2002年8月17日(土)。
 大学N先輩のお伴をして、"浅草の一日"を過ごした。
 N氏は如水会・12月クラブの幹事長で、昨年春から親しくしていただいている。当年83歳の青年だ。生涯現役で、お仕事、社会貢献等に忙しい日々。その合間を縫って、リラックスの一日にぼくを呼んだ。
 姪(めい)のHさんとスナック経営者Sさんも一緒。11時半、浅草すし屋通りの"十和田"に集合した。

「蕎麦味噌、美味しいんだよ!」
 N氏のおっしゃっていたとおりだった。もろ味の効いた金山寺風が、小ぶり貝殻の容器に盛られて人数分出される。
 《燗酒に絶品!》、先輩は「銚子2本」と告げた。
 その銚子とお猪口。どちらも杉の香薫る手作りだ。熱燗が引き立った。
 蕎麦味噌の粒を見て勘違いした。
「ピーナッツを砕いたのですよね」と真顔で言う。
「蕎麦の実だよ」
 思わぬ失笑を買った。
 もずく、イカの塩辛、てんぷら盛合せが出る。メインディッシュを前に満腹になった。
 昨夜”十和田”をインターネットで調べた。"地獄そば"がいいらしい。鶏肉・卵入りで、ちょうど見た感じが温泉地獄模様。残念ながら今回はパス。胃拡張になってしまう。
「きみは若いのだから」
 大先輩にそこまで言われてはと、ざるそばを満腹に押し込んだ。
 
おかみさんの経済学 1時過ぎに冨永照子さんが見えた。お噂はN氏からかねがね。しばらく談笑に付き合ってくれる。
 十和田チェーンの社長であることは勿論として、知る人ぞ知る"おかみさん会"の総帥という。浅草カーニバル、浅草ジャズフェスティバル、浅草二階建てバス、それらの生みの親だそうだ。
 彼女の合言葉は「勇気!やる気!元気!」。本業をこなしながら、全国の町おこし活動に奔走されている。先の衆院選挙では民主党から比例区に出た(ここで彼女の痛快人生に触れたいところだが、右の書籍に譲る)。
 小太りは当たり、小柄は予想外。エネルギッシュな行動力と対象的に顔立ちは穏やかで、どこかのおばさんと変わらない。テキパキ切り盛りしているが、お盆のこととて忙しいご様子。
「みなさんラッキーですね!」
 あとで店員に言われた。

 浅草ジャズフェスティバル(8月22日)の切符がレジにあったので、購入した。彼女の著書「おかみさんの経済学」(角川書店)とともに。
 (浅草ジャズフェスティバルは、次の第14話に掲載)。

 
 2時近くまで長い昼食の後、こんな具合に浅草の一日を楽しんだ。
 @ 浅草演芸ホール
 A 金龍茶屋
 B 浅草寺散策
 

浅草演芸ホール

 昼の部は11時に開演していた。半分過ぎての途中入場だが、かまわず先輩は当日券を4人分買う。係りが素早く、横っちょの非常口に案内する。
 立錐の余地なしとはこういうことだろう。2時から4時半まで、昼の部後半を狭い右サイドでずっと棒立ち、直立不動の見物だった。
 寄席で満員とは?! 新聞販売所の招待客が多いとか、お盆だからとか……あれこれ思い描いたが、最大の理由は古今亭志ん朝追善、吉例納涼住吉踊り=Bそう、客みんなのお目当ては、住吉踊りだった。
 ではあれ、この異常な混みようだ。ぼく同様に息苦しい棒立ちを強いられているご老体が心配である。「残念だけど帰ろうか」のお声がいつかかるかと、じっと横目で伺っていた。

 寄席は三遊亭小円歌(女性)の三味線漫談がはじまるところだった。小円歌がよかった。

 そのあと五街道雲助(落語)、三遊亭圓彌(落語)、あしたひろし・順子(漫才)、古今亭圓菊(落語)と続く。
 3時に仲入りがあって、古今亭志ん橋(落語)、翁家和楽・小楽・和助(曲芸)。取りは三遊亭金馬(落語)。
 通していずれも小話程度だが、熱がこもっていた。やはり金馬。軽いタッチで貫禄がある。あとの出番でも、ボケ・ズッコケに味わいがあった。

 緞帳(どんちょう)が下りてしばし、にぎやかな出囃子で大喜利の幕が開く。
 昼の部出演者総動員。「志ん朝師匠は心で偲ぶとして」との前口上で、吉例納涼住吉踊りがはじまる。 

♪♪お伊勢ナー戻りにこの子が出来て
 ハーヨイヨイお名を付けましょうヤンレ
 伊勢松とハアーヤアトコセーヨイヤナ
 アリャリャコレワイナこのなんでもセエーエーエー♪♪
  (伊勢音頭)
 
♪♪吃(どもり)の叉兵書いたる絵紙性根が通い
 皆抜け出たオイお若衆鷹を据え
 ハアコリャコリャ塗笠女形の藤娘
 座頭の下帯を犬が喰わえたらびっくり仰天し
 杖を捜してヤッシッシハアコリャコリャ
 荒儀の鬼が発起して鐘コラショ撞木
 瓢箪で鯰を押さえましょ奴さんの行列
 吊鐘弁慶矢の根の五郎♪♪
  (吃叉)
 
♪♪エー奴さんどちら行く旦那お迎えに
 さても寒いのに供揃い雪のせ降る夜も風の夜も
 サテお供はつらいね何時も奴さんは高端折
 アリャセコリャセそれもそうかいなあーエ♪♪
  (奴さん)
 
