 下界の「天高く馬肥ゆる」とは別世界である。気温8度。視界良好と思いきや、霧が見る間に押し寄せる。気まぐれな山の天気の中で、剣ヶ峰の雄姿を撮れたのはラッキーだった。

乗鞍岳剣が峰

奥飛騨温泉郷新平湯温泉

 宿泊先への途中、丹生川コスモス園に立ち寄る。
 コスモスはこれからなのか、いまいち。ただし園手前の屋台に並んだ秋の味覚は旬……トーモロコシ、りんご、ナシ、洋ナシ。トーモロコシがおいしかった。

 16:00、奥飛騨温泉郷新平湯温泉・白樺荘着。予定より1時間早かった。
 温泉でゆっくりくつろぐ。露天風呂から眺める空はくっきり晴れわたって、今日一日の爽(さわ)やかな余韻を残し、明日の天気も保証している。
 テレビは大相撲秋場所11日目打ち止め近くだ。貴乃花の勝ちを見て、夕食会場へ。
 前宣伝は松茸付き・奥飛騨山家料理だが、松茸は? 料理は文句なし。地酒の熱燗もよかった。
「お待たせ! 少し遅れちゃったよ」
 乾杯すんで、料理に箸をつけかけたとき、I君がウルトラマン・スタイルで現れた。平然としているが、いままさに3000m級の山から下りてきたのだ。
 
 カラオケ・スナックへ場所を変える。6人組の先客が盛り上がっている。遠慮している場合ではない。飲み物の注文もそこそこに、各自曲を申し込む。
 先客6人は他の旅行社のツアー仲間という。すぐにうち溶け合って、歌合戦になった。カラオケにあわせてダンスも。
 はしゃいでいる間に9時半を過ぎてしまっている。ぼくたちはここで切り上げることにした。彼らは名残惜しそうに店の外まで見送ってくれた。
 
 
宿の部屋割りは2人ずつとした。ぼくはI君とだ。夜の語らいを楽しみにした。
 彼とは7月和歌山県人会で会っている。それまでは高校同期というだけで、見知らぬ仲だった。
 部屋に入ると10時。
「ぼくは寝巻きは苦手なんだよ」
 異なことをいいつつ、彼はバッグからパジャマを取り出す。
「風呂、まだなんだろ?」とぼく。
「そうだったね」
 山男の1泊は、風呂に無縁のようだ。
「入ってこいよ。いい湯だよ」
「じゃあ行って来るか。先にやっててくれよ」
 といって彼は、いつの間に調達したのか、缶ビールを差し出す。
 …………
「いい湯だった」
 パジャマ姿で胡坐(あぐら)し、缶ビールをグイと飲む。話の花がパッと咲く。
 2人とも時間も歳も忘れた。青春に帰って、話題はとめどなく広がる。彼は、ロマンチストのぼくがうらやむロマンチストだ。
 山の話、鄙(ひな)びた温泉の話、現在の苗場ロッジ経営のいきさつ……。彼の話は雄大で夢に満ちている。話題はなんでもよかった。二人とも話の宇宙を遊泳した。
 いつしか2時前。
「朝早く発つんだろ?」
「6時だけど……いいんだよ」
 無理やり欠伸するふりをして、やっと彼をなだめた。
 …………
 6時のモーニングコールで、二人とも目覚めた。
「じゃあね」
 静かに言いおいて、彼は去る。
「涸沢から北穂高へ向かって、仲間と合流することになっているんだ」
 彼の何気ないせりふをぼくは聞き流した。 

奥飛騨展望台

  2日目午前中は、ぼくたち11人を含むツアーの有志20人ほどで奥飛騨連山のパノラマを楽しんだ。
 バスで8時に宿を出発して小一時間。パノラマ展望台の「マウントビュー千石」は、新穂高温泉駅を始点とする壮大なロープウエイの先にあった。
 理想の秋晴れというのか、雲ひとつない。
「こんなすごい天気、初めてです!」
 添乗員はしきりに強調する。納得。天気がよくても、どこどこまでも見とおせる条件はざらにはないのだから。この好条件も午後には一変するそうだ。

 新穂高ロープウエイは、1970年に開通した。
 新穂高温泉駅(1117m)から途中の鍋平高原駅(1305m)までの第1ロープウエイと、そこから徒歩2分のしらかば平駅(1308m)から終点西穂高駅(2156m)までの第2ロープウエイの2系統からなる。
 「第1」は、標高差188mを4分で昇る。「第2」は、標高差848mを毎秒7m、7分で昇ってしまう。つまりトータル10数分でぼくたちを標高差1000mも上に運んでしまうのだ。

 第2ロープウエイの2階建てゴンドラは、急角度を高速で進む。上からのゴンドラとのすれ違いはスリルがある。秒速を超えたスピード感だ。近くで遠くで次々と変化する眺望に目を見張った。ガイドの説明によると、こんな山々が前後左右に見えたようだ。

 奥穂高岳(3190m)、ジャンダルム(3163m)、西穂高岳(2909m)、涸沢岳(3103m)、北穂高岳(3106m)、蒲田富士(2742m)、南岳(3033m)、中岳(3084m)、大喰岳(3101m)、槍ヶ岳(3180m)、笠ヶ岳(2898m)、ロッククライミングで有名な錫杖岳(2168m)、加賀の白山(2702m)、そして乗鞍岳の一部。
 後方左に焼岳(2455m)、いまも活火山だ。上高地の大正池は、大正4年、この山の大爆発で作られた。  
 頂上の展望台「マウントビュー千石」は標高2156mにある。高尾山より3倍高い。大勢の見物客が広い高台にひしめいている。みんなこの時刻の尊さを知っているのだ。
 9時台で空は澄み渡っている。わずかに淡い綿帽子がたなびいているだけ。喧騒の展望台をよそに、奥飛騨の時間は止まっているのだ。

