『ツナガッテイル』に関連して、幾つか記してみます。
”ツナガッテイル”。普段は気にかけていないことかもしれませんね。
そして、”風が吹けば桶屋が儲かる”式でいけば、何でもツナガッテイルようですね。しかし、それが断たれたときは…………
堺屋太一氏の小説「油断!」を思い出しました。
日本のエネルギーの大半が依存している中東からの石油が断たれたら! 日本がもろくも沈没する様(さま)が描かれていました。
私の『中高年の元気!』は、それなりに元気≠ネ生き方をつづっているのですが、テーマは今日の喜び、明日への希望≠ナす。
いま、4つのツナガリを思い浮かべました。
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幼年から青年時代を経て、シニアへのツナガリ |
2. |
昨日の続きであると同時に、明日へのスタート台である「いま」 |
3. |
自然との関わり |
4. |
落語と、川柳・俳句との関係 |
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1. 幼年、青年時代、シニアのツナガリ
「子供叱るな、来た道じゃもの。年寄笑うな、行く道じゃもの」。どこかで聞いた耳の痛い言葉です。
いまも、自分なりに”志”を抱いています。ただ、青年時代のそれは時間・空間ともにエンドレスでした。シニアのいまは、”志”に順序をつけ、タイムリミットを課しています。節目節目のハードルが低いせいか、達成率はイチローの打率に対抗できるほどで、ストレスも適度にあります。
いつまでも”志”に生き、輝いていたいものです。
2. 明日へのスタート台である、「いま」
「いま」を明日へのスタート台と考えれば、老いも若きもありません。違いがあるとすれば、年齢的なものではなく、明日に向かってどんな意志をもっているか、それぞれの経験という財産をどれだけ活用するか、つまり意欲の問題と考えています。
私は、過去を振り返ることも大好きです。甘い思い出(少ないですが)よりも挫折の時をよく反芻(はんすう)します。どのように克服したか、が支えになっています。
古き自分を温(たず)ねることは、己の限界やら取り柄やら、いろいろない交ぜにして、明日への道しるべになってくれます。思い出は私の財産です。
3. 自然との関わり
脳梗塞で弱くなった左半身のリハビリを兼ねて、3年前に山歩きをはじめました。
東京近郊の山々を月1、2回歩いているのですが、それは自分なりのスポーツであると同時に、かつて味わったことのない感動をもたらしてくれました。
大自然の壮大な営みのなかで、どの山もあるがままを精一杯謳歌している。そして花鳥草木の生きざま。
『霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき』 (芭蕉)
まさに晴れてよし、降ってよし。歩くごとに感動を得ています。
4. 落語と俳句と川柳と
落語に親しむまで、俳句・川柳・都々逸、等に特別の興味はもっていませんでした。
最近は、毎晩寝ながら落語を聴くのが日課になっています。落語は私の安眠剤です。
落語の”枕”は、それ自体が噺家の持ち味をあらわし、ときに”サゲ”の伏線にもなって、興味が尽きません。その”枕”に、よく俳句や、川柳・狂歌・都々逸が顔を出します。
- 世の中は三日見ぬ間の桜かな
- 裏を見せ表を見せて散る紅葉
- 酒のない国に行きたい二日酔い、また三日目に帰りたくなる
- ごめんごめんと芋食い過ぎし京の月
- 鶏も追い詰められて五尺飛び
- …………
落語のおかげで、私の興味の幅が広がりました。
いま、歌舞伎や能の世界にも広がれば、と期しているところです。
…………
『中高年の元気!』は、こうした自分とのいろいろなツナガリの記録です。そのときどきの感動と喜びの発露です。それらはきっと、明日への希望にツナガルと信じています。
小話集第8話〔ツナガッテイル〕 おわり
2001.06.21
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