♪♪エー姐さんほんかいなハアコリャコリャ
 こぬぎぬの言葉も交わさず明日の夜は
 裏のセ窓には私独りサテ合図はよいか
 首尾をようして逢いに来たわいなアリャセコリャサ
 それもそうかいなエハアコリャコリャ♪♪
  (姉さん)
 
♪♪綱は上意を蒙りて羅生門にぞつきにける
 時折しも雨風はげしき後ろより兜の錣を引っ掴み
 引き戻さんとエイと引く綱も聞えし強者にて
 彼の曲者に諸手を掛け
 よしゃれ放しゃれ錣が切れる錣切れるはいといはせぬが
 只今結うた鬢の毛が損じるはもつれるは七つ過ぎには
 往かねばならぬ何処へ往かんとすか此方気にかかる
 誰じゃ誰じゃ鬼じゃないものわしじゃないもの
 兜も錣もらっちも要らないさあさ持ってけ背負ってけ♪♪
  (綱上)
  
 ここでハワイアン音楽が飛び入り。志ん朝師匠のテープ「小さな竹の橋・替え歌」に合せて女性群がフラダンスの乱舞。
  
♪♪さつまさアこりゃささつまさと急いで押せばエー
 汐がさアこりゃさそこりて櫓が立たぬエー
 猪牙でサッサ行くのは深川通い
 渡る桟橋をアレワイサノサいそいそと
 客の心は上の空飛んで行きたいアレワイサノサ主の傍
 駕籠でホイホイ行くのは吉原通い
 おりる衣紋坂アレワイサノサいそいそと
 大門口を眺むれば深い馴染みのアレワイサノサお楽しみ
 坊様ハイハイ二人で葭町通い上がるお茶やは
 アレワイサノサいそいそと
 隣座敷は大ようきさえつおさえつアレワイサノサ狐拳♪♪
  (さつまさ)

 目まぐるしく舞台は入れ替わり、興奮のボルテージが上がっていく。頂点は言わずと知れた「かっぽれ」。紀伊国屋文左衛門に「私しゃ貴男にかっぽれた」。

♪♪沖の暗いのに白帆が見ゆるヨイトコラセ
 あれは紀伊の国ヤレコノコレワイノサヨイトサッササ
 蜜柑船じゃえさて蜜柑船蜜柑船じゃえサア見ゆる
 サテヨイトコラセあれは紀伊の国ヤレコノコレワイノサ
 ヨイトサッササ蜜柑船じゃえ♪♪ 

 満員を超す客席が興奮の坩堝と化す大団円だった。
 みんな踊りのプロでもあった。「本物の踊りは歌舞伎座か、○○へどうぞ」とのたもうたが、"本物"だった。加えてすべてコミカル。笑いながら「スゴイ!」と言わざるを得なかった。
「よかったでしょう!」
 大先輩も喜びと満足そのものだ。そう言いながら、涼しげに、すたすたと出口をあとにする。なんたるタフネス。
 

金龍茶屋

「団子と桜餅はどうかね!」
 今青年は伝法院通りへ3人を案内する。"金龍茶屋"は演芸ホールから5分とかからない。
 お薦めはどちらも季節はずれで……、なかった。
「カキ氷!」
 この際ぼくはこちらのほうがなによりだった。
 4人とも「抹茶金時アイス」。2時間半にわたる棒立ちの疲れが少しは癒(い)えた。 
「ここの言問団子と長命桜餅はね……」
 どうやらみやげにもと考えておられた様子で、N氏は残念そうな顔を初めて見せた。(SさんとHさんはここで帰る)。
 

浅草寺散策

 浅草伝法院を通りかかる。このお寺伝法院≠ノついて、先輩は思い入れがあるようで、熱心に説明する。相づちでごまかしたが、帰って少しは勉強しよう。
 五重塔の下で、「中に入ったことあるかね?」
 首を横に振ると、「1階にはね、……」
 楽しそうに話してくれたが、当方疲れのせいかうろ覚えだ。
 本堂をしばらく眺め、あとはぐるりをゆっくり歩く。
 夕暮れの青空に白雲がたなびき、夏らしくないそよ風が肌に心地よい。
「今日でよかったね」
 猫背をのばしながら空を仰いで、先輩もぼくと同じ思いをつぶやいた。

…………

「そろそろ帰りましょうか」
「いや、特別の用はないんだろ?」
「?」ぼくはキョトンとする。
「この先に旨いラーメン屋があるんだよ。ボート部の連中の知り合いがやってるんだ。今日はチャーシューメンで打ち上げということでどう〜お?」
 ラーメン屋(店名忘却)は東武浅草駅の斜め前にあった。こじんまりとした地の店である。

 ビール1本をシェアして、ざあ菜と餃子をつまむ。
 そしてチャーシューメン。1杯をシェアする。大ぶりのチャーシューが何枚も入っている。うす味よし、細麺の歯ざわりよし。空いてもない胃袋に素通りする。ただし全部は食べきれなかった。 
 にこやかで満足げなN先輩の顔。チャーシューメンもさりながら、なんと御礼申し上げていいか。
 月並みに、「どうもありがとうございました」と頭を下げた。7時半。

 浅草松屋の地階、うなぎの寝床状の通路を抜けて地下鉄銀座線に乗る。
 日本橋でぼくは東西線へ。先輩は大船だから、新橋でJRに乗り換えるはずだ。
 まさに生涯青春のN先輩、「83歳の元気!」である。
 明日の日曜日は、ごゆるりと休日を楽しんでください。

もう寐ずばなるまいなそれも夏の月
夏目漱石 (明治29年)

小話集第13話〔浅草の一日〕 おわり
2002.08.17

朗読(13:14) on
再朗読(2023.04.01) 13:07
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