 さっきゴンドラでガイドの説明にあった山々が360度のパノラマで展開している。真正面でちょこんととんがった山が槍ヶ岳。ぼくでもピンポイントできる。そこから右のほうに大喰岳、中岳、南岳なのだろう。そして北穂高、涸沢……?!
 朝、部屋を出しなにI君が確かこういっていた。
「涸沢から北穂高へ向かって、仲間と合流することになっているんだ」
 彼はいまあの山を登っている!
《Ishibashiく〜ん!》
 心で声援をおくった。
 自然はいまのこの眺望を再現することがあろうか。完璧とはこれをいうのだろう。一方、微動だにしない見晴るかす景観の向こうで、目まぐるしく舞台が回っている。昼になると靄(もや)がかかってこの景色はない……そんなこと、だれが想像できようか。
「10月中旬になると全山紅葉です。すごいですよ!」
 奥飛騨礼讃の弁だが、いまこれ以上をだれも望んでいないのだ。野暮なコメントに聞こえた。

霧ヶ峰散策

 山歩きに夢中だった1年前まで、霧ヶ峰(車山)山行が何回も俎上に乗った。花の百名山で、ハイキング向きという。それなりに勢い込んでいた頃だから、いわばチャレンジングな山に優先されて、行かずじまいだった。

 今回の旅程に霧ヶ峰が入っているが、まさか頂上までは……。そのとおりで、遊歩道散策に終わった。
 といってしまえば実も蓋もない。約1時間、N、U両君とじっくり歩いて回った。
 天気晴朗、そよ風が頬を撫でて、いかにも仲秋。遠くは南アルプス連山だろう。わずかに雪渓が残っている。焼岳が大きく見える。
 やはり高山植物の宝庫だ。幸い両君とも花心がある。彼らに質問を浴びせたり、草木の表札に肯いたり、心が和んだ。 

帰途

 帰りがけ、山梨ぶどう園に立ち寄って、巨峰狩りを楽しんだ。
「ぶどうの食べ方は房の下から蔓(つる)のほうへだよ」
 K君のアドバイスに従った。なるほど、おいしいところを最後に食べることになるから後味がいい、ということだ。
 巨峰のみやげはパスした。代わりに乾しぶどう4袋、1000円也。これ、ヨーグルトに入れると美味。明朝から食卓に乗る。

  丸2日間、ニュースと無縁だった。北朝鮮拉致事件のその後は? 次元は違うが「さくら」。NHKの朝ドラで、ぼくは毎朝7時半から衛星放送で見ている。留守中の2日分は怠りなくビデオ予約してきた。
 夜はニュースと「さくら」の撮りだめが楽しみである。

小話集第15話〔奥飛騨旅行〕 おわり
2002.09.26
朗読(17:15) on

I君の便り

 2日目の早朝I君は宿を発った。北穂高の頂上(3106m)を目差したのだ。予定通り頂上に着いたか。仲間に会えたか。無事新潟県の自宅に戻ってくれればいいが。心配していた。
 数日して、彼から便りが来た。こんな詩が入っていた。

晩夏、その時

我愛する、みくまの会に
夏のMIPがあるなら
迷うことなく貴兄達を選ぶだろう
もっとも印象的なプレイヤー達という賞があるなら
日よ照り輝けの諸君
それは間違いなく白樺荘で出逢った、みくまの会の面々だろう
凛冽の谷に
突然現われた光の玉のように
乾杯からカラオケの一挙手一投足
表情の一つ一つに至るまで
心に染みる暖かい暖かい、そして明るい明るい存在だった
それは
パソコン文化の心が磨かれて
輪舞の情が構築されたのだろうか
それとも山の女神が美の調和を演出したのか
いやそんなことはどうでもいい
とにかくその時、二十四のひとみが
一万ボルト以上であったと言うことだ
ところで貴兄にとってこの夏は何だったのだろうか
パソコンを振って大輪の華を咲かせるだけでは無かった筈だ!
未知を切り拓くアドベンチャーだったのか
夢と希望を紡ぎつづける
詩人の日々だったのか
不可能を可能にする超人への挑戦だったのか
とにかく何であれ
   眩(まぶ)しい、眩しい
暑い暑い、奥飛騨旅情だったに違いない
そんな同胞の輝ける時間を北アルプスはうっとりと眺め
鳴り止まぬ拍手で送ったのだ
九月十九日
快晴にそびえる北穂高、奥穂、前穂、
噴煙たなびく焼岳、天につき出す槍ヶ岳、
そしてロープウエーの郷愁、新穂高、
それら北アルプス連峰から谷間を貫けて
こだまが伝った
「君達には明日がある
全員に明日がある
それは何よりも凄いことだ
だからその背中に言いたい
全員そろって又戻って来てくれと
明日になれば君たちは
今年掴み得なかった栄光の
本当の値打ちと悔しさを感じて
新たな挑戦を誓うに違いない
今日は天晴(あっぱれ)
明日は口惜しい
そんなきみたちにもう一度逢いたい」
   こんな風に聞えたのだが……
響きあう
 仲間でいたい
   これからも
我同窓の
 ありがたきかな
   石橋徹一
再朗読(2024.04.01) 21:07
Close  閉じる